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宮崎県の神社

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  • 菅原神社(すがわらじんじゃ)佐土原町

    菅原神社(すがわらじんじゃ)佐土原町

    延久二年(1070)後三条天皇の御宇、筑前太宰府より日向国児湯郡財部蚊口浦の青木伊予守藤原宣孝という者、天満天神を崇敬して勧請したと伝える。その後、天正年中佐土原田ノ上天神として崇敬された。慶長五年(1600)六月二十八日宮司黒木新六尉、等地頭職徳田大助により社殿が再興され、藩主島津家及び住民より厚く崇敬された。のち、延宝の頃再び遷座し、天神村島津家別亭の傍に鎮座、社領として例年八月二十五日の大祭には米一斗が献納されていた。明治十三年四月二十五日、天神村より田の上に再遷座、同十七年一月二十八日社殿焼失したが、児湯郡新田村春宮神社の社殿を移転して奉祀する。昭和九年一ツ瀬川氾濫の危険により現在地に移転し、今日に至る。

    電話番号
    (0983)33-1159
    郵便番号
    880-0211
    住所
    宮崎市佐土原町下田島887番地ノ1
  • 福島神社(ふくしまじんじゃ)

    福島神社(ふくしまじんじゃ)

    旧藩主島津家より毎年相当の祭米を奉納する神社であったが、明治維新の頃より福島、元村地区の崇敬者が祀るようになる。代々鈴木氏が大宮司として、祭祀を司っていたが、鈴木氏没落の折重要書類を失い縁起等不詳。しかし、神殿は藩主の寄進と伝えられ、島津家の家紋を付している。

    電話番号
    (0985)74-1528
    郵便番号
    880-0211
    住所
    宮崎市佐土原町下田島13608番地ノロ
  • 阿佐加利神社(あさかりじんじゃ)

    阿佐加利神社(あさかりじんじゃ)

    往古土持氏の時代に奉祀したと伝える。最初の宮所はこの所ではなく、伊東氏の時代は弓場の地に鎮座していたが、島津氏の時代に当地に遷座したものである。
    古老の伝えるところによれば、当社の由緒は次の通りである。
    一夜物あり天より落ち光を放つ、衆人怪しみ到りてこれを見れば一つの小石あり。形は楕円形にして小童の持つ位の小石であったが、年を経て大きくなり、大人の一人では動かすことのできない程の物となった。これを奉祀して祠を建て天子と称して奉斎した。天子は小石ならんか、参拝する者社殿下に出る小石粒を請うと、虫蛇の被害を免れんこと最も神験あり。
    永禄年間、伊東氏の時代には田嶋備後なる者がこれを祀る。田嶋氏衰えて後は、島津氏の世となりて佐賀利休に祭祀する。
    佐賀利は「元阿佐賀利也、上古神武天皇の麻を刈り給ふ」の略語であると言われている。
    紀元二千六百年(昭和十五年)に神武天皇の聖蹟として宮崎県奉祝会により顕彰された。

    電話番号
    (0985)74-1528
    郵便番号
    880-0211
    住所
    宮崎市佐土原町下田島4012のロ番地
  • 下田島神社(しもたじまじんじゃ)

    下田島神社(しもたじまじんじゃ)

    天武天皇白鳳五年(677)三月の創建と伝えられる。当時は、佐土原町の東南、明神山にあったものを、文明十三年(1479)、同十五年(1481)と二度の火災にあい、焼失した為現在地に移されたものと思われる。水門柱神社(みなとばしらじんじゃ)と称し、後に島津尊崇の社として児湯郡都萬神社と共に毎月一回、武運長久の祈願をなし、神領十六石四斗を寄せられていた。また一般には、「トバシラ様」とよばれ港の神様、海の神様として親しまれていたが、後に地名をとり、下田島神社と改称された。

    電話番号
    (0985)73-0560
    郵便番号
    880-0211
    住所
    宮崎市佐土原町下田島12218の1番地
  • 久峯神社(ひさみねじんじゃ)

