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宮崎県の神社

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  • 大年神社(おおとしじんじゃ)小林市

    大年神社(おおとしじんじゃ)小林市

    由緒は不詳であるが、二ノ宮神社と称し、明治初年までは旧境内宮ノ馬場に鎮座していた。明治三十年十一月同村(旧須木村)郷社大年神社(一之宮神社)を合祀し、社号を大年神社と改称した。一之宮神社、二之宮神社について『三国名勝図会』によれば、大年一之宮大明神社は当村(須木村)の総鎮守で、祭神は素盞鳴尊、例祭は九月二十九日、勧請年月日は不詳で、社司は河野某。二之宮大明神廟は祭神、勧請年月日とも不詳だが、例祭、社司ともに大年一之宮大明神と同じで、境内に荒武大明神祠があると記されている。明治三十八年境内外区別調査の頃には現在地に移転遷座と推察される。

    電話番号
    (0984)48-3123
    郵便番号
    886-0111
    住所
    小林市須木大字中原1733番地
  • 高妻神社(こうづまじんじゃ)

    高妻神社(こうづまじんじゃ)

    旧称を入神大明神と称し、素盞鳴命、猿田彦命、大山祇命の三神を当時の「神谷村」、現在の紙屋村に古くから祀っていた。
    『三国名勝図会』によると、「鎮守として、高妻八社大明神があり、猿田彦命を祀り、天明六年(1786)再興の棟札があるという」とある。また『日向地誌』によると、素盞鳴尊を祀り、旧称八社大明神といったが、明治初年に高妻神社と改め、さらに紙屋神社と改めたとある。明治四十三年一月二十五日、旧道沿いの秋社野の小高い丘の中腹にあった秋社野大将軍神社を当神社に合祀した時秋津毘古命を加え、四神となった。
    この時より高妻神社と改めた。その後(年代不詳)当神社は火災となり棟板二枚の焼残りを現在奥殿に安置している。
    昭和十三年七月当村氏子の念願かなって再興社殿の新築となった。四神を合祀し神鏡を奉祀してある。境内には樹齢四百年以上の杉その他常緑樹が繁っている。大正初期より末期まで城攻踊、棒踊り、伊勢神楽等奉納があった。昭和初期頃より永年例祭には剣道奉納試合が盛んに行われていた。
    境内には大正元年九月高木兼寛男爵(海軍医総監)が県下の優良校であった紙屋小を訪問後、当神社参拝したのを記念した巨石の記念石がある。明治十年の役の戦没者十二柱を祭った招魂社を昭和三十五年に紙屋の弓場から移転奉祀し、同年にまた大東亜戦争の戦没者陸軍九十六名、海軍二十二名計百十八柱の忠霊碑が、遺族会によって建立されている。

    電話番号
    (0984)22-3534
    郵便番号
    886-0211
    住所
    小林市野尻町紙屋1468番地
  • 八尾神社(やつのおじんじゃ)

    八尾神社(やつのおじんじゃ)

    創立年代は定かでないが、祭神貫佐貝此売命は、大国主神が八十兄神等の災いにより火傷されたおり、母・刺国若比売命の願いにより神産巣日神が遣わした二神のうちの一神であり、火傷の治療をなされた神であることから、火難消除の神として古くから当地に奉祀されていた。
    当社は古来「八王権現」と称されていたが、明治初年の神仏分離により「八王神社」と称するようになった。『日向地誌』によると、伎佐貝姫命を祭り、旧称を八ツ王権現といったとある。のち明治十九年王の一字を改めて「八尾神社」と称するようになり今日にいたる。大正五年八月境内拡張・整備と、本殿、拝殿の造営遷座がなされた。現在の拝殿は氏子崇敬者の篤志により、平成二年八月八日に改築されたものである。

    電話番号
    (0984)22-3534
    郵便番号
    886-0213
    住所
    西諸県郡野尻町大字三ヶ野山2026番地
  • 高都万神社(たかつまじんじゃ)

    高都万神社(たかつまじんじゃ)

