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宮崎県の神社

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  • 穆佐護国神社(むかさごこくじんじゃ)

    穆佐護国神社(むかさごこくじんじゃ)

    当社は荒川真澄他六名により創建される。明治七年十月十五日より官祭祭日四月十一日、十月六日を定め、のち十月六日をもって祭日と定めた。明治四十年四月二十五日陸軍騎兵少尉野村盛茂他七名私祭合祀許可される。
     昭和十四年四月一日より招魂社の名を、穆佐護国神社と定めた。

    電話番号
    (0985)82-2146
    郵便番号
    880-2214
    住所
    宮崎市高岡町小山田925番地7
  • 穆佐神社(むかさじんじゃ)

    穆佐神社(むかさじんじゃ)

    応永初年旧鹿児島藩主八代島津久豊穆佐城主たりとき、使を豊前宇佐神宮に遣はし御分霊を奉迎し、穆佐城の西約二十町を離るる字小小山に社殿を建立し、宇佐八幡宮と称え、永く島津家の宗廟氏神とし尊せり。安政三年(1856)月日不詳火災に罹ったが直に改築した。廃藩置県後、明治五年郷社に列し穆佐神社と称する。明治三十九年、神饌幣帛料供進社に指定された。境内には六百有余年の楠木が三本有り。

    電話番号
    (0985)82-4021
    郵便番号
    880-2214
    住所
    宮崎市高岡町小山田3468番地
  • 粟野神社(あわのじんじゃ)

    粟野神社(あわのじんじゃ)

    本社は島津義弘公当村在城のとき粟野宮を特に崇敬され、穆佐院三百町の宗廟に定められた。本社は、今の高岡町高浜に在り、高浜は古来当村の内だったが、高岡建置の時、同村所属となった。旧規に従い穆佐から高岡へ出向き祭祀が行われていたが、粟野の小社を下倉永へ遷宮することを請願して許可され、天明三年(1783)今の地に新設し、本殿は嘉永五年(1852)改築、廃藩置県の後村社に列せられた。
     特殊神事としては、毎年正月初午の日に、陽器を持ちあるいは牛頭を冠り、田植式の神楽が奏される。七月二十六日の夏祭りには、神輿の渡御式があり、下倉・宮永流の氏子若衆が神輿をかつぎ大淀川辺に至り禊の式を行い還幸する。

    電話番号
    (0985)82-0522
    郵便番号
    880-2212
    住所
    宮崎市高岡町下倉永684番地
  • 八坂神社(やさかじんじゃ)高岡町

    八坂神社(やさかじんじゃ)高岡町

    島津の祖久豊九代忠国、穆佐城に移住すると当社を倉永の氏神と定め、島津家武運長久の祈願所として、代々修理改築し、祭祀の資料を寄進し崇敬浅からず、慶長五年(1600)島津義弘高岡郷開拓地に居城を設けると、神領若干を付し祭祀の料としたが、改組の際民有地となった。天正十五年(1587)兵火にあい古文書、宝物共焼失した。
     当社は、もと祇園大将軍と称したが、明治の初め村社に列し八坂神社と現在の社名に改めた。明治四十年二月飲泉幣帛料供進社に指定された。戦前の夏祭りは、俵踊・棒踊・城攻踊奉納で賑わい、秋祭りは神楽舞奉納・五穀豊穣感謝祭が行われていたが、今日ではそれらもみられない。

    電話番号
    (0985)82-2626
    郵便番号
    880-2213
    住所
    宮崎市高岡町上倉永1905番地
  • 花見神社(はなみじんじゃ)

    花見神社(はなみじんじゃ)

    当社の創立年代不詳であるが、旧称「祇園」と言い、応永年間(1394~1428)島津氏が伊東氏に代り当地を領有するや、島津家の祖八代久豊公は祇園神社を再興し厚く尊崇する。永禄十一年(1568)十二月十六日社殿再興の棟札写しがある。元亀天正年間島津氏と伊東氏との戦乱の際、兵火に罹り古器物、棟木、旧記、ことごとく灰燼に帰す。島津氏十七代の義弘公は当神社を祈願所として、社地四面神領若干を寄進し、花見村の宗廟として厚く尊信する。当社は元同村下流水に鎮座していたが寬文年中暴風のため社殿が破壊したため、八反の岩窟に鎮座の大将軍社と合祀し同地に遷座する。明治三年二月花見字楠元に鎮座の下尾神社(祭神・菅丞相、武内宿禰)を合祀する。明治五年八月村社に列せられる。大正二年三月十七日許可を受け岩窟前現在の地に移転する。大正十三年十月十八日勅令第九十六号第一条により神饌幣帛料供進の神社に指定される。

