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宮崎県の神社

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  • 衾田八幡宮(ふすまだはちまんぐう)

    衾田八幡宮(ふすまだはちまんぐう)

    淳和天皇の御代、天長7年庚戌9月宇佐宮の御分霊を鎮座し奉り(本地・阿弥陀薬師観音)の三名郷宗廟の神社として、元衾田八幡社と稱した。建久元年工藤祐経公は日向国守護職となり、衾田八幡社領として高300石奉納される。伊藤義祐公、天正5年都於郡落城し、天正15年秋月長門守種長公領となる時に武運長久・国土安全祈願のため、社領高300石奉納さる。歴代の領主藩主更には一般庶民により崇敬され、藩政には社録が付さる。毎年大祭には幣帛が供せられ明治維新後神餅幣帛料供進社に定められ、社号衾田神社と改稱し社格郷社に列せられる。昭和58年8月社号衾田八幡宮と改稱す。
    末社7社、摂社5社を有する。
    当宮では、旧暦6月15日(前土日曜)に夏越祭りが行われ神楽奉納があり、氏子の無病息災を祈り、又家内安全、交通安全を祈願する子供みこしを子供達が威勢よくかつぎ町内を進行します。

    電話番号
    (0985)75-4334
    郵便番号
    880-1114
    住所
    東諸県郡国富町大字三名1982番地
  • 赤池神社(あかいけじんじゃ)

    赤池神社(あかいけじんじゃ)

    当社は、淳和天皇の御代天長八年辛亥3月、木脇郷総廟赤池大明神と称して鎮座したと伝える。建久元年(1190)に工藤祐経が日向国守護となり社領を寄進したのをはじめとして、歴代藩主より崇敬を受けた。江戸期は高鍋藩主秋月氏に崇敬され、武運長久、国家安全を願い社領五百石が奉納されたと言う。貞享三年(1686)の『高鍋藩寺社帳』によると、本地仏は正観音と虚空蔵正月一日、三月三日、五月五日、九月九日、十一月十二・十三日に祭礼があった。
    明治維新後、旧称赤池大明神を現社名に改めた。明治五年郷社に列格。十一月十五日の例祭では、古例にのっとった神馬神事が行われる。摂社として旧村社・大土神社(祭神・猿田彦命)を祀る。
    旧社殿(昭和十二年竣工)が老朽化の為、平成十七年六月起工し、平成十八年二月に竣工、遷座祭が斎行された。

    電話番号
    (0985)75-8352
    郵便番号
    880-1113
    住所
    東諸県郡国富町大字木脇1437番地
  • 地主神社(じぬしじんじゃ)

    地主神社(じぬしじんじゃ)

    当社の由緒は不詳であるが、『日向地誌』に諸県郡高岡郷・地主神社として「村社なり 上江にあり 社地八畝十八歩 天児屋根命を祭る 例祭は十一月十六日」とある。
    明治七年六月、村社に列せられる。昭和四十六年上江より北東の現在地に移転した。地区内に昭和十一年県史蹟に指定された古墳が点在しており、塚原の名もそれにちなむという。

    電話番号
    (0985)75-8352
    郵便番号
    880-1112
    住所
    東諸県郡国富町大字塚原175番地
  • 三島神社(みしまじんじゃ)

    三島神社(みしまじんじゃ)

    国富町東南端、大字岩知野中村に鎮座し、もと三島大明神と称した。当社の創建は『神名録』によれば、寬永十一申戌年(1634)建立とあるが、永禄六年再興(『宮崎県地名大辞典』)の記事も見えることから、詳細は不明。当社の下の地は、昔、沼で、三つの島があったので三島の社名が起こったといわれる。明治初年、三島神社と改称し、村社に列せられる。境内神社として、大土神社(祭神・猿田彦命)を祀る。

    電話番号
    (0985)75-8352
    郵便番号
    880-1111
    住所
    東諸県郡国富町大字岩知野1165番地
  • 穆佐護国神社(むかさごこくじんじゃ)

    穆佐護国神社(むかさごこくじんじゃ)

    当社は荒川真澄他六名により創建される。明治七年十月十五日より官祭祭日四月十一日、十月六日を定め、のち十月六日をもって祭日と定めた。明治四十年四月二十五日陸軍騎兵少尉野村盛茂他七名私祭合祀許可される。
     昭和十四年四月一日より招魂社の名を、穆佐護国神社と定めた。