    確たる創建年代はさだかでないが、現野尻町が古代より天孫降臨の地霊峰高千穂の麓に陸路の要所として発達していたことが『日本書紀』の景行天皇紀や『延喜式』に日向の駅「野後駅」と出て来る。この頃から天孫降臨の功臣猿田彦大神の徳を仰ぎ、みちびき・開運・開拓の神として、また牛馬の守護神・男女の守護神として奉祀されたらしい。このことは野尻町天神丁在住の長氏の系図にその祖先が日向之国(宮崎県)諸県郡真幸院に下向したとしており、大王権現と称し野尻町天神丁に奉祀し(現在地に古宮跡の石碑と神木が残る)、何代か続いたと載っていることでも推察できる。一説によると、仁安三年三月の再興といわれている。また、当社に残る棟札によると、寬文四年(1664)十二月二十五日島津二十一代藩主・島津光久公により武運長久・領内安全・繁栄・子孫繁栄を祈願して天神丁から大王に遷座されたとある。その後元禄五年(1692)に島津綱貴が再興、宝暦十二年(1762)、天明三年(1783)、文化九年(1812)、明治二十七年と本殿・拝殿の改築や境内地内外の整備がなされた。昭和十五年の皇紀二千六百年記念事業として現在の本殿・拝殿がご造営された。そのおりに境内神社も合祀された。また、昭和五十五年に屋根の全面改修、昭和六十年に今上陛下御在位六十年を記念して玉垣及び境内地の環境・施設整備が行われ今日に至る。
    当社は、古来「大王権現」と称されていたが、明治初年の神仏分離令により「高都万神社」と称するようになり(大王権現の扁額は今日拝殿正面にかかげられている)、明治六年(1873)郷社に列せられた。明治四十一年十月神饌幣帛料を供進すべき神社に指定された。

    電話番号
    (0984)22-3534
    郵便番号
    886-0212
    住所
    西諸県郡野尻町大字東麓539番地
  • 諏訪神社(すわじんじゃ)小林市

    諏訪神社(すわじんじゃ)小林市

    当社の創建は不詳であるが、ご神体の神宮型高さ30センチ程に「天正9年(1581)2月15日」と記録されている。
    元禄11年(1698)「小林神社仏閣寺院改帳」には、北西方の内岡原とある。当時諏訪大明神と称した。社司黒木佐土の申告では、神領2反があったが、のち召上げられ自分が祭祀している由来は知られないとある。幕末の「小林誌」にも、岡原にあり、先例により地頭所より祭米7升5合を奉るとあり、明治10年頃現在地種子田にあった宇賀神社と合祀されたと思われる。宇賀神社は、「小林誌」によれば霧島宮の末社であり、ここは往古、神の御骸に稲が生えたのを採って種子として蒔いたところで、御田地という20歩ばかりの水田がそれである。種子田の地名は、これにより起こったものといわれる。
    この地区は特産である、なし、ぶどうの生産地域として発展し、なしに於いては100周年の歴史があり、ぶどうも50周年を迎えております。近年に於いては観光農園として地域観光地として賑わいを見せており、県内、鹿児島、熊本からの観光客の誘致につとめています。8月はじめの開園式には神前に於いて神事をお願いして、期間中の安全と盛況を祈願しております。

    電話番号
    (0984)22-3773
    郵便番号
    886-0006
    住所
    小林市北西方244番地
  • 菅原神社(すがわらじんじゃ)小林市

    菅原神社(すがわらじんじゃ)小林市

    由緒は詳かでないが、以前は現在の境内地から約四キロ離れた南西方巣の浦天神に祭られてあったのを、明治六年(1873)に現在地に遷座したとのことである。

    電話番号
    (0984)22-4531
    郵便番号
    886-0005
    住所
    小林市南西方2190番地
  • 愛宕神社(あたごじんじゃ)小林市

    愛宕神社(あたごじんじゃ)小林市

    鎮座地真方は、江戸期には鹿児島藩直轄領として、小林地頭が設置され、地頭仮屋は村内上ノ馬場にあった。創建は、元禄十一年(1698)の『小林神社仏閣寺院改帳』によれば、薩摩藩小林郷地頭諏訪仲右衛門兼安が、寬永十三年に島津家十九代家久公の武運長久のため建立とある。明治維新後、村社愛宕神社となり、さらに明治四十年二月神饌幣帛料供進すべき神社に指定された。
    神社と直接の関係はないが、同地区に元亀三年(1572)島津松齢(義久)公の兵が、木崎原の役で戦った伊東勢の戦死者二百余人を葬った伊東塚があり、県史蹟に指定されている。

