宮崎神青ブログ - officeさんのエントリ

あけましておめでとうございます

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office 2016-1-1 0:00

良いお年を

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office 2015-12-30 21:36

平成28年厄年、年祝について

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神社からのお知らせ
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office 2015-12-27 18:09

平成28年の厄年、年祝いの一覧です。

節目の年に当たりますので、祈願をお受けいただきまして、これからも清々しくお過ごしになられますようお祈り申し上げます。(厄年についてはこちら

◎平成28年厄年一覧

女   性 男   性
前厄 本厄 後厄 前厄 本厄 後厄

平成11年生

18歳

平成10年生

19歳

平成9年生

20歳

平成5年生

24歳

平成4年生

25歳

平成3年生

26歳

昭和60年生

32歳

昭和59年生

33歳

昭和58年

34歳

昭和51年生

41歳

昭和50年生

42歳

昭和49年生

43歳

昭和56年生

36歳

昭和55年生

37歳

昭和54年生

38歳

昭和32年生

60歳

昭和31年生

61歳

昭和30年生

62歳

※年齢は数え年です。(平成27年になる歳に1歳足して下さい。)

※誕生日に関わらず1年間が厄年にあたります。

※厄年の3年間を無事に過ごされたことを、神様に奉告し感謝する厄明奉斎(御礼参り) も受け付けています。

 

平成28年年祝い一覧 

祝名 意味 年齢 生まれ年
還暦(かんれき)  生まれた年と同じ干支が巡ってくる年   61歳    昭和31年生
古希(こき)  杜甫の「人生七十古来稀なり」という一節にちなんだもの   70歳  昭和22年生
喜寿(きじゅ)  「喜」を略字で「七十七」と書くことから   77歳  昭和15年生
傘寿(さんじゅ)  「傘」を略字で「八十」と書くことから   80歳  昭和12年生
米寿(べいじゅ)  「米」を分解すると「八十八」と書くことから   88歳

 昭和4年

卒寿(そつじゅ)  「卒」を略字で「卆」と書くことから   90歳

 昭和2年

白寿(はくじゅ)  「百」から一を取ると「白」という字になることから    99歳  大正7年生

お祝いの年を無事に迎えられたことに感謝し、これからも清々しくお過ごしになられますようお祈り致します。

女子神職の育児奮闘記です。

おっぱい編はこちら
では第2子出産「余裕のよっちゃっん」遍のはじまりはじまり・・・

二人目の妊娠はつわりこそひどくない方だが、
横になっていると長子に起こされるので休むひまもなかった。
妊娠期間はわりと順調。
とうとうおしるしが来た。
長子と同じ午前0時フライングということもあるのでとりあえず寝た。zzz
 

が!
じくじく痛んでくる
午前2時病院に連絡、早目だが経産婦なので来てくださいとのこと。
準備して、4時ごろ家族3人で病院へ。
陣痛室へ通されるが、経産婦だから早く生まれるかもと分娩室へ通される。
最新型の大きさの違う丸が3つ、串団子のようなピンクのベッドの上で
点滴につながれ冷静に陣痛と向き合う。


「ひっひっふー」
ラマーズ法も完ぺき!
「さすが経産婦さんね、うまいわね」と言われ
隣は初産婦さん、痛い痛いと泣いている。
「隣の初産婦さんより先に生まれるかもね~」と言われていたが、
あれよあれよと言う間に彼女は出産。
私、感動(T_T)
 

徐々に陣痛がきつくなる
「さすがね、経産婦さん落ち着いてるわね」
「おかあさんがんばれぇ~」
頭の傍で主人と長子がついていてくれる。
でもきつい・・・
主人いわくまだ「余裕ぶっこいて」たらしい。
子宮口6㎝ここから進まない。

おなかのややは陣痛の痛みを助長するようにぐるぐる動く、

い・だ・い。
でも外の世界に顔を出すのをためらっているようで
私のメンタルも徐々に
「いたいいぃいいたいよぉもういや~」
泣いた。
ずっと「痛い」しかいってない。


母登場!
「おかあさあぁあん」泣く、励まされる。
そしてとうとう半泣きで
「無痛分娩にしてくださあい」

・・・
「ないのよ~」
とあっさりいわれ、しくしく(T_T)

