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宮崎県の神社

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銀鏡神社(しろみじんじゃ)

九州山地中央部の山間地、一ツ瀬川支流の登内川と銀鏡川の合流域に位置し、翌等に地蔵岳、オサレ山、北西に雪降山、南東に竜房山がそびえる。
銀鏡神社は、岩長姫・大山祇命・懐良親王を合祀した神社で、ご神体は岩長姫尊の銀の鏡、懐良親王の割符の鏡である。
祭神・懐良親王は征西将軍で、後醍醐天皇より割符のため譲られたみ鏡が、菊池家に伝わっていたのを、米良領主菊池氏の元祖則隆公より二十五代石見守米良重続公の代に至り、長享三年(1489)3月16日銀鏡神社を創立した際、岩長姫尊・大山祇命と合祀した。
祭神・岩長姫尊のご神体銀の鏡についての由来は次のごとくである。天津日高彦火々瓊々杵尊・日向國阿田の長屋笠狭岬に天降りし時、大山祇尊の娘二神がいた。姉を岩長姫尊、妹を木花佐久夜姫尊と言い、瓊々杵二神を納めたが、姉岩長姫尊はその容貌醜悪であったので、尊は妹木花佐久夜姫尊のみを愛した。それを姉神痛く嘆き悲しみ、父大山祇尊より譲ってもらった鏡を取り出し、自分の姿を写してみると、その姿醜悪にしてあたかも龍のごとく見えた。その鏡を乾の方に放ち捨てると、その鏡は当神社東方の龍房山の絶頂の大木にかかった。それでこの山を鏡山という。尊はその鏡の留る所を知ろうと一ツ瀬川を遡り、右の支流に入りその身を隠したという。
龍房山に留った鏡は光り輝き、西方の村里を照らし夜中も昼のようだったので、この地を白見村と言ったが、その鏡が銀の鏡だったので銀鏡村と言いかえられたという。
その後この地の住人源氏米良兼続という人山に登り鏡を取り下り敬守していたが、後に領主石見守米良重続公に奉納し、前記割符の御鏡と合祀され銀鏡神社と照合し尊崇祭祀してきた。王政御一新の折、領主より正一位・西之宮大神と称号を賜り、毎年十一月十四日領主を始め氏子中により祭事を滞りなく行ってきた。
明治二年村社に列せられ、銀鏡神社として現在に至る。割符の御鏡は、方格四乳葉文鏡といわれる白銅鏡で、紀元前一世紀ごろ鋳出された漢式仿製鏡とされ、鋳上がりもよく文様も整っていることから、昭和四十六年県の有形文化財に指定された。例祭の十四・十五日に奉納される銀鏡神楽三十三番は米良神楽の一つで国の重要無形民俗文化財に指定されている。

ご社殿
鳥居
銀鏡神楽
電話番号
(0983)46-2123
郵便番号
881-1232
住所
西都市大字銀鏡492番地
御祭神
御祭体:霊峰龍房山 御神鏡

御祭神:
岩長姫尊(いわながひめのみこと)
大山祇尊(おおやまつみのみこと)
懐良親王(かねながしんのう)
旧社格
村社
社殿
本殿(流造)5坪 明治25年改築
拝殿(入母屋造)9坪 ※幣殿、拝殿は平成27年11月8日竣工(寄進)
銀鏡神社元宮 西都市指定文化財(平成19年12月3日指定)
創立年月日
長享三年三月十六日
例祭日
12月14日
主な祭典
銀鏡神楽 国指定重要無形民俗文化財
神楽神面 県指定重要有形民俗文化財
最寄ICからのアクセス
西都ICより車で約1時間20分
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