宮崎神青ブログ - officeさんのエントリ

初詣は氏神さまから

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神青会からのお知らせ
執筆 : 
office 2018-12-24 13:34

新年になり、その年初めて神仏に詣でることを云います。
先ずはお住まいの地域の神社である氏神さまにおいて、新しいご神威を御自身の体いっぱいにお受けなり、豊かな幸多き年となりますようお祈り申し上げます。

殊に、今上陛下におかせられては平成31年4月30日を以てご譲位遊ばされ、翌5月1日には新帝の御代が開かれます。

日本の悠久の国柄に思いをいたし、私たち日本人にとって大切な節目の年のはじめに、改めて平成の御代に感謝申し上げるとともに、皇室の弥栄と我が国の平安を祈念いただきたく存じます。

 

なお、平成31年の厄年、年祝は以下の通りです。

厄年について

最近では、厄年を厄難を受けることが多い年であるとか、忌み嫌うことのみ強調されていますが、本来は「厄=役」でもあり、世の中のお役に立つこと、その様な年まわりとなったことをお祝いする年でもありました。
前厄、本厄、後厄の3年間は厄祓等を受けられ、人生の大きな節目を大過なくお過ごしいただきたいと思います。

 

◎平成31年厄年一覧

女   性 男   性
前厄 本厄 後厄 前厄 本厄 後厄

平成14年生

18歳

平成13年生

19歳

平成12年生

20歳

平成8年生

24歳

平成7年生

25歳

平成6年生

26歳

昭和63年生

32歳

昭和62年生

33歳

昭和61年

34歳

昭和54年生

41歳

昭和53年生

42歳

昭和52年生

43歳

昭和59年生

36歳

昭和58年生

37歳

昭和57年生

38歳

昭和35年生

60歳

昭和34年生

61歳

昭和33年生

62歳

※年齢は数え年です。(平成31年になる歳に1歳足して下さい。)

※誕生日に関わらず1年間が厄年にあたります。

※厄年の3年間を無事に過ごされたことを、神様に奉告し感謝する厄明奉斎(御礼参り) もお忘れなく。

 

平成31年年祝い一覧 

祝名 意味 年齢 生まれ年
還暦(かんれき)  生まれた年と同じ干支が巡ってくる年   61歳    昭和34年生
古希(こき)  杜甫の「人生七十古来稀なり」という一節にちなんだもの   70歳  昭和25年生
喜寿(きじゅ)  「喜」を略字で「七十七」と書くことから   77歳  昭和18年生
傘寿(さんじゅ)  「傘」を略字で「八十」と書くことから   80歳  昭和15年生
米寿(べいじゅ)  「米」を分解すると「八十八」と書くことから   88歳

 昭和7年

卒寿(そつじゅ)  「卒」を略字で「卆」と書くことから   90歳

 昭和5年

白寿(はくじゅ)  「百」から一を取ると「白」という字になることから    99歳  大正10年生

お祝いの年を無事に迎えられたことに感謝し、これからも清々しくお過ごしになられますようお祈り致します。

 

※必要な方はご利用ください。(厄年等一覧表→PDFファイル

 

 

1300年

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その他
執筆 : 
office 2018-10-23 21:33

神社では様々なおまつりが執り行われますが、

”式年祭”をご存知でしょうか???

”しきねんさい”と読み、定まった年ごとに行われるおまつりのことです。

 

そんな式年祭が去る10月21日、延岡市恒富町鎮座の春日神社にて斎行されました。

 

春日神社では50年毎に式年祭が斎行されているようで、本年はなんと

御鎮座”1300年”の式年大祭。

つまり神社が創建されたのは、養老二戌午年(718)となります。

日々の祈り、節目のまつりの上に1300年という永い歴史が生まれたことと思います。

 

祭典は厳粛裡に斎行され、多くの方がご参列になられていました。

 

前日には、お神輿が午前6時に神社を出発、今回初となるお神輿が愛宕山に登る「登拝渡御」を経て約20キロの行程を御巡幸され、午後8時頃に神社にお帰りになられ、さらには、午後1時から午後9時まで35年ぶりに夜半式神楽も奉納され、22番が舞われたそうです。

 

