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創立60周年記念事業

霧島高千穂峰錬成会

期日 平成22年4月4日~同4月5日

平成22年4月4日日曜日午後8時45分、錬成会参加者13名が霧島東神社社務所に集い、開会行事の後、早速、講師をお勤めいただく霧島東神社宮司黒木将浩様より「峰入り行の心得」としてご講話を賜った。
日程の関係上、45分程の限られた時間ではあったが、神社のご由緒をはじめ、修験の概略、峰入り行の心得等々、普段、里において社頭奉仕する青年神職にとって一言一句聞き逃すことの出来ない貴重なご講話であった。

中でも、翌朝に控えた峰入り行の心得については、「霧島高千穂峰においての峰入り行」は、「究極には大自然と一体となる一体の行」であり、その中で「大自然の偉大さ」と「人の弱さ」を感じとり、その上で「弱い人間も様々な知恵を出し合い、力を合わせれば大きな岩をも動かすことが出来る」、そう言った様々なことに気づき、そして学んだことを社頭奉仕や日常生活において実践してゆくこと、「実習実践」が大切なことであるとのお話を頂き、会員一同、当たり前のことではあるが普段忘れがちな事に気づかされた思いであった。また、前述の通り、修験は「疑死」、一度死して生まれ変わることであるとのお話も頂き、講話が終了する頃には、新たな自分への生まれ変わりに対する期待や、疑死的な体験への不安など、会場に様々な思いが交錯していた。

講話の後、午後10時より社務所神座・社殿・性空上人像前・法栄殿を巡る夕拝を1時間程かけて行った。久しぶりに複数人で奏上したと思われる会員による不安定な大祓詞には、青年神職としての使命と如何に向き合っていくべきか葛藤している精神状態が反映されているように窺えた。
夕拝を終え、社務所に戻り就寝の準備を済ませ翌朝4時30分起床を確認し、午後11時45分に消灯となった。思い返せばここ10年来、宿泊を伴う神青会活動において酒席を設けない事業は無かったのではないかと記憶するが、張り詰めた緊張感を己の精神で押し鎮め明日に備えて眠りにつく、そのような錬成会の醍醐味を感じながら床に就いた会員も少なくなかった。深夜1時を過ぎると、就寝中の社務所の屋根をたたく雨音に目が覚める。当初の計画では、よほどの荒天でない限り決行としていたが、いざ雨が降り出すと不安になるもので、明日の出立までには上がって欲しいと願いつつ、今一度眠りに就いた。

午前4時30分、就寝室の灯りが一斉に燈され、起床、出立準備となる。就寝具の片付け、洗面等を素早く済ませ、出立礼拝開始時刻5分前の4時55分には各会員所定の位置に着座し鎮魂している姿に、緊張感の高まりを感じる。深夜からの雨は未だ降り止まぬが、講師先生の「これ以上に天候の崩れは無かろう」との判断により、予定通り「峰入り」決行となり、社務所にての出立礼拝の後、斎館前に列立し、錬成会担当会員を先駆(さきがけ)、講師先生を後詰(ごづめ)とし、出立、途中昨夜の夕拝とは反対の進行にて法栄殿前、性空上人像前、社殿前にて礼拝を行い、日の出間近の5時45分、いよいよ社殿左側の登山口より峰入りとなった。心配をしていた雨はやや小降りになったが、長年の風雨により荒れた登山道はぬかるみ、また、辺りは日の出とともに明るくなってきたが、さすがに霧島山と称されるだけはあって、一面深い霧が立ち込めていた。足元を照らす懐中電灯を進行方向に向けるとその霧の深さをなお一層強く感じられ、創立60年の節目を過ぎ、新たな一歩を自分たちの足で踏み出さなければならない我々青年神職の心中を表すかのように思われた。

40分ほど歩みを進めると最初の礼拝地点である「凡字石前」に到着した。ここまでの足取りは順調で、講師先生にご準備いただいた略勤行詞を奏上、5分ほどの休憩後、次の目的地点「行者黙り」を目指して出立する。これより先は、40分ほど延々と同じような風景の登りが続く。目的地点の「行者黙り」に似た場所が続き、「まだかまだか」と思わされる。そのことに因むこの辺りの呼び名が「行者騙し」であり、心身ともに疲れ果てて辿り着いた少し平らな場所が「行者黙り」と呼ばれる。登山道としても一番の難所といわれる地点での足取りは次第に重くなり、会員の表情にも疲れが滲み始める。何とかこの難所を切り抜け、「行者黙り」に到着する。

ここでは礼拝は無く、15分ほどの休憩をとる。疲労と空腹の中で頬張る握り飯は、何にも代え難いご馳走となった。呼吸を整え次なる目的地点へと歩みを進める。これより先は霧島の深い森を抜け尾根沿いの道を歩んでゆく事となる。途中、ご来光を拝める地点から、今日はお目にかかれない太陽へと手を合わせる。この辺りまで来ると更に視界は悪くなり、徐々に蓄積される疲れとともに、全く見えない山頂への不安が心をよぎる。「行」としてはうってつけの状況であるのだが、この時の会員にはそのような事に思いを致す程の心の余裕は無かった。視線を横に向けると断崖絶壁という登山道を進んでゆくと、30分ほどで「桟敷」と呼ばれる礼拝地点に到着した。

