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宮崎県の神社

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  • 熊野神社(くまのじんじゃ)宮崎市熊野

    熊野神社(くまのじんじゃ)宮崎市熊野

    大字熊野区の総氏神様。
    弘文天皇の白鳳2年(672年、大和朝廷の時代)、紀伊の国熊野本宮大社のご神霊を勧請して、当地、御盥迫(みたらいざこ)で禊祓いをして奉祀し、山王大権現と称し、特に地元では「お山王様」とよんで崇敬した。これより「熊野」の地名が起こったという。
    藩政時代には、清武郷五社宮(他に、加江田神社、中野神社[清武]、恒久神社[赤江]、加護神社[国富])の1つとして、藩主伊東氏は代々社録を献じて崇敬すること厚く、大祭日には必ず参拝したという。
    明治時代になり熊野神社と改称し、明治25年6月現在地に移転ご遷座、同39年神饌幣帛供進神社に指定された。
    昭和24年台風の被害著しく、拝殿の大改修を行い、又、同26年宗教法人神社となった。同56年、老朽化に伴い管内有志の浄財により、本殿、拝殿、社務所の全面ご造営、境内の整備を行った。

    ※境内外末社
    神社名 木花神社(きばなじんじゃ)
    御祭神 邇邇芸命(ににぎのみこと)
    木花佐久夜毘売(このはなさくやびめ)
    鎮座地 宮崎市大字熊野9507
    ご由緒 「古事記・日向三代」に登場する邇邇芸命の行宮の跡と伝えられ、佐久夜毘売が火を放って無事出産した3皇子誕生の産屋「無戸室(うつむろ)」の跡、産湯に汲んだ泉と伝えられる「桜川」がある。木花佐久夜毘売への厚い崇敬の念が、木花神社の社名を産んだ。現在、「日向神話街道」に位置づけられ、県内外からの参拝者が多い。

    ※夫婦杉
    夫婦円満の御神木であり、恋人達は手をつないで三回右回りすると恋が実るという。
    一回目は、男性が外側
    二回目は、女性が外側
    三回目は、また男性が外側をまわるとよい。

    電話番号
    (0985)58-0229
    郵便番号
    889-2151
    住所
    宮崎市大字熊野6976番地~6981番地
  • 野島神社(のしまじんじゃ)

    野島神社(のしまじんじゃ)

    文安三年(一四四六)十二月三日、田口久次が創立したその棟札に『白髭大明神の御堂を造り奉る趣旨は、金輪聖皇・天長地久国土泰平、殊には信心願主田口久次のため、武運長久子孫繁昌・領内安全・五穀豊穣・並びに氏子等の無病自在・寿命長遠・家内安穏・福責増長・諸人授楽・よろず心中の祈願悉く皆満足せしむるのみ、よって精誠を致し造立奉る』とある。
     また、旧飫肥藩制中は社領三石一斗が寄進されている。明治五年野島神社と改称、天神山にあった大将軍社、竹下にあった年ノ神社、堀切峠にあった三池神社を合祀し、村社に列せられた。

    伝説(縁起)
    野島神社には童話に出てくる浦島太郎のそっくりの伝承民話がある。
     それは、天歴三年(九四九)八月に遡のぼる。野島の浦人橘尊俊という者、この浦辺で長い白髪の老人に出会った。その老人が『私は、丹州の者であるが、久しく蓬莢山に住み、たまたまこの浦に来、この絶景を眺め去るに忍びなくなった。ここに私を祀っていただきたくなら幸いである。』と言って消え去った。尊俊は村人と相談の上、社を建てて祀ったのがこの社であると言われている。
     また、浦島子伝及び扶桑略記載には、『浦島翁が古里の丹州与謝郡に祀ってあるのを見聞したことはない』とあり、物語の最後が前記伝説と結びつくのである。

    電話番号
    (0985)67-1234
    郵便番号
    839-2301
    住所
    宮崎市大字内海6227番地
  • 青島神社(あおしまじんじゃ)