私は、まつりは地域のバロメーターだと思っています。

後刻執り行われた祝賀会にて前日の様子を映像にて見ることができましたが、非常に盛大な様子から、地域の絆の強さを痛感致しました。

さらに、普段見ることのなかった地域の中の当会先輩の様子を垣間見れたことは

新たな発見となりました。

 

ちなみに春日神社には当会会員が奉職しており、お優しい?先輩夫妻の下で日々勤しみ励んでおられることと思います。

1300年という悠久の歴史を紡いで来られた先人達に感謝の気持ちを忘れることなく、おそらく二度とないであろう式年祭の経験を糧として更なる成長を、偉そうに先輩風を吹かせながら期待致したく存じます・・・

 

最後になりますが、春日神社を中心として地域が弥益々にお栄えになられますことを

心よりご祈念申し上げます。

終戦記念日

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神青会からのお知らせ
執筆 : 
office 2017-8-15 9:12

全国指定護國神社詳細はこちら
 

奉納雅楽音楽祭のご案内

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神社からのお知らせ
執筆 : 
office 2017-7-29 16:23

下記にて雅楽の演奏会が開催されます。

夏の夕べに雅楽の調べを嗜み、雅なひとときを過ごしませんか?

お誘いあわせの上、是非足をお運びください。

 

            記

日 時 平成29年8月10日(木) 19時~20時30分

場 所 宮崎県護國神社(詳細はこちら

入場料 無料

※梅若流 名取大師範 浅野晴香さんの民謡、尺八、三味線の演奏もございます。

※盆踊りも予定しています。

 

試された覚悟

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活動報告
執筆 : 
office 2017-6-3 18:20

4月末のこと、東京出張中に後輩からとある文書を受け取ったと連絡が入った。

 

なんでも平成28年8月15日に当会が発刊致した

「大東亜戦争終結七十年誌~守ルベキモノ、伝ユベキモノ。~」を

恐れ多くも表彰してくださるとのことであった。

 

このことには素直に喜んだ。

 

ご理解ご協力をいただいた多くの方々、さらには尽力いただいた会員の想いの結晶が

目に見える一つの結果として表れ、そして何よりもご英霊より「まぁそれなりによくやったよ」との

お言葉を賜ったような気がしたからである。

 

とうことで、去る5月26日

空路東京へ。

 

東京大神宮マツヤサロンにて開催された表彰式に出席した。 

 

当会を含めて5名の方が表彰され、その中には長野県神道青年会も含まれていた。

 

その表彰内容は、当会と同じ趣意。

調査開始より十年を経て、発刊に至ったそうである。

長野県神道青年会は、去る4月26日に開催された神道青年全国協議会総会において

めでたく”最優秀”広報賞を受賞された。(ちなみに当会は”優秀”広報賞・・・)

どちらが上だっただの何なのはさておき、同時期に同じ想いで発刊した両会である。

これを契機に情報交換等を行い、共に英霊顕彰はもとより諸活動に邁進していければと思う

ばかりである。

 

と、ここで終わりそうな今回のブログであるが、私には心にひっかかることがあった。

 

奇しくもそれは表彰式の数日前、とあるご相談を受けたことにある。

実家の庭に戦没者の慰霊碑があり、この度家を取り壊すこととなり、この慰霊碑を

如何すれば宜しいかとのことであった。

当初慰霊碑は近くのお寺に建立されていたようだが、その後お寺から離れることになり、

これを哀れに思われた相談された方のお父様が引き取り、現地に移設され個人的に

護ってこられたそうだ。

役所に相談されたところ、遺族会所有の慰霊碑付近に移設しても構わないが、移設費用は

自己負担とのことで、ご英霊への想いと板挟みになりその対応に苦慮されていた。

 

私には答えが出せなかった。

 

今回の様な場合を含め、これまでに様々な理由で消滅してしまった慰霊碑等、

そしてそれに刻まれていたご英霊の名はどれほどあるのだろうか。

 

冊子のあとがきにはこう記している。

我々は覚悟を持って氏神さまの祭を通して日本人の心を守り、次世代へと伝える使命が

あるのだと思います。

各地域の祈りが、ご英霊が願って止まなかった美しい祖国の繁栄はもとより世界の

共存共栄へと繋がりますことを節に祈念致します。

 

もちろん発刊した事が全てではなく、これから先が重要なことは分かっていた。

しかしながら、気の緩みがあったのだろう。

 