講師先生曰く、この場所は高千穂峰において下界との堺目とされ、ここでは大祓詞を奏上しながら下界においての罪穢れを祓うことはもとより、家族や身近な人々への感謝の念とともに日常に対する一切の未練を投げ捨てる場所であり、であるから、ここにおいての大祓詞奏上に作法や秩序は一切無く、腹の底からの声で奏上する、いや、むしろ叫ぶかのごとく大祓詞を奏上し、「一切のものを投げ捨てろ」とご説明を賜り、その後、霧島山には、ある種狂気を帯びた大祓詞が響き渡った。おそらく、参加者一同これだけ必死に大祓詞を奏上するのは初めてであったのではなかろうか。「桟敷」にての礼拝を終え、罪穢れが祓われた心身清浄な体とも放心状態な体ともつかない状況のまま少し歩みを進めると「二ツ石」に辿り着く。ここにおいては、岩と岩の間を潜り抜ける「胎内潜り」と呼ばれる行を行うこととなる。

講師先生より「胎内潜りは、桟敷にて心身清浄になった体で生まれ変わることである」とのご説明を頂き、人一人やっと潜り抜けられる位の岩と岩の間を母親の胎内と見立てて潜り、抜け出るときには各々、「エィ」や「ギャー」と産声を上げながら新たに生まれ変わって出でてきた。その後は、360度どこを見渡しても真っ白な景色の中、ひたすらに頂上を目指して行の歩みを進めてゆく。
それまでは、なるべく隊列を崩さないように進んできたが、「ここから頂上までは自分の力を出し尽くして登れ」との先駆からの言葉に、それぞれまさに死力を出し尽くすかのごとく、厚い雲に覆われた頂上を目指して登ってゆく。さすがに頂上付近ともなると風が強くなってくるのだが、この日の風は頂上に向けて吹き抜ける風で、疲労がピークを向かえた一行の背中を後押ししてくれる。霧島の大自然がもたらす、単なる「後押しの風」とは思えない、おそらく何かの意味を持つであろう風を背中に受けつつ先頭集団は山頂へと辿り着いた。晴天時であれば、四方に大自然のパノラマを見渡せる場所ではあるのだが、我々の眼に映るのは真っ白な景気である。聳え立つ「天之逆鉾」と「高千穂峰山頂」と記された標が無ければ、そこが頂上なのかを判断できないような状況であった。そのような中、未だ最後の難所の苦しみに戦いながら登り来る同士の為、登山道に向け勤行詞が奏上され山頂に響き渡った。一人、また一人と山頂へ辿り着き、勤行詞が終わりかける頃の9時15分、最後の者が登頂した。全員登頂の余韻に浸る間もなく、山頂の神座にて礼拝が行われる。そこで奏上される大祓詞には、昨夜の夕拝時に奏上されたものとは全く異なった、吹き付ける強風に消え入ることのない「芯の力強さ」が感じられた。
講師先生による神前読経を含めて10分ほどの礼拝が終わると、今は無人となっている山小屋にて暫しの休憩をとり、9時35分、下山開始となった。登りと同様の厚い雲の中を下山してゆく会員の心には、山頂に辿り着けた安堵感から来る心の油断が見え隠れし始め、隊列の歩みにも緊張感の欠如が感じられるようになってきた。山での事故の半分以上が下山中だといわれる。確かに疲労した足で険しい道を下りて行くのは、かなりの負担がかかる。肉体的に辛い状況ではあるのだが、実はそのことが事故に直結するのではなく、精神的な油断そのものが、危険な状況を招くのであり、まさに今その状況がそこにあった。危険を感じた先駆、後詰から「緊張感をもって歩を進めるように」との檄が飛び、一同、改めて気を引き締め、一歩一歩と下りの歩みを進めた。
途中2回の休憩を含めて2時間ほどで登山口の霧島東神社社殿前に到着した。朝の出立と同じく礼拝を行う。奏上される大祓詞には今までより落ち着きが感じられ、無事に山を下りられた達成感から来る興奮や肉体的な疲労を少しずつ鎮めてゆき、奏上し終える頃辺りには穏やかな空気が漂っていた。性空上人像前・法栄殿前と礼拝を進めて行き、斎館前へ到る参道に響く整然とした足音は、何とも表現できない充実感に満ちていた。

斎館前に列立、対揖、ついに「峰入り行」満願成就と相成った。その場で講師先生より、再度「実習実践」の重要さを含めたご講評を頂き、長友会長の挨拶をもって錬成会のすべてが終了した。
(楡田美浩)