    青島神社(あおしまじんじゃ)

    島の周辺は天然記念物である青島の隆起海床と奇形波蝕痕(通称鬼の洗濯板)で囲まれており、中心部は特別天然記念物である亜熱帯性植物群落がある。

    電話番号
    (0985)65-1262
    郵便番号
    889-2162
    住所
    宮崎市青島二丁目13番1号
  • 高屋神社(たかやじんじゃ)宮崎市

    高屋神社(たかやじんじゃ)宮崎市

    創建は、古老の伝えるところによれば、一〇七代後陽成天皇慶長十六年(1611)社殿改造の棟木あり、また仁明天皇嘉祥二年(849)当宮の祠官となった旧社家の系図があることから、その古いことがうかがえる。
    当社西方の小高い処は、彦火々出見命の山陵と言い伝え、「日本書紀」にいう「日向の高屋の小陵に葬る」とあるのは当地であると伝える。また景行天皇が六年間ご駐輦された高屋行宮址とも伝えている。このことは「日向五郡八院旧元集」に、「景行天皇が十一月日向の国に到り行宮を起こしてここに居たまう。これを高屋宮という。武内宿祢、彦火々出見命の山陵を知り、そこで御鎮座を定めた。これが村角高屋八幡宮である。」と書かれている。
    山陵付近には命にちなむ地名が残っている。竹園(たけぞん)は、命のご降誕の時その臍の緒を切った竹刀を投げた所と伝える。袍ノ園(いやんそん)は、命の臍の緒を切った所と伝える。安園(やすぞん)は、命のご降誕の地と伝える。その他、天神川・御手洗川、犬ヶ城等の地名が残っている。
    当社はもともと高野(高屋)八幡宮と称していたが、宝暦時代以降高屋宮と称するようになり、明治になって高屋神社と称し現在に至る。

    電話番号
    (0985)58-3032
    郵便番号
    880-0837
    住所
    宮崎市村角町(橘尊)1975番地
  • 熊野神社(くまのじんじゃ)宮崎市山崎町

    熊野神社(くまのじんじゃ)宮崎市山崎町

    由緒不詳であるが、「日向地誌」には「熊野神社、村社々地三畝十八歩、例祭十月十二日」とある。明治四年村社に列格、同三十九年四月神饌幣帛料供進社に指定される。
    鎮座地である山崎村は、近郊でただ一村、佐土原藩に属し、明治初年の石高調べでは二一七石となっている。
    明治二十二年には、江田・新別府・吉村・山崎を合わせて檍村(あおきむら)となり、昭和八年に宮崎市に加わった。
    現在の鎮座地は山崎町四郎房であるが、昔は近くの石神にあったのが移されたと伝えられている。古いものでは、寬文五年(1665)乙巳十一月吉祥日、大宮司甚助という棟札が残っている。

    電話番号
    (0985)39-2835
    郵便番号
    880-0836
    住所
    宮崎市山崎町四郎房906番地
  • 奈古神社(なごじんじゃ)

    奈古神社(なごじんじゃ)

    瓊々杵尊は日向国高千穂槵觸の峯に天降り給い、国内を巡覧し当地に至り、この地朝日の直刺す国夕日の日照る国也、これは何山の領域かと問われたところ、事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)の領地と答えた。瓊々杵尊は吾田長屋笠狭の御碕に至り天神地祗を祀った。のち成務天皇十三年武内宿祢が磐余彦命・葺不合命を祀ったと、神社の縁起に伝えている。旧称奈古八幡宮とも長屋神社とも称し、南方・池内・上北方・下北方・花ヶ島・江平六カ村の産土神として崇敬されてきた。領主伊東氏およびその家臣から厚く尊崇され、度々社領の寄進があり江戸初期には神領十石を有していた。その後延岡藩内でも有数の神社として、毎年九月十五日の大祭には延岡藩代官が社参、のち藩主内藤氏の代参があり、これより内藤氏の祈願所となった。
     明治維新後奈古神社と改称、同四年村社に列した。境内には三千日垢離成就塔といわれる石碑が存在するが、これは戦国期に都於郡城主伊東氏より奈古神社宮司へ嫁いだ女性が、夫の死後女体で神事をつかさどり、海水での水垢離(みずごり)を三千日行ったところ遂に胸毛を生じて男体のようになったという伝説によるものである。また社殿後方にある前方後円墳は祭神瓊々杵尊の御陵と伝えられている。