さっそく、その覚悟というものを試されたような気がしたのだ。 

基本

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活動報告
執筆 : 
office 2017-5-13 20:56

去る5月4日、当会宮崎市支部恒例となっております「おいらん道中」においての

雅楽演奏を執り行いました。

 

本番前の着替え・・・

「やっべぇ!足袋忘れた!!どんげしよぉ!!!」

「僕、予備で持ってきてますよ!」

「マジで!ありがとう!あっ、でもサイズ何cm?」

「とりあえず履いてみてください。」

「おーーーピッタリやん!」

 

さすがに7回目ともなると忘れ物する人もいないかと思われましたが、
まさかのまさか。

しかしながら、どうにか無事本番を迎えることができました。
 

この日は初めての雨天の為、アートセンターでの開催となりました。

曲目は①越殿楽、②陪臚

 

そして・・・

 


不安げに出番を待つ人・・・

 

まだかな~まだかな~ 
 


今年デビューの中武会員による

 

朝日舞(✧≖‿ゝ≖)ドヤァ

 

練習ではダメだしの連続でしたが、頼りがいのある川村先輩から基本からみっちりと

指導を受けたかいがありましたね。


終了後のバラバラの一礼。

基本的に拝の角度は皆同じのはずですが???

お恥ずかしい・・・

 

何はともあれ滞りなく終えることができ、有難いことに早速次回の出演依頼もいただきました。

 

曲目どうこうではなく、基本練習をしっかりと重ねて更にパワーアップして

来年に臨みたいと思います。

 

その前に次回参加時の目標は、

 

忘れ物ゼロ!!!!

 

まさに基本ですね・・・

至福の一服

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活動報告
執筆 : 
office 2017-5-3 11:01

私が会長に就任した際に、とある方から少し高級なタバコをいただいた。
とは言っても、決して何千円もする代物ではない。
貧乏性な私はちびりちびりと吸っていたのだが、ある日
「最後の1本は会長の任を終えた時に吸おう」
何故か心にそう決めたのだ。

そしていよいよ任期最終日。
「総会挨拶」
私が当会第二十二代会長を仰せつかってより早二年。

御陰をもちまして任期最終日にあたる本日を、清々しく迎えることができました。

生まれながらの非才はおおうべくもなく、皆様方には多々ご迷惑をおかけし、

さらには当会の名を汚すことはあったかもしれませんが、次期へ襷を繋げるという最低限の

役目を果たすことができますこと、誠に有難く衷心より厚く御礼申し上げます。

神道青年会とは不思議な組織であります。

と、申しますのはこの二年間、会員の中で最も多くの時間を共に過ごしたであろう事務局長で

さえ、その日数は全体の一割程。役員ですらせいぜい月に一度二度、一般会員となると、

皆無に等しく顔を合わすことの方が珍しい組織であります。

では何故に戦後の混迷期にあって互いに連携して道を開かんとして結成され、再来年には

創立七十周年を迎える当会が、先輩諸賢の弛まぬ努力は言うまでもありませんが、何故に

現在まで継承されてきたのでしょうか。

昨年、「大東亜戦争終結七十年誌、守ルベキモノ、伝ユベキモノ」の発刊を致しました。

発刊にあたりましては、多くの会員が日々忙しい中におきまして、各地区慰霊碑に足を運び

調査、撮影、さらには地区遺族会関係者に直接話を聞いていただいたという発刊に至るまでの

過程こそが結果以上に非常に重要なものであったと考えたわけでございます。

ああ、なるほど。当会のつながりというのは、

同じ時間をどれくらい過ごしたかではなく、

時間軸の同異に拘わらず同じ目的を持った時間をどれくらい過ごしたか、

このことに尽きると思う次第でございます。

さらに、それを続けること。
私の大好きなサッカー選手、五十歳を迎えた今もなお、現役でプレーを続けるキング・カズこと

三浦知良選手。カズの代名詞の一つに挙げられるのが、カズダンス。このカズダンス、ただ

踊るだけはありません。ゴールを決めないと踊れないのです。

肉体的な衰えをものともせず、ひたすらにチームを勝利に導くゴールを追い続け、懸命に取り

組まれる姿に皆が感銘を受け、当初は、チャラチャラしている等の批判もあったダンスも、

 

