宮崎神青ブログ - 201603のエントリ

日本のはじまりへ。

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活動報告
執筆 : 
office 2016-3-31 13:00

去る3月7日、

初めてピーチの飛行機に搭乗し、

 

大阪を経由し、

 

奈良県の

 

橿原神宮へ行って参りました。(橿原神宮についてはこちら

 

本年は神武天皇様が橿原宮で御崩御されてより、二千六百年の節目にあたります。

その記念事業の一つとして、御創建にあたり明治天皇様より御下賜された京都御所の

内待所であった国の重要文化財である御本殿の御屋根葺替え工事をされたそうです。

 

工事中、神様はどうされてるの?なんて思いません??

 

工事中は仮の御殿にお遷りなさるのです。

この際のお祭りが、仮殿遷座祭(かりでんせんざさい)。

 

そして工事終了後、本殿に再びお遷りなさるのです。

この際のお祭りが、本殿遷座祭(ほんでんせんざさい)。

このお祭りの斎行にあたっての出向となりました。

 

しかも今回は参列のみではなく、 

恐れ多くも、午後7時からの遷座の儀にご奉仕させていただきました。

 

当会の他にも奈良県神道青年会、大阪府神道青年会の方々が来られていました。

今回の奉仕は、神武天皇様ゆかりの奈良県、宮崎県の両神道青年会の間で締結された

姉妹神青がきっかけでありました。(姉妹神青についてはこちら

橿原神宮様の格別なるお取り計らいをいただき、恐らくは一生に一度の、大変貴重な

ご奉仕をさせていただきました。

宮司様をはじめ、職員の方々に衷心より厚く御礼申し上げます。

 

浄闇のなかでの「本殿遷座祭遷座の儀」、

また、翌日の天皇陛下より御幣帛を大前に奠じての「本殿遷座祭奉幣の儀」が

恙なく斎行されましたこと、心からお慶び申し上げます。

 

また御崩御の日にあたる4月3日には、神武天皇二千六百年大祭が斎行されるようです。

祭典の御盛儀を祝し、謹んで大前を拝み奉ります。

 

このお祭りは、御祭神を同じくする当県の宮崎神宮においても斎行されます。

午後からは流鏑馬も斎行されるそうです。

 

宮崎神宮はもとより、県内には神武天皇ゆかりの神社が多数鎮座されています。

(詳細はこちら

当日は、我が国建国の祖神様であります神武天皇様をお偲びし、現在の我々があることに

感謝の気持ちを持って、是非お参りいただければ幸甚に存じます。

祈りよ届け

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活動報告
執筆 : 
office 2016-3-12 20:39

昨日3月11日で、東日本大震災より5年の月日が流れました。

 

当会では、各地区に時間と場所を一任して、御霊をお慰めすると共に復興の祈りを捧げました。

 

宮崎市の会員は、午後7時より江田神社において斎行致しました。

 

大祓詞奏上 宮崎市は11名の参加でした。

 

また、福島県神道青年会様が平成27年に発行された冊子を拝見させていただきました。

 

福島県神道青年会様には、去る平成26年夏に宮崎県へお越しいただいております。

(様子はこちら

 

冊子の中の「会員の四年間」という頁には、宮崎へお越しになられた会員さんも寄稿されており

じっくりと読ませていただきました。 

あの時の笑顔の裏には、想像もつかない思いがあったことを実感致しました。

 

福島の子供達からいただいた、当時の絵日記も読み返しました。

 

 

 

 

あれから1年8ヶ月・・・

 

詞心ちゃん、結ちゃん、拓巳くん、天くん、心ちゃん、英梨香ちゃん、陽菜ちゃん、純樹くん、蒼平くん、

 

元気にしていますか?

 

なかなか、福島に行ってお手伝いすることができなくてごめんなさい。

 

おじちゃん達は、みんなのふるさとが一日も早くもとの姿に戻ることを遠くから祈っています。

日女

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その他
執筆 : 
office 2016-3-11 14:34

神社界には様々な組織が存在しますが、その中において女性のみにて構成される団体が

あることはご存知でしょうか?

 

その名も、と言いますかそのままですが、その名は「女子神職会」

神社の宮司に嫁いだ方、宮司の娘さんなど立場はそれぞれであります。

 

そんな女子神職会の祭式研修会が、去る3月9日~10日にかけて開催されました。

 

宮崎県が当番県となり、九州各地より約20名が受講されたようです。

 

祭式(さいしき)とは、つまり神社の祭典における作法のことです。

基本的な作法は男子とほぼ同じなのですが、場合によっては異なる点もあります。

 

当会会長宛に3月8日の開講式、懇親会にもご案内をいただいておりましたが、

あいにく出張中でしたので、3月9日の閉講式のみ参加をさせていただきました。

 

閉講式の雰囲気は、男だらけの会とは違って、非常に和やかな感じを受けました。

 