    電話番号
    (0985)29-5105
    郵便番号
    880-0037
    住所
    宮崎市南方町御供田1192番地
  • 加護神社(かごじんじゃ)

    加護神社(かごじんじゃ)

    当社は、加護八幡宮と称し応神天皇を主祭神とし伊東家4代の霊を祀る。
    室町時代の頃、相殿ご祭神伊東祐邑公は、伊東家一族の藩主として日知屋城にいたが、文明18年に兄弟不和により日知屋城で国人に殺されてしまう。
    享禄4年都於郡一条院において祐邑を祀り八幡大菩薩と崇めたがなお祟りが止まず時に託宣あり即ち、天文5年に祐邑の存生の時の領地であった荘園国富荘郡司分本郷に移しその以前から祀られていた応神天皇本社へ相殿神として奉祀し祭礼を執行することにより祟りは止むに至ったのである。その旨を禁延の奏聞、加護八幡の勅号を賜ったという。のち、文政元年、伊東義益公・伊東義賢公・伊東祐勝公をそれぞれ大明神として勧請合祀されたと伝わる。

    電話番号
    (0985)56-2660
    郵便番号
    880-0921
    住所
    宮崎市大字郡司分字国富2225番地
  • 田元神社(たもとじんじゃ)

    田元神社(たもとじんじゃ)

    寛治5年都万神社の祭神を神託により赤江村恒久の地に分祀するにあたり、先ず仮宮を本郷南方の田元と称するところに建造し奉祀した。その後、本殿を恒久に造営し、一の宮大明神と称し鎮祭した。
    しかしその後も田元の宮跡も廃除せず、そのまま田元宮と称して、同地の産土神として奉斎し、明治5年に至り赤江村大字本郷大字鵜戸尻に鎮座する鵜戸尻宮を合祀、戦後田元神社と改称し現在に至っている。
    現在の社殿は平成25年6月に竣工。

    電話番号
    (0985)56-2660
    郵便番号
    880-0921
    住所
    宮崎市大字本郷南方字辻原3940の1番地
  • 大島神社(おおしまじんじゃ)

    大島神社(おおしまじんじゃ)

    所蔵の天文五月八月三十日当社再興の棟札よりみて、それ以前の創祀である。
    その後、文禄四年(1561)上棟一宇天神再興干時三月二十二日の棟札がある。この棟札からして当時から天神様であり、いまに通称するはそれにならったものである。棟札をさらにあげると、慶長十二年(1607)丁未八月二十五日大旦那小河友兵衛によって、天神御社一宇の御造営とあるのをはじめ、寛永十五年(1638)九月二十二日奉再興天神御社一宇
    寛文四年(1644)上棟奉再興天神御社一宇
    元禄四年(1691)、霜月吉日等の棟札がその由緒を物語っている。さらに天文三年神主源盛庸校正の「小戸大明神別宮摂末社神的略記」には一座去本宮子丑第三十丁余、在大島村南向いしとあり、その所在と方角を明記している。

    電話番号
    (0985)24-2538
    郵便番号
    880-0824
    住所
    宮崎市大島町本村200番地
  • 霧島神社(きりしまじんじゃ)宮崎市