会場が一体となった東日本大震災復興チャリティマッチでゴールを決めた後のダンスに

象徴されるように、今では多くの方に受け入れられ、

「何でもないことなのだが、続けてきて良かった」と仰っていました。

何においてもそうですが、目的や信念を持って事にあたり、それを継続することが非常に大切で

あり、それが如何に難しいことなのかと、この二年間で強く感じました。

さぁいよいよ会長以下役員も一新され、新しい二年間の始まりです。

卒会される方、新しく入会する方、役員になられる方、退く方、それぞれ立場は異なります。
最後までカズの話で申し訳ないのですが、一九九三年ドーハの悲劇を経験し、一九九八年

フランスワールド杯出場が叶うも、直前での代表落選。カズは自問自答したそうです。
「お前はここからどう生きるのか」
思えば「あの日からがサッカー人生の始まりだったかもしれない」と後に答えています。

私自身もそうですが、会員の皆様も、もしかしたら本当の意味での神主人生は未だ始まって

いないのかもしれません。各々が後に振り返って、あの時から始まったのだと実感できる年と

なりますよう、目的を持って毎日を大切にお過ごしいただければと思います。

最後になりますが、先ずは健康に十分ご留意いただき、皆様の今後の益々のご活躍を

心からご祈念申し上げます。

みんな!がんばれよ!

早口、小声、さらに滑舌もあまり良くない、最悪の三拍子が揃った私にとって、
挨拶という最難関をどうにか突破。

そして、予定されていた議案も滞りなく承認され、ついにお役御免となったのである。

引き続き、場所を変えて新体制主導のもと卒会者、新入会員を交えての懇親会も
盛大のうちに終了し、後輩と談笑しながら徒歩で家路へついた。

後輩と別れ、自宅の前であのタバコに火を付けた。

大きく吸い込み、我が家の庭で夜空を元気に泳ぐ鯉のぼりを見上げながら、
大きく煙を吐き出した。

ゴホゴホゴホッ???

やはりまだまだ頑張りが足りなかったか、もしくはただ単に飲み過ぎたか。

思い描いていた至福の一服とはいかなった・・・

熊本の元気をみんなへ

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活動報告
執筆 : 
office 2017-4-22 12:32

前回の続き(前回はブログはこちら

 

第一部に引き続き、「熊本の元気をみんなへ」をテーマとして復興イベントを開催致しました。

 

学校法人加寿美学園熊本中央高等学校
明治36(1903)年10月1日創立され、「良妻賢母」と創立100周年を契機に、男女共学とし「高志躬行」を校訓と掲げ、本年で113周年を迎える伝統ある学校です。
貞明皇后陛下御歌(大正天皇の皇后) 大正11年9月20日御下賜
いとどしく降り積む雪を千代ふべき松はものともおもはざるらむ
しっかりと大地に根をおろし、長い歳月風雪に耐え抜いてきた松の姿に、いくたびの艱難辛苦を乗り越えて、今日がある学校を例えられたものであります。

皇室から直接お目をかけていただいた数少ない学校の一つです。

 

吹奏楽部による演奏

部員数15名。
「やるときはやる、楽しむときは楽しむ」のけじめをつけ、家族のように仲良く楽しく日々の練習に取り組んでいます。去る3月20日には、初めての試みとして「第一回定期演奏会」が開催されました。

 

書道部による書道パフォーマンス

部員数7名。
書くときは熱く!勉強は教え合い!あとはのんびり楽しく!をモットーに揮毫大会、高校書道展に向けての作品制作、校外でのパフォーマンス書道、諸作品展への出品を行っています。
それぞれの進路に向かって勉強し、また書道以外の習い事とも両立しながら頑張れる活力ある部活動です。
今年度7月に開催される全国高等学校総合文化祭宮城大会に出場されます。

 

肥後神楽奉納

肥後神楽は熊本県の主に北部地域に広まっており、その起源は詳らかではありませんが、室町時代にはその名称があったとの記録もあり、何百年かの歴史があると推察されます。

十二座からなる肥後神楽の中から、各神社のご神宝の刀で舞う一人舞であり、神様の御神徳を称え奉る宝剣(ほうけん)の舞を奉納していただきました。

 

交聲曲「海道東征」 グルッポ・ヴィーヴォ海道東征合唱団

海道東征は北原白秋作詞、信時潔作曲。日本書紀や古事記を基に日本の創世記を謳った日本初のオーケストラと声楽が一体となった交聲曲で、皇紀二千六百年記念の祝典で演奏されました。

戦後はタブーとしてほとんど演奏されなかった曲ですが、北原白秋の第二の故郷である熊本県でやろうと決心され、現在では様々な場所で演奏されています。

 

済々黌応援団OBによる応援!

