宮崎神青ブログ - 知っちょる?宮崎の祭⑮

知っちょる?宮崎の祭⑮

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その他
執筆 : 
sashi 2022-2-14 20:09

 

 

 

〇十五夜祭〇

 

八幡神社の例祭とともに、地元の民(奉賛会)によって五穀豊穣への祈りと収穫への感謝を込めた祭りが現代まで引き継がれている。 八幡神社で例祭の神事が行われた後、御神幸が行われる。各地区の御旅所をまわり、宝蔵ヶ島(ほぞがしま)でお礼参りの神事が行われた後、幸福神社で一夜お泊りになる。翌日も御神幸が行われる。 同時に商店街の沿道には、露天商が立ち並び賑わいをみせる。道の真ん中は神輿が練り歩き、笠をかぶった踊り子たちが、十五夜音頭に合わせて華やかに踊る。また商店街の数か所に見立細工が飾られる。以前は農閑期に農家が作成した傘や下駄を祭で売っていたことから「傘まつり」「下駄まつり」とも呼ばれていた。

 

由来: 元暦年間(1184~1185)に壇ノ浦の戦いの後、椎葉に落ち延びた平家一族の討伐に、工藤祐経(くどうすねつけ)と那須与市宗高(なすのよいちむねたか)が鶴岡八幡宮より勧請して八幡神社を建て、兵の士気を鼓舞したのが始まりと言われている。 鶴岡八幡宮の例祭に合わせて旧暦八月十五日の満月の日に行われることから『十五夜祭(じゅうごやさん)』と呼ばれている。 戦から帰る際、敵に追われたところを龍に救われたという故事に基づき、お礼参りを行うことが御幸の目的とされている。 昔は川の中洲に祠があり、この中洲を「宝蔵ヶ島(ほぞがしま)」と呼んでいた。敵に追われ川に追い詰められた時に、川から龍が川底から現れ背中を渡るように勧めるが、龍を恐れ躊躇している間に龍は川底にもぐってしまった。龍はやがて自らの背に巻貝をつけ飛び石のように見せることでその背を渡ることを促し、無事に川を渡って逃げることが出来たと伝わっている。 この御幸の際のお神輿を街中に招き、五穀豊穣、商売繁盛を祈願したものが奉賛会の行う「十五夜祭り」である。「十五夜祭り」は宮崎の県北三大祭りと言われているが、飢饉が続くなどして中断されたことがあり、江戸時代、日本地図を作っていた伊能忠敬(いのうただたか)が測量中この地に宿泊した際の記録にも、「この地の名物は『十五夜祭』ですが、最近は神事のみで寂しいものです。」との記録が残っている。やがて、祭を復活させて商売繁盛を祈願したいとの奉賛会の願いを時の代官が聞き届けて復活されたとされている。

 

時期:十月第二月曜日

 

神社:八幡神社(宮崎県日向市富高鎮座) https://www.hachiman-chico.jp/

 

写真②

 

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