宮崎神青ブログ - 文子の育児奮闘記~出産編~

文子の育児奮闘記~出産編~

カテゴリ : 
文子の育児奮闘記
執筆 : 
office 2013-7-13 11:56

女子神職の出産時の奮闘記です!
ちなみに陣痛編はこちら
 
それでは、出産編のはじまりはじまり・・・


心してお読みください
きれいごとでないありのままの出産記

 

出産は「そったく」(漢字がでません)である

出産のホイッスルを鳴らすのは赤ちゃん
お母さんとのタイミングが合わないとお産が進まない
 

「メス取って。会陰切開するね」
「痛かったら教えて麻酔するから」

(会陰切開・・・赤ちゃんが出てくるところを切開。
  必要があるのにしないとあんなとこまで裂けたりなんだり・・・)

 

縦、横と切開。
私は陣痛の痛みと皮膚が伸びているからか痛くなかった
痛い人は痛い。
「う○ち出す感じ!う○ち出しても恥ずかしくないからがんばれー」
「ゔ~ん」

と今まで出したことのない声に、

冷静な自分が「変な声」と思う・・・
 

妹、到着
「あっ赤ちゃん産まれた!?」と妹の声


「私の声やが!」
 

「あははー ごっめーん」
 

・・・

 

パンっと音がして破水
 

羊水が飛んだ!

 

頭がでてきた!!(らしい・・・)
 

「最後思いっきりいきんで、せーのぉ」 

 

ニュルッとした感覚
 

「元気な赤ちゃんですよ!」 

 

「アッ赤ちゃん?」わたしの第一声。

 

母親教室でみたDVDの出産シーンはあんなに感動したのに

出産は、人それぞれ
スイカが出てくる、火の玉が出てくるかの如く痛い人もいる
わたしは、痛みより排便するようなすっきり爽快感が勝った。

 

そして後産(あとざん)後産
胎盤が出てくる
ここは安堵感からかあまり覚えていない
助産師さんがお腹おさえていたような???
出てこないと助産師さんが馬乗りになって、お腹を押さえたという話も聞く

 

宮崎県西都市の「児湯の池」

この池が児湯郡の地名になった。
ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの御子三神がこの地で産湯につかったとされる

 

分娩台の上で赤ちゃんを胸に抱く
いわゆるカンガルーケア
おっぱいを探して手足を動かす
不思議、ほんとにお腹の中にいたのかなぁ???
 

・・・あれ血液?
産湯につかると赤ちゃんの体温を下げてしまうのでふきあげるのだという。
とチクチクおしもを縫合中の先生と談笑

 

昭和30年代には女性の死因第一位は出産であった
出産は死と隣り合わせ 
今は医療が発達しているので多くの命が助かっている。
出産は安全ではない。
だから多くの言い伝えがあり、妊婦さん、産褥期のお母さんを大事にしてきた。
祖母は陣痛が来て赤ちゃんがなかなか産まれなかった、
当時若かった産婆さんが促進剤を知っていたので、兄弟が隣町まで調達に行き
やっと生まれたという
そのままだったら母体もどうなったかわからない
もう60年も前の話である

 

私達はなんと恵まれた時代に出産できるか
促進剤はそこにある
普通分娩ができなければ帝王切開もできる
100%ではないが、”もしも”があったら対応できる
安心して出産できる

 

同じ出産でも国で違う
日本は世界でも産科はトップクラスだという
自然分娩が主流、産後のケアの充実、死亡率も少ない、費用の助成、

衛生環境も良い・・・
こんなに環境が整っている

 

ゆえに軽んじてはいないか。

 

人伝えですが
財は残すな子孫を残せと言った先輩の言葉が今も心に残っている

 

命名編へ続く・・・

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