    電話番号
    (0985)82-1673
    郵便番号
    880-2211
    住所
    宮崎市高岡町花見1312番地-ロ
  • 伊勢神社(いせじんじゃ)

    伊勢神社(いせじんじゃ)

    当社の創立年代は不詳。延慶元年(1308)の創立とも伝えられる。島津氏より崇敬され応永五年(1398)島津家八代久豊公により再興されている。
     その後、一時伊東領となったが、天正年間に至り再び島津氏の領するところとなり、当社を厚く崇敬し、島津義久公により再興された。天正十五年(1587)豊太閣の薩征軍乱入し火を放ち、棟木・古文書等灰燼に帰す。慶長五年(1600)島津義弘公高岡郷建置に当り、野尻の内浦之名を高岡郷に加えられ、当社を浦之名村の宗社と崇められた。慶長九年(1604)八月二十九日、家久公は神領若干を寄進し社殿を再興した。明治五年八月、村社に列格し、明治四十年二月、神饌幣帛料供進社に指定された。昭和十一年十二月、氏子崇敬者の寄進により、境内地購入拡張し社殿を移転する。
     境内神社である大将軍神社は、往古、黒岩喜右衛門の先祖が出雲の国より当村に勧請したもので、旧藩時代は尊忠挙げて厚く尊崇し、祭典を行ってきたが、明治三年二月伊勢神社に合祀された。

    電話番号
    (0985)82-2308
    郵便番号
    880-2223
    住所
    宮崎市高岡町浦之名4138番地ノ2
  • 高岡護国神社(たかおかごこくじんじゃ)

    高岡護国神社(たかおかごこくじんじゃ)

    当社は明治三年十月高岡郷士長野祐之他六百四十四名により創建。明治七年三月官祭の礼を賜い、官祭祭例日を十一月二十三日と定める。明治十三年九月高岡郷有志の寄進をもって社殿を新築、それより旧暦八月十五日を私祭日と定めて、祭典盛大に行っていたが昭和四年より陽暦十月十日に改める。昭和十一年五月高岡町より寄付を受けた町有林を敷地として移転、本殿を新築拝殿を改築し境内を整備する。昭和十四年四月一日、従来官祭内山招魂社と称していたが招魂社制度改正にて指令社兵第二四四六号許可指令により、社号を高岡護国神社と改称する。

    電話番号
    (0985)82-2308
    郵便番号
    880-2221
    住所
    宮崎市高岡町内山2906番地-2
  • 粟野神社(あわのじんじゃ)

    粟野神社(あわのじんじゃ)

    社名は、祭神中の少名彦名尊が粟の茎にのって常世の国に行かれたという伝説から起きたのであろう。
    古くは粟野八社大明神と申し上げ、遠く他の領地までも神威輝き、毎年旧暦六月二十六日より浜下りと称し、延岡領宮崎郡上ノ町(現在の宮崎市役所附近)まで御神幸の行事ありて、遠近よりの参詣人多く神威甚だしき旨記しあり。
    応永年間島津氏当地を領有されると、信心厚く、穆佐院三百町の惣廟と崇め、神領七町を寄進し社殿を再興、祭儀の規式をも改め祀典を厚くする。天正十五年(1587)太閤豊臣秀吉公の薩征の軍乱入により、神宝・文書・棟木までことごとく紛失し、文禄初年には別当粟野寺とともに荒廃したようである。しかし慶長五庚子年、十七代島津義弘公高岡郷御取立の節、既存の粟野宮を高岡郷の惣廟に定められ、爾来歴代島津との崇敬厚く禄髙を奉り再三の改築には多額の金穀を奉納せられた。
    御社殿 嘉永五年(1852)二月 改築
        大正九年三月 神殿、舞殿、拝殿造替
        昭和四年四月 県社昇格に際し大改修
        昭和二十四年十一月 台風の被害あり大改修
        昭和四十九年三月 神殿の銅板屋根葺替、舞殿、拝殿の大改修
                 社務所新築工事(※現在は無し)

    電話番号
    (0985)82-2308
    郵便番号
    880-2215
    住所
    宮崎市高岡町高浜2186番地
  • 熊野神社(くまのじんじゃ)高岡町