    電話番号
    (0984)22-4531
    郵便番号
    886-0007
    住所
    小林市大字真方42番地
  • 霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)

    霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)

    往古霧島岑神社は高千穂峰の中腹瀬多尾(瀬戸尾ともいう)の高地に鎮座されていた。
    承和四年(837)、日向国諸県郡霧島岑神は官社に預り、のち従五位上を授けられる(『続日本後紀』)。天安二年(858)従四位下に叙せられる(『三代実録』)とあり、『延喜式神名帳』には日向の国式内四座の一つであると記されている。天慶天暦(十世紀)の頃性空上人が霧島岑神社に参籠の折山麓五方に夷守神社外四社を創建し本社である霧島岑神社(別名・霧島中央権現)を合わせて霧島六社権現と称した。また、当社の鎮座地を瀬多尾といったので瀬多尾権現とも称し、別当寺を瀬戸尾寺と称したと伝える。
    天永三年(1112)韓国岳噴火、仁安二年(1167)大幡山噴火と相次いで神殿を焼失したが、その都度元の地に再建された。文暦元年(1234)には至近の火常峯(御鉢)が噴火し、社殿は焼失、この高地に湧いていた「天の井」も涸れたので末社の霧島王子神社の辺に遷座され、その地を新瀬戸尾と称した。その地に座すこと四八〇余年、享保元年(1716)新燃岳の噴火によって、社殿宝物類は焼失、ご神体は今坊権現に奉遷、次いで細野村岡原に遷座されたが、新瀬戸尾の地は荒廃したので、享保十四年(1729)夷守岳中腹に社殿を再建し、明治初頭まで鎮座された。その地を未だ築地という。
    島津氏からも厚く崇敬され、島津義弘が飯野城にいた頃は、特に当社を敬仰し、度々参詣した。また、島津義弘寄進状によると、神領として毎年俵物一〇〇ずつ寄進している。
    明治五年県社に列せられ、翌六年細野村に合祀の世論高まり、夷守神社を先ず本社の岑神社に合祀した上で、改めて旧夷守神社の跡地(現在地)に霧島岑神社を奉遷した。明治十三年には霧島神宮(鹿児島県)の摂社となった。

    電話番号
    (0984)23-3364
    郵便番号
    886-0004
    住所
    小林市大字細野4937番地
  • 稲荷神社(いなりじんじゃ)小林市

    稲荷神社(いなりじんじゃ)小林市

    天正四年、小林が島津氏の領地となった後、かつて永禄九年(1566)十月伊東氏と激戦の地、小林市の北方水の手西岡、稲荷山に島津義弘公が、稲荷神社を建立したのが当神社の創祀と伝える。
    徳川時代の中期に至り、当時貨幣経済の中心地であった五日町(大字細野1908)に遷座して、商業者の鎮守社として崇敬された。
    昭和二年一月二十八日、及び昭和三年一月二日の大火で焼失したが、氏子崇敬者の献身的な努力によって再建された。しかし当市の経済発展による市街地の整備、並びに交通事情の変化にともない神社移転の議がおこり、市の公園敷地の一角で眺望絶佳な高台の此の地、永田平丘を聖域と定め、昭和四十一年九月、社殿の新築に着手し同年十二月六日竣工遷座した。

    電話番号
    (0984)22-4531
    郵便番号
    886-0004
    住所
    小林市大字細野2381番地27
  • 岩戸神社(いわとじんじゃ)

    岩戸神社(いわとじんじゃ)

    元禄十一年(1698)の『小林神社仏閣寺院改帳』に代宮司鹿口源左ヱ門「日州八幡の御子の由大宝元年十月十五日奉崇の由申伝」とあり、一二八五年前の建立と言う事になる。それには禄高二斗八升四合三勺八才の神領があった事が記されている。本社は大昔岩瀬川対岸の垣川内「野尻の内」に鎮座されていたが、洪水のため流されたので、堤の観音原に奉遷したという。観音原に坐しますこと二、三百年してから野火のため社殿が焼失したので、約二百年前に現在の地に新築遷座した。最初は現鎮座の真下現在道路になっている処に遷座したが、雨毎に土砂が上から流れ来て社殿も埋るばかりであったので、嘉永二年己酉(1849)九月二十二日現在地に鎮座したとの棟札が現存する。
    明治六年村社に列せられ、同四十年二月には神饌幣帛料供進すべき神社に指定された。
    特殊神事として神楽「岩戸開・剣の舞・薙刀の舞」の三舞ある。

