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宮崎県の神社

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仲瀬神社(なかせじんじゃ)

当社の創建は、天正14年(1586)7月6日(「日向案内記」)、7月7日(「日向地誌」)そして天正18年(1590)11月7日(「宮崎県史蹟調査」)と諸説あるが、天正年間であることは間違いなさそうである。本(元)宮大明神とも称し、明治4年11月現在の社名に改称した。
当社には次のような言い伝えがある。『日向の伝説』によると、天文・弘治年間(1532~57)富高の日知屋に、その城主中城某の管領にかかる塩釜があり、日知屋の住民は多く塩を焼いて煙を立てており坪谷・山陰・田代・塩見・岩脇の人々は何れも塩をここに仰いでいた。しかし、永禄年中(1558~69)塩が釜に結晶せず大いに困ることとなった。「これは神の祟りであろう」と日知屋の人々は考え、多くの山伏を頼んで祈祷して貰ったが、少しもその験がない。そこで、野ノ先の住民で野々崎丹後という者を招いて祈祷させたところ、今度はその効があって塩を製することが出来た。そこで製塩に従う者は大いに喜び丹後に対して沢山のお礼をした。先に祈祷した山伏達は彼等の力の足りないのを棚に上げて丹後を嫉み、遂に丹後を殺そうと謀った。丹後はこれを聞いて逃れ、塩見・小野田を経て野ノ崎に入り、或る婆さんの茶屋に入って匿れようとした。婆さんは「この家は狭いからだめです。あの木の洞に隠れなさい。」といって大木を指し数えたところ、彼はすぐさま、その木の洞にひそんだ。やがて山伏等が追いかけて来てそして婆さんに尋ねた。婆さんは知らないと言った。山伏達はどうしてもこのあたりに隠れたのだといって捜しまわり、夜になっても去ろうとしなかった。丹後は鶏を愛育して身から離さなかった。或は彼の祈祷の用にしたのでもあろうかこの時にも彼は鶏を携えていた。夜が更けそして暁が来た。畜生の悲しさ鶏は主人の危急を知らず洞中で羽ばたいて鳴いた。山伏達はあそこで鶏が鳴くのが怪しいといいつつ、遂に丹後の隠れている洞を捜しあて、丹後を斬り殺し、その上その家族までも殺したという。野ノ崎の住民達は丹後の死を憐み、その霊を慰めようとし、天正十四年七月七日社を建て、大己貴命を主神とし彼の霊を併せ祀り、本宮大明神と崇めた。彼は祈祷者のようだから、けだし大己貴命は彼の信仰していた神であろう。村社仲瀬神社、その祭神は表向きは大己貴命であるが、実は野々崎丹後をも祀るものだろうと、祭神由来を記している。

ご社殿
入口鳥居
参道
電話番号
(0982)69-7868
郵便番号
883-0104
住所
日向市東郷町山陰戊594番地4・594番地5
御祭神
大己貴命(おおなむちのみこと)
野乃崎丹後(ののさきたんご)
御神徳
除災 招福
社殿
本殿(流造)1.5坪 拝殿(流造)10.5坪
創立年月日
天正年間
例祭日
11月第2土曜日曜
駐車場
無し
最寄ICからのアクセス
日向ICより車で約35分
最寄駅からのアクセス
日向駅よりバスで約45分
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