宮崎神青ブログ - 201508のエントリ

かぜしずめ、むしよけのまつり

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活動報告
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office 2015-8-24 16:52

去る8月19日午後2時より、当会御神田風鎮祭併除蝗祈願祭を斎行致しました。

 

この祭は、

風鎮祭(ふうちんさい)=かぜしずめのまつり

除蝗(じょこう)祈願祭=むしよけのまつり

ということになります。

 

梅雨時期の長雨で心配されましたが、すくすくと育っていました。

 

大祓詞(おおはらえのことば)奏上

 

御神田の清祓

 

本年度当番の宮崎地区会員さんのご奉仕でした。

 

準備中はかんかん照りでしたが、祭典は太陽が雲に隠れ、時より吹く風のお陰もあり

幾分心地よい中で滞りなく斎行されました。

 

田長様をはじめ関係各位には、お忙しい中にも拘わりませずご参列を賜り

誠に有難うございました。

 

さて、祭を終えて息つく間もなく台風15号が接近中です。

 

さっそく奉仕会員の祈りの成果が試されそうです・・・

 

何はともあれ大きな被害もなく、通過しますことを祈るばかりであります。

 

9月29日はいよいよ抜穂祭(ぬきほさい)が斎行されます。

 

残すところ約1ヶ月となりましたが、 関係各位には最後までご協力いただきますよう

何卒宜しくお願い致します。

大東亜戦争終結七十年

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神社からのお知らせ
執筆 : 
office 2015-8-15 14:50

本日、宮崎県護国神社にて終戦記念臨時大祭が斎行され、当会からも数名が

ご奉仕させていただきました。

 

終戦より七十年の節目。

 

畏くも天皇皇后両陛下より幣帛料の御奉納がございました。

 

祭典の中で護国神社の特殊神事として、

飢餓の米(きがのこめ)、

飢渇の水(きかつのみず)

が、お供えされました。

これは遠い戦場において、物資の輸送も途絶え、食するものもなく、飲む水も困窮するなかで困苦欠乏に堪えて、ただひたすらに故郷に残した家族達の事を思い、また祖国の安寧を祈りつつ、力の限りを尽くして、遂に空しく殉じられた御英霊のおみたまをお慰め申し上げるために奉るものであります。

 

関係各位多数ご参列の中、滞りなく厳粛裡に斎行されました。

 

本日ブログの最後に以下の詩をご紹介したいと思います。

 

『一億の號泣』
作詞 高村光太郎
作曲 田中舘貢橘

綸言ひとたび出でて一億號泣す。
昭和二十年八月十五日正午、
われ岩手花巻町の鎮守
鳥谷崎神社社務所の疊に両手をつきて
天上はるかに流れきたる
玉音の低きとどろきに五體をうたる
五體わななきてとどめあへず。
玉音、ひびき終わりて又、音なし。
この時、無聲の號泣国土に起り、
普天の一億ひとしく
宸極に向かってひれ伏せるを知る。
微臣恐惶ほとんど失語す。
ただ眼を凝してこの事實に直接し、
苟も寸毫の曖昧模糊をゆるさざらん。
鋼鐵の武器を失へる時
精神の武器於のづから強からんとす。
眞と美と到らざるなき我等が未来の文化こそ
必ずこの號泣を母胎としてその形相を孕まん。

綸言(りんげん)=天子の言葉。みことのり。
玉音(ぎょくいん)=天皇の声の尊称。
五體(ごたい)=身体全部。
普天(ふてん)=天下。
宸極(しんきょく)=天子の居所。
微臣(びしん)=主君に対し臣下が言う自分の謙称。
恐惶(きょうこう)=恐れかしこまる。
寸毫(すんごう)=極めて少ないこと。
曖昧(あいまい)=はっきりしない様子。
模糊(もこ)=ぼんやりした様子。

高村光太郎は東京の出身でありますが、当時宮澤賢治の実家である

岩手県花巻町に疎開していたそうです。
流言蜚語も飛び交い、民心不安定な中、この詩を詩ったのです。

 

日本は敗戦により鋼鉄の武器は失ったが、精神の武器が台頭し必ずや復興すると

予感されていたのです。

 

当時より七十年を経た我が国は、食べるに、飲むに苦労は無く、

さらには世界に名だたる経済大国へと発展を遂げました。

御英霊はもとより先人達の弛まぬ努力の上に、今があることを決して忘れてはなりません。

 

安保法案

憲法改正

隣国の干渉 

等々

賛否両論あることとは存じますが、

少なくとも本日ばかりは、国民挙って御英霊、戦歿者に対しまして

感謝の誠を捧げる日でありますよう心から願うばかりであります・・・

 

海外慰霊祭2日目~南洋神社慰霊祭~

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活動報告
執筆 : 
office 2015-8-8 17:31

前回の続き(前回はこちら

 

6月25日早朝。

パラオはこの時期は雨期と聞いていましたが、

明け方は予想に反して意外と良い天気。

 

先ずはホテルの庭にて朝拝。

早朝から白衣の集団に出くわした宿泊客の反応は・・・

 

その後各自準備をすませ南洋神社へ。

南洋神社とは?