    電話番号
    (0984)33-2722
    郵便番号
    886-0003
    住所
    小林市堤4447番地
  • 熊野神社(くまのじんじゃ)小林市

    熊野神社(くまのじんじゃ)小林市

    当社は、慶長年間(1596~1615)に、島根県熊野村を、現在の宮本の地に勧請したと伝える。社殿を造営し、東方地方の氏神として住民の守護神として篤く崇敬し、東方の繁栄と幸福発展のため、祖先の方々により相伝えてきた社である。
    その後幾度かの神殿の改築または修理補強をしてきたが、大正10年現在の社殿を造営し、今日に至っていた。以来60年余の年月を経たため、腐蝕はなはだしく、この際大修理をすることにし、昭和53年12月氏子崇敬者の方々の奉賛金により修理完成し、現在に至っている。
    明治6年村社に列せられ、さらに大正12年6月神饌幣帛料供進すべき神社に指定された。櫛御気能之命とは奇御木主もしくは奇御饌主の意で、素戔嗚尊のことである。

    ※末社 陰陽石神社(いんようせきじんじゃ)
    由緒
    創立は不詳ですが(文政年間約150年くらい前)浜之瀬川の大出流水で流された天保8年秋再建され、明治初年度再度流され下流山の中に再び建立された。昭和42年熊野神社役員総代により現在地に建立された。
    天下の奇石陰陽石は、昇天の竜がこの地に居合わせた妙齢の美人に見惚れて降りて、そのまま化石となり名勝陰陽石になったといわれている。
    この神社は古来より縁結び、安産、農業工業商業あらゆる産業の開運の神髙皇産霊尊が祭祀されており、どんなことでも1言祈願すれば必ず霊験あらたかにして、遠路わざわざ詣でる人々も多く、旧藩時代には藩主が神司を遺し多くの領民を集めて生成化、五穀豊穣と領民の達福を祈願された事もあるとあると伝えられ、陰陽石神社と呼ばれるようになって今日に至っています。
    明治の詩人野口雨情の歌「浜の瀬には2つの奇石人に言うなよ語るなよ」

    郵便番号 886-0001
    鎮座地 小林市東方陰陽石3341番地6
    問合先 小林市東方3209番地
    電話 (0984)22-7499
    < 御祭神 > 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
    伊邪那美命(いざなみのみこと)
    伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
    高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
    大山祇命(おおやまつみのみこと)
    < 御神徳 >縁結び 安産 農業工業商業繁栄
    < 創立年月日 >不詳
    < 例祭日 >9月23日
    < 主な祭典 >9月23日 こばやし陰陽石まつり
    < 文化財 >< 駐車場 >有り(50台)
    < 最寄ICからのアクセス >小林ICより東方・須木方面に約10キロ
    < 最寄駅からのアクセス >小林駅よりタクシーで約15分

    電話番号
    (0984)22-7499
    郵便番号
    886-0001
    住所
    小林市大字東方3076番地
  • 山之神神社(やまのかみじんじゃ)

    山之神神社(やまのかみじんじゃ)

    当社は、寿永3年(1184)、源平の乱に、八重尾の祖先一族、八重尾興次郎が、大神のご神像を背に負いながら、道なき荒山中の険しき岩根踏裂くみ、木浦木の川辺に掛け落ち住居を定めて、茅葺の社殿を建てご神像を奉斎し、八重尾家の産土の神として代々崇敬してきたのが始まりと伝える。「三国名勝図会」によれば、山神社として大山祇命、猿田彦命を祀り、祭礼は11月中申日、地元の伝承では鹿児島藩三州山神の宗廟といわれ、霊験あらたかなため、慶長12年(1607)4月24日に松齢公(島津義久)が願文4条を奉納したとある。
    ※ダム工事の為、平成25年度に遷座予定であります。

    電話番号
    (0984)22-7499
    郵便番号
    886-0001
    住所
    小林市東方5892番地2
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