    熊野神社(くまのじんじゃ)高岡町

    当社の創建は、永正二年正月一八日、伊東祐真社殿造立によると伝える。伊東氏より厚く崇敬され、永禄九年(1566)九月、伊東義祐の嫡子義益の祈念のため、代官小野良守るにより再興された。その後天正年間に至り島津氏の領するところとなり、慶長五年(1600)島津義弘公、高岡郷御取立の際、当所を祈願所として神領若干を寄進、厚く崇敬した。明治三年二月大将軍神社を合祀し、村社に列せられる。
     当社の九月十一日の祭礼では、伝統芸能である城攻め踊りを奉納して地区の安泰を祈願する。踊りは、島津義弘が綾町の伊東家竜尾城を攻めた時、相手守備兵の油断を誘った戦略の踊りと伝える。矢旗を背負い、鉦や太鼓を打ち鳴らし、陣型をかえつつ勇壮に舞うのである。

    電話番号
    郵便番号
    880-2222
    住所
    宮崎市高岡町五町1029番地
  • 内山神社(うちやまじんじゃ)

    内山神社(うちやまじんじゃ)

    当社は慶長五年(1600)庚子、島津藩主義弘公、関ヶ原合戦より帰陣の途、高岡郷を取立て、その節、高岡郷の鎮守として、鹿児島の稲荷大明神の分霊を天ヶ城中腹に勧請したのがはじまりと伝える。もと稲荷七社大明神と称し、別当寺として稲荷寺を建立し、忠助法師を、鹿児島伊集院より移し開山したが、別当寺は明治三年の廃仏毀釈により廃寺となった。旧藩時代は島津家の祈願所として郷社の格を授けられ、神領二十一石五斗余を寄進、祭礼等総て鹿児島城の稲荷祭に準じ行われ、歴代藩主・領民の厚く尊崇する社であった。
     元禄二年(1689)破壊により、元禄七年(1694)五月、神饌・拝殿再興、更に天明元年(1781)・宝殿・舞殿再興された。
     明治三年二月、神社合併にあたり、平賀大明神・久津良大明神・愛宕山大権現・大将軍神社・天満神社・地主神社六社を合祀し、村社に列せられた。明治三十六年、台風の災害にあい、崇敬者有志の努力によって現在地に鎮座された。

    電話番号
    (0985)51-7140
    郵便番号
    880-2221
    住所
    宮崎市高岡町内山2815番地ノロ
  • 高濱神社(たかはまじんじゃ)

    高濱神社(たかはまじんじゃ)

    当社は、応永年間島津家第九代忠国公穆佐城在城の折創立と伝える。その後一時伊東領となったが再び島津領となり高浜村の宗廟として再興。天正十五年(1587)太閣・豊臣秀吉軍の薩征の時、軍乱入して火を放ち、棟木、古記録等ことごとく、焼け落ちる。宝暦七年(1757)十二月、高岡郷横山勘兵衛が島津家の聴許を受け寄進再興し、忠洪公よりも金品の奉納があった。当社は古来王ノ宮六社大権現と称したが明治五年八月高浜神社と改称し村社に列せられた。

    電話番号
    (0985)82-2308
    郵便番号
    880-2215
    住所
    宮崎市高岡町高浜508番地
  • 早馬神社(はやめじんじゃ)

    早馬神社(はやめじんじゃ)

    当社の創立は不詳であるが、天正年間に至り島津氏が伊東氏に代り当地を領有すると、当神社を再興し、祈願所として神領若干を寄進、厚く尊崇した。元飯田五町内山の三ヶ所を飯田村と称し、当時は同村の宗廟であった。慶長五年(1600)高岡郷建置の際は真言宗高福寺の末寺宝林山早馬寺があり、当神社の別当寺であるが開基等詳らかではない。棟札によれば、延宝六年(1678)社殿再興、享保四年(1719)九月当地地頭島津杢頭、鳥居一基奉建、嘉永四年(1851)九月神殿一宇再興されている。代々島津氏の寄付による祭礼があって、五町、内山など周辺各地からも参拝者が数多く集まってにぎわったと伝える。
     当神社は往古より五町の原田に鎮座したが文久元年(1861)現在の地に移転する。明治三年二月神社合併の節、飯田字坂下鎮座金毘羅神社並び飯田字板ヶ八重鎮座大将軍神社を合祀し村社に列せられる。

    電話番号
    (0985)51-7140
    郵便番号
    880-2224
    住所
    宮崎市高岡町飯田2204番地
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