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宮崎神青ブログ - 教えて神主さん!⑱~宮崎県護国神社?~

教えて神主さん!⑱~宮崎県護国神社?~

カテゴリ : 
教えて神主さん!
執筆 : 
office 2014-8-15 8:24

本日は終戦69回目の終戦記念日。

宮崎県護国神社についてお話致します。

 

宮崎県護国神社の御祭神は、正殿に明治戊申の役以降国家公共に尽くした人の神霊四万一千八百十八柱、相殿に公務殉職者の神霊五十四柱がお祀りされています。現在お祀りされている神霊は、総じて四万一千八百七十二柱(平成二十六年三月現在)となっております。現在でも合祀される神霊があり、本年(平成二十六年)も四月十日の例大祭の前夜祭に併せて、合祀祭が斎行されます。また、皆さまもご存じかと思いますが、護国神社の御祭神と靖國神社の御祭神は同じでありまして、靖國神社の神霊二百四十六万六千余柱の中に宮崎県護国神社の神霊も含まれているのです。

【ご社殿の造営】
全国道府県の護国神社は殆ど明治維新の際に招魂社として創立され、戦前より慰霊の祭儀が行われていました。しかし、宮崎県は当時、小藩分立の状態等の事情もありまして、県内全域の神霊を祀る招魂社は創立されていませんでした。そこで県としては移設のできる小さな社殿を造り、毎年祭場を設営して県下全戦没者の招魂祭を執り行っていました。
昭和十六年十二月大東亜戦争の勃発により戦没者の数が急増し、護国の英霊に対する県民の感謝と敬揚の念が次第に深まりました。そこで県民の要望に応えるため、当時の知事をはじめ各界の代表者が設立者となって、宮崎県護国神社建設奉賛会を組織されました。

昭和十八年四月二十三日に内務大臣の許可を得て、鎮座地を宮崎市下北方の高台(現宮崎市立大宮中学校)に定め、同年五月十日に地鎮祭を斎行、建設工事に着手しました。

創建予定地地図

 

しかし、昭和二十年三月十七日には硫黄島が玉砕、ついに宮崎県下もアメリカの戦艦機の編成による空襲をうけ、建設は思うように進みませんでした。連日の空襲により、同年五月三十一日を以て建設工事を中止し、そのまま昭和二十年八月十五日終戦を迎えました。終戦後は神道指令により、宮崎市内では学校等の神棚を宮崎神宮に集めて消却し、また護国神社におきましても創建奉賛会の解散を命じられ、当時の宮崎軍民生部長官マスマン少佐の厳命により建設途中の社殿は解体、土地を手放すこととなり、建設の放棄を余儀なくされました。
しかしその後、講和条約の発効を見るに至り、護国神社再建の要望が澎湃(ほうはい)として起こったので、昭和二十八年四月に宮崎県護国神社政権奉賛会を組織して、県民の浄財をつのり神社の再建に着手し、現在地に昭和三十年三月竣工、同日鎮座祭を斎行し今日に至るのであります。

【護国神社と宮崎神宮】
宮崎神宮の西の森に創建された当初は、宮崎神宮と一体の運営がなされていました。
当時の宮崎神宮片岡宮司は「戦没された人々は、宮崎神宮をはじめ、それぞれの産土神社に武運長久を祈願して出征されたのであり、その神霊をお祀りする護国神社は、県下六百余の神社を代表して宮崎神宮が宮司以下全員無報酬により護持する。大祭には県下の全神職が奉仕する精神を以て神社庁支部長も奉仕する。時代の変革あるも宮崎神宮の現存する限り護国神社の祭祀を欠かさないようにする。」との方針をもって維持運営されていました。
しかしその後、ご遺族を始め多くの県民から独立神社にふさわしい運営をとの願いにより、昭和四十七年四月より専任の職員を置くようになりました。

【例大祭】
護国神社では、県内神職の奉仕により毎年四月九日に前夜祭併せて合祀祭、四月十日に例大祭が斎行されていますが、本来の例祭日は三月十日でありました。これは昭和三十年三月十日に合祀鎮座祭が斎行されたことに由来します。しかしながら、宮崎県戦没者等慰霊奉賛会会長より、三月十日は例年定例の県議会開催中につき、慰霊奉賛会総裁(知事)、会長(県議会議長)の参列が困難であるとのことから、例祭日変更の申し出がありました。また、県下の一万二千人の遺族にとっても、時期的に肌寒いため参集が困難であるという事情も考慮して、例祭日は昭和五十三年に四月十日と改められ現在に至ります。
このような事情から例祭日が変更されたにもかかわらず、近年、例大祭総裁は祭典終了後にお参りされています。公私共にご多忙であり、社会情勢を踏まえての事と存じますが、県民を代表して日本国に命を捧げられた神霊に対して、堂々と参拝をされます事を切に願います。

【現在の護国神社】
現在、宮崎県内の御遺族は約一万人近くを数えます。しかし御遺族の高齢化とともに、参拝者は年々減少の一途をたどっているのが現状です。この状況に危機感を抱き、戦没者遺族の意思を継承をすべく、平成二十五年十一月には御英霊の孫、曾孫を中心に組織する「宮崎市遺族連合会青年部」が設立され、慰霊祭等の活動が行われています。
平成二十七年は終戦から七十年の節目にあたります。改めて先人達の尊い犠牲の上に、今の平和な国日本があることに感謝をするべきではないでしょうか。我々の使命は、祭祀を通して御英霊を顕彰することはもちろんのこと、平和な世の中と命の尊さを後世へと語り継ぐことだと思います。

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