    電話番号
    (0985)82-2146
    郵便番号
    880-2214
    住所
    宮崎市高岡町小山田925番地7
  • 穆佐神社(むかさじんじゃ)

    穆佐神社(むかさじんじゃ)

    応永初年旧鹿児島藩主八代島津久豊穆佐城主たりとき、使を豊前宇佐神宮に遣はし御分霊を奉迎し、穆佐城の西約二十町を離るる字小小山に社殿を建立し、宇佐八幡宮と称え、永く島津家の宗廟氏神とし尊せり。安政三年(1856)月日不詳火災に罹ったが直に改築した。廃藩置県後、明治五年郷社に列し穆佐神社と称する。明治三十九年、神饌幣帛料供進社に指定された。境内には六百有余年の楠木が三本有り。

    電話番号
    (0985)82-4021
    郵便番号
    880-2214
    住所
    宮崎市高岡町小山田3468番地
  • 粟野神社(あわのじんじゃ)

    粟野神社(あわのじんじゃ)

    本社は島津義弘公当村在城のとき粟野宮を特に崇敬され、穆佐院三百町の宗廟に定められた。本社は、今の高岡町高浜に在り、高浜は古来当村の内だったが、高岡建置の時、同村所属となった。旧規に従い穆佐から高岡へ出向き祭祀が行われていたが、粟野の小社を下倉永へ遷宮することを請願して許可され、天明三年(1783)今の地に新設し、本殿は嘉永五年(1852)改築、廃藩置県の後村社に列せられた。
     特殊神事としては、毎年正月初午の日に、陽器を持ちあるいは牛頭を冠り、田植式の神楽が奏される。七月二十六日の夏祭りには、神輿の渡御式があり、下倉・宮永流の氏子若衆が神輿をかつぎ大淀川辺に至り禊の式を行い還幸する。

    電話番号
    (0985)82-0522
    郵便番号
    880-2212
    住所
    宮崎市高岡町下倉永684番地
  • 八坂神社(やさかじんじゃ)高岡町

    八坂神社(やさかじんじゃ)高岡町

    島津の祖久豊九代忠国、穆佐城に移住すると当社を倉永の氏神と定め、島津家武運長久の祈願所として、代々修理改築し、祭祀の資料を寄進し崇敬浅からず、慶長五年(1600)島津義弘高岡郷開拓地に居城を設けると、神領若干を付し祭祀の料としたが、改組の際民有地となった。天正十五年(1587)兵火にあい古文書、宝物共焼失した。
     当社は、もと祇園大将軍と称したが、明治の初め村社に列し八坂神社と現在の社名に改めた。明治四十年二月飲泉幣帛料供進社に指定された。戦前の夏祭りは、俵踊・棒踊・城攻踊奉納で賑わい、秋祭りは神楽舞奉納・五穀豊穣感謝祭が行われていたが、今日ではそれらもみられない。

    電話番号
    (0985)82-2626
    郵便番号
    880-2213
    住所
    宮崎市高岡町上倉永1905番地
  • 花見神社(はなみじんじゃ)

    花見神社(はなみじんじゃ)

    当社の創立年代不詳であるが、旧称「祇園」と言い、応永年間(1394~1428)島津氏が伊東氏に代り当地を領有するや、島津家の祖八代久豊公は祇園神社を再興し厚く尊崇する。永禄十一年(1568)十二月十六日社殿再興の棟札写しがある。元亀天正年間島津氏と伊東氏との戦乱の際、兵火に罹り古器物、棟木、旧記、ことごとく灰燼に帰す。島津氏十七代の義弘公は当神社を祈願所として、社地四面神領若干を寄進し、花見村の宗廟として厚く尊信する。当社は元同村下流水に鎮座していたが寬文年中暴風のため社殿が破壊したため、八反の岩窟に鎮座の大将軍社と合祀し同地に遷座する。明治三年二月花見字楠元に鎮座の下尾神社(祭神・菅丞相、武内宿禰)を合祀する。明治五年八月村社に列せられる。大正二年三月十七日許可を受け岩窟前現在の地に移転する。大正十三年十月十八日勅令第九十六号第一条により神饌幣帛料供進の神社に指定される。