助産師さんが「ずっとトイレいってないよね?」
膀胱に尿が溜まっていると赤ちゃんが産道を通る邪魔になるらしく、尿道管挿入初体験。
女性の方が痛いとのうわさを聞いていたが、おしもは麻痺しているらしくどうもなかった
ボーっとしてきた。

 

助産師さんが
「食事もとってないよね?御主人ウィ○ーインゼリーとチョコレーと買ってきて」
黒いチョコレート苦手なのにと思いながら口にすると、目がカッと開き視界が明るくなった。
どうも餌切れしていたらしい。


そうこうしているうちに長子、お母さんを応援することにも飽きてきて
「ねえまだぁ~?まだ産まれないのぉ?」と退屈しだした・・・
「そうっすよねー!はやく産みたいんすけどねー!」
とうとう私のメンタルも限界。
促進剤は使いたくなかったが、母子共の体力を考えてのことだったので了解した。
 

ここで数日前に高熱を出した時に診ていただいた研修医の先生登場。
「見学させてもらって、いいですか?」といわれ、さあどうぞどうぞ。
きたーーーーーーーーーーー!!!!!!
促進剤いたぁぁぁぁぁい
陣痛は痛みが徐々にきて最高潮になって、また徐々に治まって間休を繰り返すが、
いたみがガッツンガッツン来る!
「これか、促進剤いたいってこれか」と半泣きで耐える。
もう助産師さんの声かけなんか聞いてない。
 

若干パニック!
もうイヤ!死ぬかも・・・
「はやく産まれてえええええ」と思っていたら
「いきみたくなってきた」
助産師さんらが慌てて準備。
「いきみをのがしてまだよ、ゆっくり」
んなの聞いてられない!
もう無理、と思った瞬間「パンっ」と音がして
羊水が助産師さんの顔に直撃。
破水しました。ごめんなさい・・・。


もうここらからは、総合病院で規律も厳しいのに経産婦が取り乱したので
どうにか正気をと思ったか母、妹親子までも分娩室に。


いきみ、あっさりプリンと子供誕生。

私ぐったり
長子が処置されている赤ちゃんを見て


「かわいい、鳥原ベイビー(名前が決まってないとそうよばれるれる)かわいい」
と、それがなにより嬉しかった。
そんな長子は大暴れして実家に連れて行かれたことを
未だに覚えていて話してくれる。

そして研修医の先生、私のお股越しに満面の笑みで親指を立て
「グッジョブ!」と言わんばかり。
なんか、、、半狂乱の自分が日常にもどった。


陣痛の間休の間、当然休む。
ぐったりでウトウトとする。
主人は私が意識を失ったと思ったのか、間休のたびほっぺをぱしぱしたたいて
「大丈夫?」と起こす。


ありがとう。

 

心配してくれてありがとう。

 

もう気力がなくて、何も言えなかったけど殺意が芽生えたよ(怒)

 

続く・・・

 


 

ニイタカヤマノボレ1208

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office 2015-12-8 21:09

本日は何の日かご存知でしょうか?

 

今から74前の昭和16年12月8日。

大東亜戦争開戦の日にあたります。

 

当時の12月17日より3日間に亘り、宣戦の臨時奉幣大祭が全国の官国弊社にて

斎行されたようで、これに漏れず宮崎県内の3つの官国弊社においても同様の

祭典が斎行されたそうです。

当時の宮崎県の官国弊社とは宮崎神宮、鵜戸神宮、都農神社になります。

(官国弊社についてはこちら

 

また県内の各神社においても、以下にて斎行されたそうです。

 

宮崎神宮旧社報「美あかし」 昭和十七年一月一日発行分より

縣社以下神社に於ても 宣戰奉告の臨時大祭 夫々盛大に執り行はる
今時の宣戰奉告祭は全國各神社に於ても臨時大祭として執り行はれたが、縣下の縣社には左記の通り縣より、鄕村社には夫々市町村より幣帛供進使の參向ありて盛大に祭典が嚴修された。
十二月二十日 午前十一時 縣社 榎原神社
同 二十一日  午前 十時  同  安賀多神社
同 同       午後 一時  同  今山八幡神社
同 同      午前 十時  同  江田神社
同 二十二日  午前 十時  同  都萬神社
同 同      午後 一時  同  愛宕神社
同 同      午前十一時 同  母智丘神社
同 同      午後 一時  同  神柱神社
同 同      午前 十時  同  粟野神社
同 同      午前十一時 同  東霧島神社
同 同      午前 十時  同  生目神社
同 二十三日  午前十一時 同  霧島東神社
同 二十二日  午前十一時 同  霧島岑神社
同 二十三日  午前十一時 同  白鳥神社
同 同        同     同  槵觸神社

