宮崎神青ブログ - 20130127のエントリ

「きげんさい」と読みます。

 

我が国の建国を祝うお祭りで、2月11日の建国記念の日に全国の神社で斎行されます。

姉妹神青を結びました奈良県の橿原神宮では、例祭(神社で最も重要な祭典)として斎行されます。

 

そもそも日本の建国っていつ???

 

日本には、元号、西暦(西紀)、紀元(皇紀)の3つの紀年法があります。

この3つの中で、「紀元」は殆どの方がご存知ないのではないでしょうか?

これは「日本書紀」の記述を基にしたものです。

宮崎神宮のご祭神・神武天皇は15歳の時に皇太子になられ、宮崎に都を定められました。

しかし、この国の人々が豊かに暮らせるようにするには、四方を青い山にかこまれた大和

(奈良県)に都をおくのがよいと思われ、45歳の時に宮崎をおたちになり、大和へ向けて

すすまれました。そして、宮崎をおたちになって7年目の正月朔日(現在の2月11日)に

畝傍の橿原の地に宮殿を建て第一代の天皇にご即位されました。

この年を”紀元元年”(建国記念日)とし、平成29年は紀元2677年にあたります。

神武天皇御即位の御聖勅(宮崎神宮蔵)
 

紀元表記が見直されたのは、明治以降のことです。

それは「神武創業ノ精神ニ原キ」との明治維新の原点回帰を見れば当然のことと思われます。

先に紹介しました「橿原神宮」は紀元2550年(明治23年)に創建。

また紀元2600年(昭和15年)は、国史上未だかつてない程に「紀元」が注目されました。 

全国規模で奉祝事業が展開され、宮崎県にあっては、八紘之基柱(平和の塔)の建設や、

上代日向研究所の設立、神武天皇の聖蹟保存顕彰などが実施されました。

 

ところがその後、終戦による占領軍の神道弱体化を意図した「神道指令」(昭和21年12月

15日発令)や、西洋文化の流入・国際化の歩みの中で「紀元」は過去の遺物として忘れられ

つつあります。

 

世界にも、国の文化や歴史に根ざした様々な「紀元」が存在しています。

各々の国民が独自の紀元を尊重して、それを意識的に護持していきたいもです。

現在の日本人が忘れつつある「国を愛する心」を養うためにも、建国をしのぶことはとても

大切なことと考えます。

建国記念の日には、是非ともお近くの神社へお参りされて下さい。

 

橿原のとほつみおやの宮柱 たてそめしより国はうごかず (明治天皇御製) 

 

紀元2677年(平成29年)

 

紀元2676年(平成28年)

 

紀元2675年(平成27年)

 

紀元2674年(平成26年)

 

紀元2673年(平成25年)