Loading...

宮崎県の神社

神社検索
神社データ(神社名、住所、由緒等)から全検索します。
地域
地域一覧
  • 熊野神社(くまのじんじゃ)高岡町

    熊野神社(くまのじんじゃ)高岡町

    当社の創建は、永正二年正月一八日、伊東祐真社殿造立によると伝える。伊東氏より厚く崇敬され、永禄九年(1566)九月、伊東義祐の嫡子義益の祈念のため、代官小野良守るにより再興された。その後天正年間に至り島津氏の領するところとなり、慶長五年(1600)島津義弘公、高岡郷御取立の際、当所を祈願所として神領若干を寄進、厚く崇敬した。明治三年二月大将軍神社を合祀し、村社に列せられる。
     当社の九月十一日の祭礼では、伝統芸能である城攻め踊りを奉納して地区の安泰を祈願する。踊りは、島津義弘が綾町の伊東家竜尾城を攻めた時、相手守備兵の油断を誘った戦略の踊りと伝える。矢旗を背負い、鉦や太鼓を打ち鳴らし、陣型をかえつつ勇壮に舞うのである。

    電話番号
    郵便番号
    880-2222
    住所
    宮崎市高岡町五町1029番地
  • 内山神社(うちやまじんじゃ)

    内山神社(うちやまじんじゃ)

    当社は慶長五年(1600)庚子、島津藩主義弘公、関ヶ原合戦より帰陣の途、高岡郷を取立て、その節、高岡郷の鎮守として、鹿児島の稲荷大明神の分霊を天ヶ城中腹に勧請したのがはじまりと伝える。もと稲荷七社大明神と称し、別当寺として稲荷寺を建立し、忠助法師を、鹿児島伊集院より移し開山したが、別当寺は明治三年の廃仏毀釈により廃寺となった。旧藩時代は島津家の祈願所として郷社の格を授けられ、神領二十一石五斗余を寄進、祭礼等総て鹿児島城の稲荷祭に準じ行われ、歴代藩主・領民の厚く尊崇する社であった。
     元禄二年(1689)破壊により、元禄七年(1694)五月、神饌・拝殿再興、更に天明元年(1781)・宝殿・舞殿再興された。
     明治三年二月、神社合併にあたり、平賀大明神・久津良大明神・愛宕山大権現・大将軍神社・天満神社・地主神社六社を合祀し、村社に列せられた。明治三十六年、台風の災害にあい、崇敬者有志の努力によって現在地に鎮座された。

    電話番号
    (0985)51-7140
    郵便番号
    880-2221
    住所
    宮崎市高岡町内山2815番地ノロ
  • 高濱神社(たかはまじんじゃ)

    高濱神社(たかはまじんじゃ)

    当社は、応永年間島津家第九代忠国公穆佐城在城の折創立と伝える。その後一時伊東領となったが再び島津領となり高浜村の宗廟として再興。天正十五年(1587)太閣・豊臣秀吉軍の薩征の時、軍乱入して火を放ち、棟木、古記録等ことごとく、焼け落ちる。宝暦七年(1757)十二月、高岡郷横山勘兵衛が島津家の聴許を受け寄進再興し、忠洪公よりも金品の奉納があった。当社は古来王ノ宮六社大権現と称したが明治五年八月高浜神社と改称し村社に列せられた。

    電話番号
    (0985)82-2308
    郵便番号
    880-2215
    住所
    宮崎市高岡町高浜508番地
  • 早馬神社(はやめじんじゃ)

    早馬神社(はやめじんじゃ)

    当社の創立は不詳であるが、天正年間に至り島津氏が伊東氏に代り当地を領有すると、当神社を再興し、祈願所として神領若干を寄進、厚く尊崇した。元飯田五町内山の三ヶ所を飯田村と称し、当時は同村の宗廟であった。慶長五年(1600)高岡郷建置の際は真言宗高福寺の末寺宝林山早馬寺があり、当神社の別当寺であるが開基等詳らかではない。棟札によれば、延宝六年(1678)社殿再興、享保四年(1719)九月当地地頭島津杢頭、鳥居一基奉建、嘉永四年(1851)九月神殿一宇再興されている。代々島津氏の寄付による祭礼があって、五町、内山など周辺各地からも参拝者が数多く集まってにぎわったと伝える。
     当神社は往古より五町の原田に鎮座したが文久元年(1861)現在の地に移転する。明治三年二月神社合併の節、飯田字坂下鎮座金毘羅神社並び飯田字板ヶ八重鎮座大将軍神社を合祀し村社に列せられる。

    電話番号
    (0985)51-7140
    郵便番号
    880-2224
    住所
    宮崎市高岡町飯田2204番地
神社検索
神社データ(神社名、住所、由緒等)から全検索します。
地域
地域一覧