 

宮崎県はもとより、まさに国をあげての祭典であったことがうかがえます。

 

しかしながら、これから先は二度とない、一度きりの祭典であってほしいものです。

 

世界が平和でありますように・・・

 

詳細はこちら→日本会議宮崎ホームページ

ほっ

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office 2015-11-28 23:09

去る10月22日の話になりますが、外出先でとある風景を目にしました。

道中には紙垂のついた注連縄が張り巡らされていました。

なんか今日あるっちゃろか~と思いながら、車を運転していると宮巡隊の記憶が

蘇りました。

 

確かこの地域の氏神さまは若宮さんじゃねーじゃろか。

 

たぶんこの道を右に行って、

あっ行きすぎた!

もう一つ手前の道を右に行ったら恐らく・・・

 

ほーらやっぱりー!(若宮神社についてはこちら

 

しかも

なんと秋祭で御神幸の直前だったのです。

私自身夏祭でおみこしを見ることは多々あるのですが、秋はもしかして初めてかも・・・

 

おみこしの準備も調い、

 

露祓いの獅子を先頭に

 

目出度くにお宮をお出になられました。

 

少々雨が降っていましたが、周辺は家族連れの方など地域の方で賑わっていました。

 

若宮神社氏子区域の益々のご発展と、このお祭りが末永く続いていきますことを

心からお祈り申し上げます。

 

我々は様々な教化活動を展開しておりますが、その中で忘れてはならない

最も大切なのはやはり氏神さま。

 

氏神さまのことを知っていただき、足を運んでいただくことが全てに繋がるのだと

私は常々考えております。 

 

偶然にもなんだか心がほっとする場面に立ち会えた気が致します。

 

やっぱり氏神さまっていいですね。

 

やっぱりおまつりっていいですね。

皆様は全国に神社が何社あるか考えたことはございませんか?

 

そもそも神社とは?
神道の神々を祀るため設けられた建物、または施設の総称をいいます。
古くからヤシロ(社・神社)、ミヤ(宮)、モリ(社)、ホコラ(祠)などと呼ばれています。
年数回の祭りのたびに、霊地として神聖視される場所、すなわち村里を見下ろす秀麗な山の麓、清澄な川や泉のほとり、明るく神々しい森などに、神籬(ひもろぎ=臨時に神の座とされる榊などの常緑樹)、または磐座(いわくら=同じく自然石)を設けて神霊を迎え、終われば送り返すのが常でありました。
聖地はみだりに人の進入を許さぬ禁足地で、注連縄などを張り、木草の採集も忌まれました。
 

一般に神社の原初形態は必ずしも社殿を伴うわけではありませんでした。
語源的にはヤシロは屋代とする説が最も支持されており、祭りに際し臨時の小屋を建てる場所のことであります。祭りは一般に多く野外でなされたが、祭壇などを風雨から守るため簡易な覆い屋を設けるに至り、さらに祭りのあともその仮小屋を撤去せず、常設のものとしたのが社殿の発生と考えられるそうです。
関連して神観念も、毎年時期を定めて来臨する来訪神から、神殿に常在して人々を守る神々の信仰へと変化していったのです。

 

 

神社は祭礼行事などを通じ地域社会の住民の連帯感の育成に深くかかわる存在であったので、神社数や分布の変遷は、ほぼ地域集落のそれに比例します。 

時代 神社数 備考
8世紀 4,012郷  
10世紀 4041郷  
13世紀 10,000余  
16世紀初期 98,000郷  
明治前期 約200,000社 当時の自然村数にほぼ見合う
明治4年   近代社格制度により神社を国家の宗祀と位置づける
明治20年代   町村統合のなかで、政府は神社存立の基盤整備を志す。
明治39年 193,000余社  
  約70,000社廃合

