Loading...

宮崎県の神社

神社検索
神社データ(神社名、住所、由緒等)から全検索します。
地域
地域一覧
  • 南川神社(みなみがわじんじゃ)

    南川神社(みなみがわじんじゃ)

    当社は、南川中尾にあり、吉野大明神と呼ばれていた。明治四十一年八月家代神社に合祀し、昭和二十八年再び現在地において祀るようになる。例祭には神楽三番が奉納され、直会では奉納演芸大会等がありその賑わいは年を追う毎に盛大になっている。なお、旧正月には南川神社夜神楽が一年交替の神楽宿(民家)であり三十三番の勇壮な神楽が世を徹して舞い続けられる。
     昭和三十一年十一月十日宗教法人南川神社となる。

    電話番号
    (0982)65-0252
    郵便番号
    883-1301
    住所
    東臼杵郡諸塚村大字家代5716-ロ-乙
  • 小原井神社(おばらいじんじゃ)

    小原井神社(おばらいじんじゃ)

    当社の由緒は不詳であるが、『日向地誌』によれば、「村社ナリ 向ヒ原ニアリ社地 三段三畝十一歩 木花開耶姫尊、大己貴尊 少彦名尊ヲ合祭ス 旧称松尾大明神ト云明治四年辛未今名ニ改ム 例祭十月十一日」とある。明治四十二年五月。同村柱神社に合祀されたが、その後復社した。

    電話番号
    (0982)65-4235
    郵便番号
    883-1402
    住所
    東臼杵郡諸塚村大字七ツ山3765番地
  • 黒葛原神社(つづらのはるじんじゃ)

    黒葛原神社(つづらのはるじんじゃ)

    当社は家代熊野権現(家代神社)を勧請したのが始まりと伝える。もと熊野大権現と称し、地区の氏神として崇められてきた。明治四年黒葛原神社と改称し、明治十五年毘沙門天を合祀した。明治四十一年八月地方庁の指示により家代神社に合祀、昭和二十八年四月再び黒葛原に復社した。三月三日の例祭では神楽三番の奉納に引き続き、無礼打ちにあった父の敵きを討つ娘と相手の侍とのからみを表現した有名な「団七踊り」が奉納され、村内外から引きもきらぬ参拝者でにぎわう。
    黒葛原地区に団七踊りが伝習されたのは昭和二十八年であり、毎年春の祭典に奉納されている。六十年の周期を迎えた平成五年に、故人となりし師匠戸高仙吉氏の冥福を祈ると共に、その功績を称え記念碑が建立された。
    六十年の間には、名古屋での全国大会にも出場し古式を守る芸能として高い評価を受けた。

    電話番号
    (0982)65-0252
    郵便番号
    883-1301
    住所
    宮崎県東臼杵郡諸塚村家代1146-乙
  • 諸塚神社(もろつかじんじゃ)

    諸塚神社(もろつかじんじゃ)

    当社は、九州山地の中央部の山岳地帯、耳川の支流七ツ山川流域に位置する。勧請年月は不詳であるが、一説によれば桓武天皇の御代(781~805)、西海の方へ白旗が飛び去った。これを神掛の者に問うたところ、「吾は日向国旧杵之社諸塚神社也」と答えた。坂上田村麻呂を勅使として日向国に差下し、宮社を創建すると伝える。
     また、一説には昔唐土の大代大八という者、この地に来りて岩窟に入り、籠居二十一日遂に出ず、里人祠を立ててこれを祀り、諸塚大白太子大明神、又は諸塚大白山大司大明神社と称したと伝える。(七ツ山神社明細帳1890年)。
    本村の神山諸塚山(イザナギ・イザナミの神陵と伝えられる)の山頂には、空木ヶ原に西の神前・赤木ヶ原には東の神前と称して、山頂の諸神を遙拝する場所があり神社があった。山頂は古くから修験道場として信仰の霊山であった。
    西の神殿は焼失し、東の神殿は明治四十三年十二月十九日に現在の社殿に諸塚山山頂より移転した。明治三十九年国の勅令によって神饌幣帛料を供進すべき神社の指定を受け、郷社七ツ山神社の社格となった。その後大正十四年、旧称七ツ山神社を諸塚神社と改称する。
    現在山頂には東の神殿跡に、諸塚神社元宮を平成二年に建立している。その傍らには神武天皇御遊幸記念碑が、紀元二六〇〇年を記念して建立されている。(昭和十六年)
    当社の下流に立岩大明神があり、その昔、川沿いにそびえる高さ数丈なる子持岩の下に数畳敷きの窟があり、天之御中主命をお祭りしていたが、年代不詳の大洪水で大神の御霊代は栂の節に乗り、美々津に流れ着いた。村人これをとりおくも、尋ね来たる者なくつとにここに奉斎せり。いまは大神を諸塚神社に合祀せり。立岩の里人今も栂の節を焚かずとの言い伝えあり。その岩が昭和三十一年一月十日午後一時頃、大音響とともに割れて落ちた。現在はその上に大明神をお祭りし、秋の大祭では御神幸祭の御旅所となっている。

