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宮崎県の神社

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鎮守神社(ちんじゅじんじゃ)

当社の宝物、亀甲文双雀鏡、または天正四年(1576)島津氏が伊東氏の高原松ヶ城を攻めた戦に際し、島津義弘公の鎮守神社参詣の記事が『押領司文書』に見え、『三国名勝図会』にも見えるところから、鎌倉室町時代の南北抗争の時代には、すでに鎮座されたものと考えられる。
『三国名勝図会』には「高原村にあり祭神春日大明神を往昔高原右衛門篤時、南都より神躰を下し、総廟産土神に崇めしとかや。(篤時が祖父税所太郎左衛門篤経肥後の国より来ると、系図に記す。その故詳ならず。篤時に至って税所氏を高原に改む)」とあり、さらに「天正四年松齢公当邑松ヶ城を攻められし、先づ当社へ参詣し、直ちに進んで城を攻め給ひしとぞ。当社に鎮守殿の額を掲ぐ。公の親筆なりといふ。」とある。
大正年間鹿児山、出口等の神社の合祀が行われ、その当時の鎮守神社の鎮座地は大字西麓字城戸であった。昭和十四、五年頃の高原町の都市計画により、当神社の境内にあった日清日露の役の戦没者慰霊碑も新たに忠霊が丘(後日の名称)なる大字広原の広大な敷地に慰霊碑のみ移転(新たに忠霊殿建立)。神社は大字西麓下馬場の現在地に移転新築された。昭和十五年十一月、本殿遷座祭、並びに竣工奉告祭が行われた。
戦時中は当神社の境内の一角に防空監視哨が設置され、国兵団の兵士の一部が強制的に拝殿に居住区し、また高原国民学校の生徒数十名は神社を教室として授業を受けざるをえなかった。このため社殿は破損し、大改築を迫られていた折、九州縦貫自動車道の本町乗り入れに伴い、該道路が当神社の一角を通過することとなった。このためようやく改築の議が進み、昭和四十六年新改築、並びに社務所を建立、今日に至っている。

ご社殿
入口鳥居
境内
電話番号
(0984)42-4114
郵便番号
889-4412
住所
西諸県郡高原町大字西麓1041番地2
御祭神
天照大神(あめてらすおおかみ)
菅原道真(すがわらみちざね)
旧社格
村社
社殿
本殿(神明造)3坪 拝殿(神明造)5坪
創立年月日
鎌倉中期
例祭日
十二月二十一日
最寄ICからのアクセス
高原ICより車で約5分
最寄駅からのアクセス
JR高原駅より車で約3分
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