明治12年に創設された同心学舎に源を発し、明治15年に済々黌として創立、今年創立130有余年を誇る伝統ある学校です。

済々黌の応援団は、日本有数の歴史を誇る熱きバンカラ応援団で、2013年には55年ぶりに第85回センバツ高校野球大会にて応援団賞優秀賞を受賞されました。

熊本はもとより東北、さらには日本全国へエールを送っていただきました!

 

応援団ではありません・・・(笑)

 

「熊本よ、弥栄、弥栄、弥栄」

本事業の〆として神道青年全国協議会 長友安隆会長先導のもと弥栄を三唱致し、

予定されていた全てを滞りなく終えることができました。

 

向後とも早期復興へ向けて、九州各地の会員が共に手を携えて微力を尽くしていく所存でございますので、

皆様方には少しでもお心寄せをいただければ幸甚に存じます。

 

最後になりますが、ご協力いただきました関係各位に衷心より厚く御礼申し上げます。

 

がんばるけん!くまもとけん!

 


 

一年の節目に・・・

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活動報告
執筆 : 
office 2017-4-19 14:46

熊本地震発生より一年の節目にあたる4月14日、

熊本地震復興祈願祭を熊本県水前寺成趣園能楽殿にて斎行致しました。

 

主催 神道青年九州地区協議会

後援 九州各県神社庁連合会

 

協力 出水神社

神苑「成趣園」を境内とする出水神社は細川家歴代藩主を祀り、報恩の誠を捧げる有志により明治十一年に創建され、生活の守護神として御神徳を仰ぐ人々の参拝で終日賑わいをみせています。

 

趣旨

平成28年4月14日より発生した熊本県益城町を震源とした「熊本地震」より一年がたちます。今なお避難生活を余儀なくされ、様々な困難と隣り合わせで生活する被災者は数多く、元の生活に戻るには長い年月と多くの労力を要することが予想され、先行きの見えない未来に不安を感じられています。
しかしながら、当初は連日のように取り上げられていた現地の様子を伝える報道は日に日に減少し、同じ九州で生活している人々ですら、被災前と変わらない状況であるかのような錯覚を覚えてしまう現状にあります。
そこで、私たちは神職の本分である「まつり」によって、お亡くなりになられた御霊に対し慰霊の誠を捧げ、神々に対し祈りを捧げるべく「熊本地震復興祈願祭」を斎行することとなりました。また、これにあわせて「熊本の元気をみんなへ」をテーマとして音楽等の奉納演奏も行います。
本事業を通して、被災地の現状をより多くの人々に発信し、地震の記憶を風化させることなく、一人でも多くの人々が被災地に心を寄せ、復興への歩みを推し進める一助となることを心から願います。

 

第一部 午後1時 熊本地震復興祈願祭

参列者全員による大祓詞奏上

 

祭詞奏上

 

祭員一覧

氏名 単位会 奉務神社 所役
小野 眞一郎 大分県 早吸日女神社 斎主
平江 智仁 熊本県 松橋神社 陪膳 

戸川 健士

佐賀県 唐津神社 膳部 警蹕
貴島 吉紀 鹿児島県 花尾神社 祝詞後取 一の手長
佐師 正教 宮崎県 田ノ上八幡神社 斎主玉串後取 二の手長
幸山 慎太郎 熊本県 赤水白山比咩神社 前導 参列者玉串後取
西高辻 信宏 福岡県 太宰府天満宮 祓主
岩松 正高 長崎県 松島神社 大麻所役
村松 大輔 大分県 八幡朝見神社 塩湯所役
串間 慶士 宮崎県 宮崎神宮 典儀
内村 泰彰 熊本県 阿蘇神社 楽太鼓
秋永 一憲 大分県 雲八幡神社 鞨鼓
長友 貞治 福岡県 宗像大社 鉦鼓
山田 大輔 大分県 宇佐神宮 鳳笙
戸高 宗徳 福岡県 太宰府天満宮 鳳笙
是則 慶秀 福岡県 竃門神社 篳篥
野澤 佳穂子 長崎県 温泉神社 篳篥
吉武 誠礼 福岡県 宗像大社 龍笛
茶木 俊介 鹿児島県 鹿児島神宮 龍笛
磯畑 希充子   太宰府天満宮巫女 楽箏
今丑 いづみ 熊本県 健軍神社 舞人