    久峯神社(ひさみねじんじゃ)

    古文書等が焼失して詳しいことは不明。社名を久峯といい久峯山頂にあったと思われる。久峯観音の創建が570年頃(欽明天皇)と伝えられる。同時代ではないが、いまなお鳥居が現存していることから久峯観音とともに鎮座していたことがうかがえる。
    当時の一ツ瀬川は現在の線より、南寄りで田島の下あたりを流れていたので、海上安全の神の鎮座地として最適だったのであろう。
    しかし、明治の神仏分離の際、久峯観音と分離して今の地に遷座したものである。また、後世一ツ瀬川の流線が北上するにおよび、その港口に近い福島の現在に移転したものともいわれている。

    福島湊乃 良港 入港船乃安寧およ
    病癒 消除を 祈願し
    多度津 金比羅神社
    分霊 并 久峰神社を
    勧請 志 茲に 一社宇を
    安置す

            明治三十二年十一月

    福島の湊の この良港に 入港船の安全と乗組員の健康安全、
    疫病の消除を祈願し 香川県の金比羅神社の分霊と久峰の
    久峰神社を併せて祀り(合祀し)ここに一つの
    神殿を末永く安置する

            明治三十二年十一月

    電話番号
    (0985)73-0560
    郵便番号
    880-0211
    住所
    宮崎市佐土原町下田島14056番地
  • 広瀬護国神社(ひろせごこくじんじゃ)

    広瀬護国神社(ひろせごこくじんじゃ)

    旧称那珂下田島招魂社。明治三年二月十五日、広瀬小小松(東町)に佐土原藩知事島津忠寛が創建した。同七年「官祭招魂社」となり、明治三十年九月七日、現在地の田山の根(ふもと)に遷された。昭和十四年四月一日、広瀬護国神社と改称、現在に至る。
    昭和三十五年五月四日には、清宮貴子内親王殿下が、島津久永氏との御成婚の砌、ご一緒に参拝された。
    現在の社殿は、平成二年二月に改築されたもの。

    電話番号
    (0985)73-0560
    郵便番号
    880-0212
    住所
    宮崎市佐土原町下那珂3960ノ5番地
  • 下那珂神社(しもなかじんじゃ)

    下那珂神社(しもなかじんじゃ)

    下那珂字成枝田に鎮座する神社で、往時は生井田大明神と称し、都萬神社祠官日下盛俊が那珂郡司職であった時、天徳二年(958)十一月此地に奉祀すると伝える。
    社蔵の棟札によれば、宝徳二年(1450)藤原秋賀、慶長十五年(1610)島津忠興公により再興されている。なお鎮座地である成枝は生井田を原名とし、井田を意味するという。天正時代に現在の文字に改められたものである。
    当社石段の両側に建立されている石燈籠の竿石に「明治二十四年四月中旬より日照り続きで、作物は枯死寸前、鎮守や八百万の神に祈願したがその験はなく、岡住民は往古より秘術伝来の臼太鼓を以て、神々に祈ったところ、六月二十七日正午東天にわかに雲を起し天雨を賜った。これによって作物は生き返った。よってこの石灯を奉納した。」と記されており、水神様としても厚く尊崇された神社であった。

    電話番号
    (0985)73-0560
    郵便番号
    880-0212
    住所
    宮崎市佐土原町下那珂11678番地
  •  広瀬神社(ひろせじんじゃ)

     広瀬神社(ひろせじんじゃ)

