宮崎神青ブログ - 海外慰霊祭2日目~南洋神社慰霊祭~

海外慰霊祭2日目~南洋神社慰霊祭~

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活動報告
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office 2015-8-8 17:31

前回の続き(前回はこちら

 

6月25日早朝。

パラオはこの時期は雨期と聞いていましたが、

明け方は予想に反して意外と良い天気。

 

先ずはホテルの庭にて朝拝。

早朝から白衣の集団に出くわした宿泊客の反応は・・・

 

その後各自準備をすませ南洋神社へ。

南洋神社とは?

1929年の南洋庁統治が始まってから15年以上が経過し、南洋群島各地に民間有志による神社が創建されたが、南洋庁所在地のコロール島には神社が一つもなかった。そこで南洋庁では、南洋群島総鎮守たる神社を紀元二千六百年記念事業の一環としてコロール島に創建することとなった。
1937年(昭和12年)より、土地の選定が進められ、その結果コロール島郊外のアルミズ高地に創建することに決定した。1938年(昭和13年)1月より約2年かけて工事が行われた。
本殿は神明造・大鳥造を基調とする南洋群島の風土に適した様式とし、木材は南洋群島各地から取り寄せることになった。石材は幸いにも整地の際に良質な安山岩が大量に発見されたため、これを使うことになった。また、関係諸団体から勤労奉仕の申し出が相次ぎ、積極的に受け入れた。その他、運輸業者は資材搬入のための運賃一部免除、電気設備業者の電気設備の寄附なども行われた。
1940年(昭和15年)2月に天照大御神を祀る官幣大社として指定され、同年11月1日、御霊代を捧げ持つ勅使伊藤博精公爵を迎えて、粛々と鎮座祭が執りおこなわれた。

 

出発前のブログに記したように、戦時中私の祖父は南洋神社に奉職していました。

当時より七十数年。

孫が、しかも二人、さらには神職としてこの地に足を踏み入れることになるとは

当時は思いもしなかったことでしょう。

現在の南洋神社。

当時の石燈籠等は現存するものの、ご社殿は小さな祠となっています。

 

降りしきる雨のなか準備を終え、いよいよ定刻となり慰霊祭開始。

 

パラオ共和国戦歿者慰霊祭式次第
一、開式
一、黙祷
一、国歌斉唱(二回)
一、神事
    修祓の儀
    次に招霊の儀
    次に献饌
    次に大祓詞奏上
    次に祭詞奏上
    次に「海ゆかば」斉唱
    次に斎主玉串を奉りて拝礼
    次に参列者玉串を奉りて拝礼
    次に撤饌
    次に昇霊の儀
一、会長挨拶
一、聖寿万歳
一、閉式

 

斎主以下参進。

 

約20名で奉仕。

 

黙祷

 

献饌

 

参列者

 

聖寿万歳

 

宮崎より参加の4名

 

爺ちゃんも見てくれたことでしょう・・・

 

雨は止むどころか激しさを増しましたが、滞りなく斎行することができました。

祖国日本を守る為に散華した御英霊の御霊を慰め、今日ある繁栄と平和を奉告し、

感謝の誠を捧げました。 

 

雨の祭典。

神青協長友会長は祭典終了後の挨拶の中で

「我々の祈りがまだ足りない、足りないから雨が降ったのだ」と

涙をこらえ言葉を詰まらせながら仰いました。

はたして御英霊の胸中や如何に・・・

 

明日は激戦の地であったペリリュー島へ向かいます。

 

続く・・・

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