その中で当番県に対する感謝の言葉があり、その言葉を受けて、宮崎県の事務局さんが

涙ぐむ場面を目にしました。

比較的自由に動ける男子とは違い、神社はもとより家庭のことなど限られた時間の中での

準備であったことと思われます。

女子ならではの口調での温かい言葉に、ふと緊張の糸が解け、滞りなくやり終えたことへの

充実感があふれでてのことと思いました。

 

神職のほとんどは男子ですが、男子にはない細やかな気遣いなどは、どの世界においても

そうでしょうが、神社界にも欠かせない存在であることは言うまでのありません。

 

女子神職会の益々の発展と、皆様の氏神さまにおいてのご活躍を心からご祈念申し上げます。

 

二日間、誠にお疲れ様でした。

 

 

女子神職の歌
作詞 出雲井 晶
作曲 松田 敏江

一、悠久の 天地の理を いしずえに
据えて生れたる 日の本の
神に仕うる われは日女なり

二、天照 みおやの神の み光に
つつまれ生きる おほけなき
わが身の幸を 皆よろこばむ

三、古え由 いかなる闇の 世なりとも
光かかげて 祈りたり
まことの心 母ごころもて

四、澄み透る ゆたかな心 目見あげて
み親の教え ひとすじに
伝えてゆかむ 神います国

五、国と国 すべてを結び 和らげむ
さやけきつとめ 果たさばや
われら神つかさ 日女いざいざ

自覚せよ

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活動報告
執筆 : 
office 2016-3-6 20:07

去る3月2日、大東亜戦争終結七十年事業として、県内の護国神社、慰霊碑を巡拝致しました。

 

趣旨

平成二十七年は大東亜戦争終結七十年の節目にあたり、全国において英霊顕彰事業が執り行われた。当会においても、県内護国神社並びに戦没者忠霊塔慰霊碑に、会員各々が現地に足を運び調査活動を行い、一冊の本にして発刊すべく準備を進めている。
この調査により、我々が住む地域からも家族と故郷を護るために戦地へ赴き、散華した御霊が数多おられることを改めて認識することとなった。また健在の遺族より、今なお忘れられない当時の記憶を聞くことができたのは、非常に貴重な経験となった。
しかしながら、終戦より七十年もの長き年月が流れた現在においては、遺族は減少し、戦争を知らない世代が大半を占め、御霊への慰霊と顕彰の念を継承することが困難になっている。今回の調査で地区慰霊祭の減少、中断、慰霊碑統合等の現状も垣間見ることができたのも事実である。
もとより神職の本分は祈りである。地区会員が一同に集い、巡拝を行うことで神職として祈ることの意義を再認識していただきたい。そしてさらには、遺族をはじめ地域住民の英霊に対する永遠の祈りに繋がることを願い、本事業を開催する。

 

当日は全員揃っての巡拝は難しいものがありますので、各地区において地区会員で

地区の慰霊碑等を巡拝していただきました。

 

県北地区 10ヶ所

 

児湯地区 10ヶ所

 

宮崎地区 25ヶ所

 

都城地区 18ヶ所

 

南那珂地区 18ヶ所

 

県内全慰霊碑とはいきませんでしたが、合計で81ヶ所をお参りさせていただきました。

日程は各地区に一任。早い地区は午前7時からの巡拝となったようです。

 

宮崎地区の昼食は、全員日の丸弁当。当然おかず無し!

 

普段は一口で食べてしまう梅干しも、この日ばかりはちびりちびりといただきました。

おそらく戦時中のお米は、今ほど美味しくなかったはず。

むしろ、お米すら食することが少なかったと思われます。

冷たいお米を噛みしめながら、改めて考えさせられる昼食となりました。

 

そして各地区巡拝を終え、午後6時に宮崎県護国神社に集合。

皆で御霊安かれと祈りを捧げました。

 

とある慰霊碑前の広場でサッカーをしている高校生に出会いました。

高校生達は、白衣で歩く私たちを見て「邪魔にならないですか?」と気遣ってくれました。

「大丈夫ですよ~」と言いながら、祈りを終えると、帰り際に高校生達が

「何の職業ですか?」と聞いてきました。

「どっからどう見ても神主やろ~!」と答えると、

「ふ~ん、そういう事をするのが仕事なんですね~」と不思議そうにしていました。

 

確かに仕事だ。

端から見れば、神主とは普段何をしているのか分かりづらい職業であります。

本事業の趣旨にもあるように、我々神職の本分は祈ることなのです。

 

戦時中においても神社の祭は執り行われていました。

空襲等の影響で予定されていた時間とは変わっても、欠かさず祭は行われており

言わば命がけで祈っていたのであります。

 

終戦当日のこんな話を聞いたことがあります。

宮司は県より終戦の事実を知らされると全職員を集め

「自分らが神職であることを自覚せよ、また、今後どのようにして大神さまの御心に

添い奉るかを各々充分に考へてその結論を報告せよ」

との話であります。

当時の神職がどのような答えを出したかは分かりませんが、この質問に答えることができる

青年神職が果たしてどれほどいるのであろうか・・・

 

これまでの、さらにはこれから先の奉仕を通して、その答えを見つけ出していただければと

思います。