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宮崎神青ブログ - 教えて神主さん!㉑~神社はいくつあるの?~

教えて神主さん!㉑~神社はいくつあるの?~

カテゴリ : 
教えて神主さん!
執筆 : 
office 2015-11-18 11:55

皆様は全国に神社が何社あるか考えたことはございませんか?

 

そもそも神社とは?
神道の神々を祀るため設けられた建物、または施設の総称をいいます。
古くからヤシロ(社・神社)、ミヤ(宮)、モリ(社)、ホコラ(祠)などと呼ばれています。
年数回の祭りのたびに、霊地として神聖視される場所、すなわち村里を見下ろす秀麗な山の麓、清澄な川や泉のほとり、明るく神々しい森などに、神籬(ひもろぎ=臨時に神の座とされる榊などの常緑樹)、または磐座(いわくら=同じく自然石)を設けて神霊を迎え、終われば送り返すのが常でありました。
聖地はみだりに人の進入を許さぬ禁足地で、注連縄などを張り、木草の採集も忌まれました。
 

一般に神社の原初形態は必ずしも社殿を伴うわけではありませんでした。
語源的にはヤシロは屋代とする説が最も支持されており、祭りに際し臨時の小屋を建てる場所のことであります。祭りは一般に多く野外でなされたが、祭壇などを風雨から守るため簡易な覆い屋を設けるに至り、さらに祭りのあともその仮小屋を撤去せず、常設のものとしたのが社殿の発生と考えられるそうです。
関連して神観念も、毎年時期を定めて来臨する来訪神から、神殿に常在して人々を守る神々の信仰へと変化していったのです。

 

 

神社は祭礼行事などを通じ地域社会の住民の連帯感の育成に深くかかわる存在であったので、神社数や分布の変遷は、ほぼ地域集落のそれに比例します。 

時代 神社数 備考
8世紀 4,012郷  
10世紀 4041郷  
13世紀 10,000余  
16世紀初期 98,000郷  
明治前期 約200,000社 当時の自然村数にほぼ見合う
明治4年   近代社格制度により神社を国家の宗祀と位置づける
明治20年代   町村統合のなかで、政府は神社存立の基盤整備を志す。
明治39年 193,000余社  
  約70,000社廃合

神社合祀政策(=勅令)により、一町村一社とした。

神社を地域社会の精神的な拠り所として改めて位置づけ直し、

町村の行政力の強化を図ろうとした。神社の数を減らして残った

神社に経費を集中させることで一定基準以上の設備、財産を備え

させ、神社の威厳を保たせて、継続的経営を確立させることにあった。

一時は大いに実績を挙げたが、次第に各地に紛争弊害をもたらし、

かえって神社崇敬の観念を失わせる結果も地方には生じ、反対の

声も強くなって沙汰やみの傾向となった。

大正初年 110,000余社  
終戦当時

109,809社

終戦後はGHQの神道指令により、神道は国家の管理を離れ、

終戦後 87,218社

宗教法人登録社(神社本庁所属)

旧無格社等の中には法人手続きをしない神社もあった。

平成4年 79,165社  
平成26年 78,934社

※最も多いのは新潟県(4,737社)

次いで兵庫県(3,834社)、福岡県(3,321社)

※最も少ないのは沖縄県(11社)

次いで和歌山県(418社)、大阪府(571社)

※宮崎県は下から5番目の652社

 

ちなみに明治4年の近代社格制度とは?

明治政府によって定められた神社の格に関する制度。
維新政府は成立以来神社の全国的掌握や神社調査を進めてきましたが、その調査が一段落したので明治4年(1871)5月14日には太政官布告を公布、神社の格を大きく官社と諸社に分類したものです。 

社格 神社数 備考

官社

(かんしゃ)

当初は97社

※官幣大社29社、中社6社、小社なし
平安時代の二十二社など、朝廷にゆかりの深い神社が中心

※国幣大社は諸国一宮を中心に列格されたが当初存在せず。

中社45社、小社17社
※序列

官幣大社、国幣大社、官幣中社、国幣中社、官幣小社、国幣小社、別格官幣社
官幣社、国弊社とも官社として実質的にほとんど差違はなかったが、例祭のみが

官幣社が皇室から幣帛料が支出されるのに対し、国弊社は国庫から支出される

違いがあった。
また菊の紋章も当初は官幣社のみに許されていたが、明治七年には国弊社の

社殿装飾などにも許可されることになり、区別はなくなった。

府県社

(ふけんしゃ)

終戦当時

1,148社

諸社の最上位に位置し、府県が崇敬する神社。
三府(東京、京都、大阪)、各県のほか、北海道、樺太、台湾などにも所在した。

郷社

(ごうしゃ)

終戦当時

3,633社

府県社につぎ、村社の上位に当たる。
その地域(郷邑)の産土神を祀る神社がこれに相当した。
明治4年(1871)の郷社定則では、戸籍一区につき一社が目安とされ、産土神を

祀る神社が多くある場合は、そのうち最も主要なものを郷社として選ぶように

なっている。

村社

(そんしゃ)

終戦当時

44,934社

郷社につぐもの。明治4年(1871)の郷社定則では、郷社に付属すべき

ものとされていた。

通常村の氏神を祀る神社がこれに相当した。

無格社

(むかくしゃ)

終戦当時

59,997社

村社にも至らなかった格の無い神社。神社中、最下位に置かれた。

宮崎県では官幣大社に宮崎神宮、鵜戸神宮、国幣小社に都農神社が列格していました。

社格制度は終戦後にGHQの政策により廃止されています。

 

時代ともに変遷してきた神社ですが、先日のテレビにて、25年後には神社が4割減少するとの

話がございました。

確かに山を切り崩しそこに新たな町が誕生したとしても、その町に新たな神社を創建する

との話は現状では耳にしません。

むしろ過疎化に伴い、存続の危機にある集落の話をよく耳にします。

当然のことながら集落の消滅は、神社の消滅へと繋がります。

 

皆様方には現在ご自分のお住まいの地域、また遠く離れていたとしても生まれ育った地域の

氏神さまに心を寄せていただき、大切にしていただければと思います。

 

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