    当社は明治維新に当たり、藩政庁が佐土原から広瀬に移転するに際し、佐土原にあった諏訪、大安、稲荷の3社を合祀し、明治5年9月16日現在地に移転し、郷社広瀬神社となる。その後、明治40年広瀬にあった広瀬、八坂の両社を合祀、また昭和17年千代稲荷神社を合祀した。
    諏訪、大安、稲荷神社の由緒は次のとおりである。
    [諏訪神社]
    天文19年(1550)6月20日、島津忠将の長子以久が生まれた。此の日未明、何処からか1旒の旗が舞い来って、産所の棟上に懸った。忠将異んで侍従池田備後に見せたところ、忠将の常に崇拝する諏訪神社の神旗であることが判った。忠将はこの吉瑞を悦び、その旗を神体として備後に祀らせ、その弟が祠官となった。
    慶長8年(1603)、以久が佐土原に封ぜらるるや―旧佐土原藩の藩祖―諏訪神社を勧請して下馬場に祀り、のち承応2年(1653)諏訪の馬場に遷した。
    [大安神社]
    ある時以久の夢に父忠将が現れ、「われを崇めて天下大明神と称すべし」と告げた。そこで以久は永禄8年(1565)社を建てて父の霊を祀り、社名を大安神社と称した。
    [稲荷神社]
    島津氏の祖、忠久以来島津家の尊信したもので、初め社は佐土原城内にあったもので、城頭稲荷とも称していた。

    電話番号
    (0985)73-0560
    郵便番号
    880-0211
    住所
    宮崎市佐土原町下田島20292番地1
  • 古舘神社(ふるたてじんじゃ)

    古舘神社(ふるたてじんじゃ)

    往古は大将軍様と呼ばれ、伊東義祐の別荘があったと伝えている。農業神として地元の人々に親しまれ崇敬されている。

    電話番号
    (0985)74-1528
    郵便番号
    880-0301
    住所
    宮崎市佐土原町上田島3696番地ノ1
  • 堤神社(つつみじんじゃ)

    堤神社(つつみじんじゃ)

    由緒は不詳であるが、大将軍様として地元の人々に親しまれ、堤地区の鎮守として尊崇されている。

    電話番号
    (0985)74-1528
    郵便番号
    880-0301
    住所
    宮崎市佐土原町上田島4039番地
  • 巨田神社(こたじんじゃ)

    巨田神社(こたじんじゃ)

    創建は「淳和天皇の御代天長八年(831)九月十五日飛箟原に白羽の矢一対飛び来る、ここに祠をおく」と伝えられているが定かではない。はじめ天太玉命を祀っていたが、寛治七年(1093)佐土原町上田島、下田島を宇佐神宮の神領とした際、宇佐神宮のご分霊を勧請し、巨田八幡宮と呼ばれていた。
    旧佐土原藩では祈願七社の内の一社として、島津氏より親拝や代参がなされ、地元では八幡様と呼ばれ親しまれていた。
    棟札によれば、文安五年(1448)佐土原(藤原)祐賀によって再興され、永正五年(1508)には都於郡城主伊東尹祐により再興されている。現在の本殿は天文十年(1547)の建立と確認されている。三間社流造の本殿は南九州に数少ない中世建築として二十二枚の棟札とともに昭和五十三年五月に国の重要文化財に指定された。また、本殿を中央にして左に若宮社、右に今宮社があり、両社とも一間社流見世棚造で、昭和五十八年に県の有形文化財に指定されている。
    昭和五十六・五十七年には本殿・摂社の解体修復事業が国県町の助成を得て行われ、彩色社殿の優美な姿が再現された。
    ご社殿前斎庭左側には、元禄十三年(1700)五月二十八日、城主島津惟久公が祈願成就のため奉納した石燈籠一基が現存している。

    電話番号
    (0985)74-1528
    郵便番号
    8800301
    住所
    宮崎市佐土原町上田島10732番地
  • 稲荷神社(いなりじんじゃ)佐土原町上田島

    稲荷神社(いなりじんじゃ)佐土原町上田島

    由緒は不詳であるが、佐土原町本町通りの鎮守として、江戸期頃に建立祀られてきた神社である。

    電話番号
    (0985)74-1528
    郵便番号
    880-0301
    住所
    宮崎市佐土原町上田島1832番地
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