    電話番号
    (0982)65-1270
    郵便番号
    883-1302
    住所
    東臼杵郡諸塚村大字七ツ山7190番地
  • 川ノ口神社(かわのくちじんじゃ)

    川ノ口神社(かわのくちじんじゃ)

    当社は、下長川の西方約2キロメートルにあたる柿の原天神を主体に、それまで各家庭において祀られていた天神を、天保十一年(1840)二月現在地に創建、天満宮と称し祀り始める。明治四年辛未、現在の社名に改める。
     明治五年二月十日(棟札には大鶴とある)天神から川の口へ、さらに草木原へと居を移し草木原天神を合祀。浅藪奈良家に伝わる伝説によれば「昔、平家の落人兄弟が背負って来た速鷹天神と昆沙門天は黒葛原で、速鷹天神は浅藪で祀った」という。それを昭和三十年川ノ口神社に合祀した。
     昭和二十七年十二月二十七日、宗教法人として設立許可される。

    電話番号
    (0982)65-1270
    郵便番号
    883-1301
    住所
    東臼杵郡諸塚村大字家代328番地
  • 松ノ平神社(まつのひらじんじゃ)

    松ノ平神社(まつのひらじんじゃ)

    由緒沿革不詳なれど、『日向地誌』によると「松野平神社・村社ナリ小村園ニアリ社地一段七畝二十四歩木潜尾命ヲ祭ル 旧称天神宮ト云 明治四年辛未今名ニ改ム 例祭一月二十一日」とある。

    電話番号
    (0982)65-4235
    郵便番号
    883-1302
    住所
    東臼杵郡諸塚村大字七ッ山293番地
  • 桂神社(かつらじんじゃ)

    桂神社(かつらじんじゃ)

    古くからの伝承によれば、御祭神は関東葛(かつらぎ)の国より御降臨と言うも、詳細は不詳であるが、桂村の起源と深い関わりがあると考えられる。広く近郷の人々の信仰を集め、例祭は十一月十五日で今日まで変わることなく、僅か五世帯の氏子により、桂神楽と共に続け伝えられている。古くは「八幡宮」と称し、明治四年辛未現称に改め翌五年村社に列せられた。『高千穂神社仏閣記』によると「十一月五日祓斗リ関本ヨリ御光臨ノ神トイフ」とある。
     明治四十二年五月、地方庁の許可を受けて、小原井神社、年神社を合祀し、更に同十月天神社を合祀した。

    神楽歌
    しめひけは ここも高天原よ
    あつまりたまえよ よろつ代の神

    みこうやにまいりて おかめは神くたる
    四方の神も おりえまします

    秋の田の穂の上 照らす稲妻の
    先のまにそ 神はまします

    電話番号
    (0982)65-4235
    郵便番号
    883-1402
    住所
    東臼杵郡諸塚村大字七ツ山2039・2040番地
  • 飯干神社(いいぼしじんじゃ)

    飯干神社(いいぼしじんじゃ)

    当社古くは「天満宮」と称し、明治四年辛未現称に改める。祭神中金山彦命は、字只右に鎮座したのを、明治五年二月当社に合祀した。『日州新聞』第5274号(大正六年十二月七日)には「飯干神社焼く、燈明の火より」として「東臼杵郡諸塚村大字七ツ山飯干神社の社殿より客日廿一午后五時頃突然火を発し全焼したるが、取調の結果同日発火する約一時間前同村人が同神社へ参詣し蝋燭三本に点火し燈明の火を掲げて礼拝を終へたる後は燈明の火を吹き消して帰宅したりといふも、其後同神社にて火気を用ひたるものなければ、多分村人の捧げし燈明を消すことを打忘れたる為、之より発火せしものならんと。損害は社殿其他百余円の見込なり」と事件を報じている。

    電話番号
    (0982)65-4235
    郵便番号
    883-1402
    住所
    東臼杵郡諸塚村大字七ツ山8743番地
  • 荒谷神社(あらだにじんじゃ)

    荒谷神社(あらだにじんじゃ)