    電話番号
    (0985)82-1673
    郵便番号
    880-2211
    住所
    宮崎市高岡町花見1312番地-ロ
  • 伊勢神社(いせじんじゃ)

    伊勢神社(いせじんじゃ)

    当社の創立年代は不詳。延慶元年(1308)の創立とも伝えられる。島津氏より崇敬され応永五年(1398)島津家八代久豊公により再興されている。
     その後、一時伊東領となったが、天正年間に至り再び島津氏の領するところとなり、当社を厚く崇敬し、島津義久公により再興された。天正十五年(1587)豊太閣の薩征軍乱入し火を放ち、棟木・古文書等灰燼に帰す。慶長五年(1600)島津義弘公高岡郷建置に当り、野尻の内浦之名を高岡郷に加えられ、当社を浦之名村の宗社と崇められた。慶長九年(1604)八月二十九日、家久公は神領若干を寄進し社殿を再興した。明治五年八月、村社に列格し、明治四十年二月、神饌幣帛料供進社に指定された。昭和十一年十二月、氏子崇敬者の寄進により、境内地購入拡張し社殿を移転する。
     境内神社である大将軍神社は、往古、黒岩喜右衛門の先祖が出雲の国より当村に勧請したもので、旧藩時代は尊忠挙げて厚く尊崇し、祭典を行ってきたが、明治三年二月伊勢神社に合祀された。

    電話番号
    (0985)82-2308
    郵便番号
    880-2223
    住所
    宮崎市高岡町浦之名4138番地ノ2
  • 高岡護国神社(たかおかごこくじんじゃ)

    高岡護国神社(たかおかごこくじんじゃ)

    当社は明治三年十月高岡郷士長野祐之他六百四十四名により創建。明治七年三月官祭の礼を賜い、官祭祭例日を十一月二十三日と定める。明治十三年九月高岡郷有志の寄進をもって社殿を新築、それより旧暦八月十五日を私祭日と定めて、祭典盛大に行っていたが昭和四年より陽暦十月十日に改める。昭和十一年五月高岡町より寄付を受けた町有林を敷地として移転、本殿を新築拝殿を改築し境内を整備する。昭和十四年四月一日、従来官祭内山招魂社と称していたが招魂社制度改正にて指令社兵第二四四六号許可指令により、社号を高岡護国神社と改称する。

    電話番号
    (0985)82-2308
    郵便番号
    880-2221
    住所
    宮崎市高岡町内山2906番地-2
  • 粟野神社(あわのじんじゃ)

    粟野神社(あわのじんじゃ)

    社名は、祭神中の少名彦名尊が粟の茎にのって常世の国に行かれたという伝説から起きたのであろう。
    古くは粟野八社大明神と申し上げ、遠く他の領地までも神威輝き、毎年旧暦六月二十六日より浜下りと称し、延岡領宮崎郡上ノ町(現在の宮崎市役所附近)まで御神幸の行事ありて、遠近よりの参詣人多く神威甚だしき旨記しあり。
    応永年間島津氏当地を領有されると、信心厚く、穆佐院三百町の惣廟と崇め、神領七町を寄進し社殿を再興、祭儀の規式をも改め祀典を厚くする。天正十五年(1587)太閤豊臣秀吉公の薩征の軍乱入により、神宝・文書・棟木までことごとく紛失し、文禄初年には別当粟野寺とともに荒廃したようである。しかし慶長五庚子年、十七代島津義弘公高岡郷御取立の節、既存の粟野宮を高岡郷の惣廟に定められ、爾来歴代島津との崇敬厚く禄髙を奉り再三の改築には多額の金穀を奉納せられた。
    御社殿 嘉永五年(1852)二月 改築
        大正九年三月 神殿、舞殿、拝殿造替
        昭和四年四月 県社昇格に際し大改修
        昭和二十四年十一月 台風の被害あり大改修
        昭和四十九年三月 神殿の銅板屋根葺替、舞殿、拝殿の大改修
                 社務所新築工事(※現在は無し)

    電話番号
    (0985)82-2308
    郵便番号
    880-2215
    住所
    宮崎市高岡町高浜2186番地
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