 

 

浦安の舞

天地の神にぞ祈る朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を(昭和天皇御製)

 

祭典では、九州各県の名水をお供え致しました。

 

場所 品名
福岡県宗像市 天の真名井(あめのまない)
佐賀県神埼市 金剛水(こんごうすい)
長崎県島原市 江里神社の湧水(えりじんじゃのわきみず)
熊本県阿蘇市 神の水(かみのみず)
宮崎県高千穂町 塩井川の湧水(しおいがわのゆうすい)
鹿児島県垂水市 財宝(ざいほう)
沖縄県南城市 受水走水(うきんじゅはいんじゅのみず)

大分県別府市

萬太郎清水(まんたろうしみず)

 

熊本地震では、出水神社も鳥居の損壊など大きな被害を受けられました。

 

さらに成趣園池の水量も著しく減少。

 

現在でも水量は地震前の三分の一程度しか戻っていないようです。

 

世界一の地下水都市とも云われる熊本県。

これからか先も我々の生活にとって重要な水が、絶え間なく流れ続けますよう祈りつつ

祭典終了後には、水前寺保育園園児が成趣園池に上記の名水を献水致しました。

 

神代の昔、イザナギノミコトとイザナミノミコトは、大八島(日本列島)をお生みになり、さらに海や川、木や山、自然の風や霧などの森羅万象を司る多くの神々をお生みになりました。
爾来、日本人は神社や祭を通して自然と共存共栄し独自の文化を紡いできました。
もとより、人の力では為す術の無い自然に対して人々に与えられたのは祈りのみであり、全身全霊で祈るその意志の力によって守られることは多くあります。
日本国内の彼方此方、隅々にまでひっそりと鎮座される氏神さまは八万社を数えます。
当たり前という有難い日々に感謝の気持ちを忘れることなく、氏神さまでの日々の祈りや節目のおまつりを通して一人一人の小さな祈りが、日本の安寧へと繋がりますことを切に願うばかりであります。

 

第二部へ続く・・・

 

心に染みる雨

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活動報告
執筆 : 
office 2017-4-10 17:29

本日、午前10時より宮崎県護国神社例大祭が斎行されました。

恒例により当会からも数名が祭典奉仕、またお手伝いをさせていただきました。

 

桜は満開ながらも、昨年に引き続き雨となりました。

 

県内各地より遺族が多数参列されていました。

県内各地の氏神さまで斎行される例祭ですが、おそらく参列者は最も多いと思われます。

 

みたま慰めの舞

 

辺りを見渡す限り、ご高齢の方が多数見受けられました。

私自身、宮崎県神道青年会会長として玉串奉奠をさせていただきましたが、

その中ではおそらく最年少だったのではないかと・・・

勝手ながら若者代表として思いの丈を捧げ、今後の神青会の役割を強く

認識致しました。

 

祭典後の宮崎県戦没者等慰霊奉賛会総裁であります河野知事の挨拶でも

ありましたように、御英霊にとっては雨とは如何なるものだったのしょうか。

 

行軍を妨げる雨、太陽の光を奪う雨、渇きを潤す雨。

 

御英霊にとっては生死を左右する非常に重要なものであったのだと

深く考えさせられました。

普段何気なく考える天気ですが、本日は心に染みる雨となりました・・・

 

土砂降りに加えて、非常に肌寒い中での祭典でしたが恙なく斎行されました。

 

昨年8月15日に、当会では大東亜戦争終結七十年記念誌

「守ルベキモノ、伝ユベキモノ」を発刊致しました。

 

本日ばかりは改めて読み返していただき、現在の日本の礎となられた

御英霊に対して感謝の気持ちを新たにされまして、謹んで哀悼の意を捧げて

いただければ幸甚に存じます。

 

記念誌詳細はこちら(HPトップページからもダウンロードできます。)

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