1929年の南洋庁統治が始まってから15年以上が経過し、南洋群島各地に民間有志による神社が創建されたが、南洋庁所在地のコロール島には神社が一つもなかった。そこで南洋庁では、南洋群島総鎮守たる神社を紀元二千六百年記念事業の一環としてコロール島に創建することとなった。
1937年(昭和12年)より、土地の選定が進められ、その結果コロール島郊外のアルミズ高地に創建することに決定した。1938年(昭和13年)1月より約2年かけて工事が行われた。
本殿は神明造・大鳥造を基調とする南洋群島の風土に適した様式とし、木材は南洋群島各地から取り寄せることになった。石材は幸いにも整地の際に良質な安山岩が大量に発見されたため、これを使うことになった。また、関係諸団体から勤労奉仕の申し出が相次ぎ、積極的に受け入れた。その他、運輸業者は資材搬入のための運賃一部免除、電気設備業者の電気設備の寄附なども行われた。
1940年(昭和15年)2月に天照大御神を祀る官幣大社として指定され、同年11月1日、御霊代を捧げ持つ勅使伊藤博精公爵を迎えて、粛々と鎮座祭が執りおこなわれた。

 

出発前のブログに記したように、戦時中私の祖父は南洋神社に奉職していました。

当時より七十数年。

孫が、しかも二人、さらには神職としてこの地に足を踏み入れることになるとは

当時は思いもしなかったことでしょう。

現在の南洋神社。

当時の石燈籠等は現存するものの、ご社殿は小さな祠となっています。

 

降りしきる雨のなか準備を終え、いよいよ定刻となり慰霊祭開始。

 

パラオ共和国戦歿者慰霊祭式次第
一、開式
一、黙祷
一、国歌斉唱(二回)
一、神事
    修祓の儀
    次に招霊の儀
    次に献饌
    次に大祓詞奏上
    次に祭詞奏上
    次に「海ゆかば」斉唱
    次に斎主玉串を奉りて拝礼
    次に参列者玉串を奉りて拝礼
    次に撤饌
    次に昇霊の儀
一、会長挨拶
一、聖寿万歳
一、閉式

 

斎主以下参進。

 

約20名で奉仕。

 

黙祷

 

献饌

 

参列者

 

聖寿万歳

 

宮崎より参加の4名

 

爺ちゃんも見てくれたことでしょう・・・

 

雨は止むどころか激しさを増しましたが、滞りなく斎行することができました。

祖国日本を守る為に散華した御英霊の御霊を慰め、今日ある繁栄と平和を奉告し、

感謝の誠を捧げました。 

 

雨の祭典。

神青協長友会長は祭典終了後の挨拶の中で

「我々の祈りがまだ足りない、足りないから雨が降ったのだ」と

涙をこらえ言葉を詰まらせながら仰いました。

はたして御英霊の胸中や如何に・・・

 

明日は激戦の地であったペリリュー島へ向かいます。

 

続く・・・

はじめてのごほうし

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神社からのお知らせ
執筆 : 
office 2015-8-2 16:06

7月27日、28日の両日にわたり

新富町鎮座新田神社夏祭の奉仕を致しました。

(新田神社についてはこちら

 

数日前までは台風上陸の予報?!

前日までも大雨が降り天気が心配されましたが・・・

当日は最高気温35℃の快晴に恵まれました!!!

 

新田神社の御神幸では

「いぶくろ」が先頭を歩きます。

 

弓の袋を持つ弓袋持ち胃袋からきているという説があるとのことです。

 

「いぶくろ」の持つ箒に触られた所がよくなるという言い伝えから

道路には待ち構えている方が多くいました。

見た目の怖さから子供の泣き声も聞こえ、

大人の方々からも「いぶくろはおじかったがなぁ~」との声も・・・

 

1日目は新田神社を出発して「ひもろぎの里」と言われる

御祭神彦火火出命がお休みになられた伝承のある御旅所へ。

 

御旅所では新富町無形文化財の新田神楽の奉納などが行われ、

一夜を過ごしました。

 

2日目は午前9時に御旅所を出発。

10地区を廻り御還幸・・

各地区では様々な接待をしていただきありがとうございました。

 

両日ともに猛暑日。

総代さんをはじめ、担ぎ手の皆さんも年配の方が多く心配しましたが

最もバテてたのは私のような気がします・・・笑

 

2日間にわたりましてのご奉仕お疲れさまでした。

お陰をもちまして滞りなく斎行することができました。

衷心より厚く御礼申し上げます。