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宮崎県の神社

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水沼神社(みずぬまじんじゃ)

天正十五年(1588)秋月公が筑前国甘木から日向国高鍋に封ぜられた際、藩公の一族であった宇都宮弥三郎朝繁を神官に任じ、「神主兼宮司使嫡男代々可相勤之旨被付仰」との墨付により、今日に至るまで宇都宮家の子孫が継承して奉仕を続けて来た。
神社所有の湖水ヶ池は面積六町余の広さがあり、夏になると蓮の白花が池一面に見事に咲盛り馥郁たる香を漂わせて、参拝者の心を和ませている。現在は新富町の湖水ヶ池公園に指定されている。この池の蓮は、秋月公が国替の際に、その苗を取り寄せて住民の殖産興業を慮られ、この池に移植されたと伝えられている。又蓮根は他所より特に味が良く、節も長く柔らかで、大変賞味されている。
秋の大祭には当神社でも臼太鼓踊、嫁奴踊、棒踊等が氏子民により奉納されていたが、大東亜戦争中に中止されてから今日未だ復興されていない。
当神社の「湖水ヶ池」には『富田村治要綱』によると、次のような伝説がある。
昔神社の後方には、周囲十八町の南北に長い池があった。その岸には松が生い茂り、松林の中は、じめじめとして、昼も薄気味が悪かった。近くに、太郎兵衛という農民が、妻をなくし、娘と暮らしていた。家は貧しくても美しい娘だったので、末を頼みに日を送っていた。或る日、突然娘が見えなくなった。この池に落ちて死んだのだ。老父は驚き哀しみ、娘を探したが、姿はどこにも見えない。泣きながら娘の名を呼び続けると、静かな水が動き、髪の乱れた娘が浮かんだという。驚く間もなく、娘の体は水底に沈んだ。老父が前に増して悲しみ、娘の名を呼ぶと、再び水が動き、現れたのは大蛇であった。池の主が娘を取ったと考えたか、老父は「今日より我が子を見ず」と嘆いた。この言葉から「子見ずの池」と呼ぶようになり、それが訛って「湖水ヶ池」となったのだという。

ご社殿
ご社殿前鳥居
電話番号
(0983)33-3452
郵便番号
889-1401
住所
児湯郡新富町大字日置679番地
御祭神
水波能女神(みずはのめのかみ)
闇淤加美神(くらおかみのかみ)
鳴雷槌神(なるいかづちのかみ)
旧社格
村社
社殿
本殿(神明造)3坪 拝殿(流造)18坪 ※平成三年三月拝殿、手水舎竣工
創立年月日
不詳
例祭日
旧八月十五日
駐車場
有り
最寄ICからのアクセス
西都ICより車で約20分
最寄駅からのアクセス
JR日向新富駅より車で約10分
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