神社合祀政策(=勅令)により、一町村一社とした。

神社を地域社会の精神的な拠り所として改めて位置づけ直し、

町村の行政力の強化を図ろうとした。神社の数を減らして残った

神社に経費を集中させることで一定基準以上の設備、財産を備え

させ、神社の威厳を保たせて、継続的経営を確立させることにあった。

一時は大いに実績を挙げたが、次第に各地に紛争弊害をもたらし、

かえって神社崇敬の観念を失わせる結果も地方には生じ、反対の

声も強くなって沙汰やみの傾向となった。

大正初年 110,000余社  
終戦当時

109,809社

終戦後はGHQの神道指令により、神道は国家の管理を離れ、

終戦後 87,218社

宗教法人登録社(神社本庁所属)

旧無格社等の中には法人手続きをしない神社もあった。

平成4年 79,165社  
平成26年 78,934社

※最も多いのは新潟県(4,737社)

次いで兵庫県(3,834社)、福岡県(3,321社)

※最も少ないのは沖縄県(11社)

次いで和歌山県(418社)、大阪府(571社)

※宮崎県は下から5番目の652社

 

ちなみに明治4年の近代社格制度とは?

明治政府によって定められた神社の格に関する制度。
維新政府は成立以来神社の全国的掌握や神社調査を進めてきましたが、その調査が一段落したので明治4年(1871)5月14日には太政官布告を公布、神社の格を大きく官社と諸社に分類したものです。 

社格 神社数 備考

官社

(かんしゃ)

当初は97社

※官幣大社29社、中社6社、小社なし
平安時代の二十二社など、朝廷にゆかりの深い神社が中心

※国幣大社は諸国一宮を中心に列格されたが当初存在せず。

中社45社、小社17社
※序列

官幣大社、国幣大社、官幣中社、国幣中社、官幣小社、国幣小社、別格官幣社
官幣社、国弊社とも官社として実質的にほとんど差違はなかったが、例祭のみが

官幣社が皇室から幣帛料が支出されるのに対し、国弊社は国庫から支出される

違いがあった。
また菊の紋章も当初は官幣社のみに許されていたが、明治七年には国弊社の

社殿装飾などにも許可されることになり、区別はなくなった。

府県社

(ふけんしゃ)

終戦当時

1,148社

諸社の最上位に位置し、府県が崇敬する神社。
三府(東京、京都、大阪)、各県のほか、北海道、樺太、台湾などにも所在した。

郷社

(ごうしゃ)

終戦当時

3,633社

府県社につぎ、村社の上位に当たる。
その地域(郷邑)の産土神を祀る神社がこれに相当した。
明治4年(1871)の郷社定則では、戸籍一区につき一社が目安とされ、産土神を

祀る神社が多くある場合は、そのうち最も主要なものを郷社として選ぶように

なっている。

村社

(そんしゃ)

終戦当時

44,934社

郷社につぐもの。明治4年(1871)の郷社定則では、郷社に付属すべき

ものとされていた。

通常村の氏神を祀る神社がこれに相当した。

無格社

(むかくしゃ)

終戦当時

59,997社

村社にも至らなかった格の無い神社。神社中、最下位に置かれた。

宮崎県では官幣大社に宮崎神宮、鵜戸神宮、国幣小社に都農神社が列格していました。

社格制度は終戦後にGHQの政策により廃止されています。

 

時代ともに変遷してきた神社ですが、先日のテレビにて、25年後には神社が4割減少するとの

話がございました。

確かに山を切り崩しそこに新たな町が誕生したとしても、その町に新たな神社を創建する

との話は現状では耳にしません。

むしろ過疎化に伴い、存続の危機にある集落の話をよく耳にします。

当然のことながら集落の消滅は、神社の消滅へと繋がります。

 

皆様方には現在ご自分のお住まいの地域、また遠く離れていたとしても生まれ育った地域の

氏神さまに心を寄せていただき、大切にしていただければと思います。

 

國護る宮

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活動報告
執筆 : 
office 2015-11-12 22:57

去る10月18日。

 

空路東京へ。

 

翌朝は懐かしの山の手線ラッシュアワーをくぐり抜け、

 

東京都千代田区九段北に鎮座の靖國神社へお参りさせていただきました。

 

目的は何かと申しますと、

靖國神社秋季例大祭第三日祭参列の為です。

言うまでもなく靖國神社には2,466,000余柱のご祭神がお祀りされていますが、

そのうち大東亜戦争で戦没された英霊は2,134,000柱に及びます。

毎年当会に祭典のご案内をいただいておりましたが、なかなか参列が叶わぬ状況でした。

しかしながら本年は大東亜戦争終結七十年の節目ということもあり、奉務神社には無理を

承知でお願いし、有難く参列させていただくこととなりました。

 