    霧島神社(きりしまじんじゃ)宮崎市

    昔より「檍原大権現」と称し、腹部の病に霊験あらたかな神社として、今に近郊よりの参拝が多い。ご祭神が高千穂の峯より、ここを檍原と目度を定めて御矢を射られた古事により、今にその矢石という霊石があり、いつの頃からかこの霊石に殿舎を設けて奉祭したという。なおここよりおよそ四十間を隔てて的石と称する奇石があり、前記「彦火々出見尊のお弓を引かせて給いし時の御的なり」と言い伝え、同じく社殿を立てて奉祭するとともにご神体を霊石とする信仰からして、相当古い時代にその創祀が考えられる。またご社名を同じくする霧島神社が日向式内社の一つであることなどからしてもその由緒の深いことを物語っている。

    電話番号
    (0985)24-2538
    郵便番号
    880-0824
    住所
    宮崎市大島町平原997番地
  • 名田神社(みょうでじんじゃ)

    名田神社(みょうでじんじゃ)

    当社は相模国、鶴岡八幡宮のご分霊を勧請している。
    貞和4年(1348)11月日州浮船城主伊東大和守祐重公は宮殿を建立し、上北庄の土地2町5反を神領として寄進した。名田は下北方村の一字地であるが、『日向地誌』には名田村として、「本村南隅赤江川の北岸にあり、元本村と分け別に一村をなす云々」とありさらにさかのぼって日向の国郡分帳には名田12町とある。また明平村としたものもあるが宮崎荘園の関係から名田が正しいという。
    このような土地のあゆみのなかで神社は、明治4年11月下北方村景清神社と合併、次いで同6年1月20日には亀山旧社に景清霊神とも復元し、以来名田神社と称している。それまでは、若宮神社といった。

    電話番号
    (0985)27-0900
    郵便番号
    880-0035
    住所
    宮崎市下北方町平ノ下5217-1
  • 一葉稲荷神社(ひとつばいなりじんじゃ)

    一葉稲荷神社(ひとつばいなりじんじゃ)

    五穀豊穣、商売繁昌の神、稻倉魂命を祀る神社で創建は、約千九百年前に遡る。境内には、地名の由来である、一本の葉からなる松がある。
    当社はいわゆる”筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原”にご鎮座する神社で、初め江田神社境内の西方にあったのを、貞享年間(1684~88)に当地に移転遷座した。
    このころより境内松原に一葉の松を生じ、万民奇異の想いをし、大に崇敬の念に加え、ここにおいて、彼の伊弉諾尊禊祓の聖地なるを以て、また住吉の神、神威を顕されたものと信じ、一葉稲荷大明神、または一葉住吉大明神とも称せられた。
    往昔より武門豪族の崇敬厚く、ことに一葉松生じてより一般の崇敬激増し、元禄二年(1689)旧延岡城主有馬左衛門尉永純よりご供田高二石を寄進、同十一年に幕府は勘定奉行今井九郎右衛門をしてご供田二石寄進と、領主領民の崇敬厚き社となった。
    明治維新に至り厳然たる社格を治定され、明治三十九年四月二十八日、神饌幣帛料供進の社に指定される。崇敬者は、県下一円をはじめ、大分・鹿児島・福岡・四国・京阪神地方に及び、そのご神徳は普く世人の周知するところとなり、商売繁盛の祈願でも名高い神社である。
    当地方の人々は往昔より毎朔日、また事ある際には”浜下り”と称し、未明に一葉の海浜に出て真砂を探り、心身を清め当社に参拝後、自宅内外を浄め、各々庭内の氏神様の前にこの真砂を捧げおく特殊の習俗がある。

    ~災害 厄除 開運の白兎の由来~
    また約350年前に、西海大地震に襲われ周辺の神社は津波被害に遭ったが、その時当神社に1匹の白兎が現れ、津波を蹴って救ったと伝えられ、災害からの「守り神」とあがめられてきた。(白兎の彫刻は本殿裏に有り)

    電話番号
    (0985)22-4584
    郵便番号
    880-0834
    住所
    宮崎市新別府町前浜1402番地
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