    古くは神社の東方約千五百㍍の地に天神森と云う台地があり、天保七年(1836)にそこから現在地に移されたものという。現在の境内は昔の城址であったと言いつたえられている。もと天満宮と称したが、明治四年荒谷神社と改称し、翌五年二月、日本武命を合祀し、村社に列せられた。。
    十一月十五日の例祭には、戸下神楽三番が奉納され、モチまきと続き、直会では奉納演芸会等が催され近郷近在から参拝に訪れた人達も飛び入りし、終日大変な賑わいを見せる。

    電話番号
    (0982)65-0252
    郵便番号
    883-1301
    住所
    東臼杵郡諸塚村大字家代6543・6544番地
  • 家代神社(えしろじんじゃ)

    家代神社(えしろじんじゃ)

    当社はもと熊野大権現と呼ばれ、紀州熊野より分霊を勧請したと伝える。その後、明治五年中村に鎮座の八幡(祭神・品陀和気命、素盞嗚命)を合祀し、家代神社と改称し村社に列せられ、明治四十年二月、神饌幣帛料供進社に指定された。明治四十一年八月、地内中尾に鎮座の南川神社と地内黒葛原に鎮座の黒葛原神社を合祀したが、両社とも昭和二十八年復社した。
    『日向地誌』によると、祭神は伊弉冉・事解男二尊のほか速玉男尊があげられている。
     十一月二日の例祭には、古来から伝わる臼太鼓踊りが奉納され、村内外から多くの参拝者が訪れる。また、夏には御神幸祭が行われ、氏子が神輿をかついで地区内を渡御し、つづいて、昔疫病を退散させる祈願から始まったと云われている棒とナギナタ踊りを組み合わせた「ネリフリ」が奉納される。
    当社には県の文化財に指定されている銅鏡十一面があり、その中の一面は、古墳時代の仿製鏡といわれる方格規矩鏡で、他の十面は、南北朝時代から室町時代に奉納されたものとされている。

    電話番号
    (0982)65-0252
    郵便番号
    883-1301
    住所
    宮崎県東臼杵郡諸塚村家代4109・4110-2
  • 塚原神社(つかばるじんじゃ)

    塚原神社(つかばるじんじゃ)

    当社は古く平田(太)大明神と称し、明治四年辛未に現称に改める。『高千穂神社仏閣記』には「家代村 平田大明神」として「肥喜ト云フ処ヨリ御光臨ノ神ト云フ御祭礼ハ三年目三年目ニ御神王定日無之」とある。

    電話番号
    (0982)65-1270
    郵便番号
    883-1301
    住所
    東臼杵郡諸塚村大字家代2850番地
  • 田代神社(たしろじんじゃ)

    田代神社(たしろじんじゃ)

    当社は、標高897.7メートル日陰山、またの名を権現山の中腹に鎮座する。今から約950年ほど前、日陰山にむかって犬の遠ぼえが七日七夜も続き、山頂に不思議な光が輝いた。そこで掘ってみると鋤の先が出てきたので、それをご神体として、長元五年壬申の年(1032)に創建され、旧社名を霧島神社と称した。明治四年十一月他社を合祀して田代神社と改称し、翌五年郷社に列せられた。さらに明治四十年二月神饌幣帛料供進社に指定された。
     大祭は毎年十一月二十二日で、田代神社の本社が権現山の中腹にあるため、上円野神社まで神霊の御降りを願って、安置された神輿に乗り移られ、大字田代峯の御小屋までお迎えして翌日まで夜通し神事を行う。
     また七月七日の御田祭は大祭と同様上円野神社まで神霊の御降りを願って、安置された神輿に乗り移られ、途中上の宮田に神幸、田植え終了後、中の宮田に祀ってある年の神に神幸される。祭りは古来から、世襲制の家柄が中心に祭事役(ミヨド・ウナリ・ノボリモチ)を務め、これに一般の参詣者も加わり、神人、牛馬一体となって神田の整地から田植えを行い、参詣者の無病息災と豊作を祈願する。
     祭り当日まで各家々の田植え作業は、「神様の田植えと一緒になってしまうから良くない」と言いつたえ、仕事の遅れた家には村人が加勢して、必ず祭りの日まで終わらせていた。この祭りには、催馬楽の歌詞も伝えられ、古来の田楽神事がしのばれる近郷では珍しい民俗行事である。昭和四十八年六月四日西郷村無形民俗文化財として村指定を受けている。

    電話番号
    (0982)66-3011
    郵便番号
    883-1101
    住所
    東臼杵郡美郷町西郷区田代161番地イ
神社検索
神社データ(神社名、住所、由緒等)から全検索します。
地域
地域一覧