午前10時祭典開始。

国歌斉唱の後、内陣(ないじん)の御扉(みとびら)が開かれました。

普段は閉じられており、大きな祭の際などに開かれる御扉。

このことを開扉(かいひ)と言いますが、私はどの神社の祭に参列しても

開扉の際は鳥肌が立ちますが、今回はかつて経験したことのない鳥肌が。

特に顔面を覆うの鳥肌は初めてのことで、何故だか涙が溢れました。

 

祭典中ふと数年前に他界した祖母のことを思い出しました。

祖母の父が靖國神社にお祀りされており、参拝を願って止まなかったそうです。

終戦より月日は流れ、祖母もだいぶ年を数えてではあったものの、私の父母にともに

お参りでき、私の想像ですが大変喜ぶというか、ほっとされたに違いありません。

婆ちゃんの父、つまりは私の曾爺ちゃん。

出会ったことはありませんが、確かな繋がりを感じることができました。

 

人が何かをする時期には、何かしらの縁があると考えます。

英霊は

「お前には何も期待してないよ」「お前ごときに何ができるのか」

と、仰るのかもしれませんが、不肖私がこの節目に宮崎県神道青年会会長という重責を

担うことになったのは縁であると勝手に信じ込み、大東亜戦争終結七十年記念誌の発刊等

会員が一丸となって英霊顕彰事業を進めていきたいと思います。

 

富士山を最後に眺めながら、戦場へと向かった英霊もおられることだろうと思いながら

帰路につきました・・・ 

 

靖國神社の歌

 

獻納 主婦之友社
作詞 細淵國造
作曲 陸海軍樂隊

 


日の本の 光に映えて
盡忠の 雄魂祀る
宮柱 太く燦たり

あゝ大君の 御拜し給ふ

滎光の宮 靖國神社

 

日の御旗 斷乎と守り
その命 國に捧げし
ますらをの 御魂鎭まる

あゝ國民の拜み稱ふ
いさをしの宮 靖國神社

 


報國の 血潮に燃えて
散りませし 大和をみなの
淸らけき 御魂安らふ

あゝ同胞の 感謝は薰る

櫻さく宮 靖國神社

 


幸御魂 幸はへまして
千木高く 輝くところ
皇國は 永遠に嚴たり

あゝ一億の 畏み祈る

國護る宮 靖國神社

平成27年七五三詣のお知らせ

カテゴリ : 
神社からのお知らせ
執筆 : 
office 2015-10-25 12:40

本年も七五三詣の季節が近づいてまいりました。
七五三詣は3歳の男女児、5歳の男児、7歳の女児のお祓いです。

各神社では、お子様のこれまでの無事なご成長を神様に感謝し、これからの健やかなるご成長を祈念する七五三詣祈願を受け付けております。
皆様お揃いで、どうぞお住まいの地域の守護神である氏神さまへお参り下さい。

※事前にお参りになる神社へお問い合わせ下さい。(お近くの神社はこちら

 

七五三詣の由来 

 昔は乳幼児も生存率が低く、子供が大人に成長するまでの幼児期は特に病気などの不慮の病に よって亡くなることが多くありました。「七歳までの神のうち」という先人の言葉も残されているように、七歳までは神様からの授かり者であるとの意識が強く ありました。故に成長の過程において、氏神さまに祈願し子供の無事成長することを祈念したのです。

 

・3歳男女 「髪置き(かみおき)」のお祝い

昔は三歳までは頭髪から病気が入ると信じられていたので、髪を伸ばさず剃り続けていました。よってこのお祝い以降に髪を伸ばす区切りとしました。

 

・5歳男児 「袴着(はかまぎ)」のお祝い

男の子が初めて袴を着るお祝いです。

 

・「帯解き(おびとき)」のお祝い  7歳女児
 それまで紐で着ていた着物を、これ以降帯を締めるように替えました。

 

平成27年七五三詣早見表 

       7歳女児     5歳男児     3歳男女児
  満   平成20年生まれ   平成22年生まれ   平成24年生まれ
 数え   平成21年生まれ   平成23年生まれ   平成25年生まれ

※数え年で祈願するのが一般的ですが、満年齢で受けられても結構です。 

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