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宮崎県の神社

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  • 宇納間神社(うなまじんじゃ)

    宇納間神社(うなまじんじゃ)

    孝謙天皇の天平勝宝二年(750)、豊前国宇佐八幡宮より日向延岡今山八幡宮への鎮座の際、当所にご休座になったが、高良玉垂命は八幡宮の第一の家臣であるために同所、すなわち現在の場所に伊佐賀大明神として勧請し、祀ってきた。
     明治四年一村一社の制が定められたので、中原区小園八村神社(祭神、高皇産霊命)、字坂本の嶽野大明神(祭神、大日霊貴命、天忍穂耳命、天津彦火々出見命、鸕鷀草葺不合命)、字中原の地主神社(祭神、大己貴命、事代主命、天穂彦命、三根津姫命、建御名方命、味鉏高彦根命)、字畑の宇納間升神社(祭神、大己貴命)、字小八重、下角、清川、尾戸、井出之口の天満神社(祭神、菅原神)の十社を合祀し、明治五年一月十二日宇納間神社と改称した。
    なお、参道左側に大きく根を張る根回り約十㍍のイチイ樫は樹齢数百年を経た珍しい神木である。

    電話番号
    郵便番号
    889-0901
    住所
    東臼杵郡美郷町北郷区宇納間11番地
  • 入下神社(にゅうしたじんじゃ)

    入下神社(にゅうしたじんじゃ)

    五十鈴川上流駒瀬山西麓に位置する。勧請年月日不詳であるが、従前より鬼宿神社と称し、伊弉諾命、伊弉冉命を産土神として尊崇し、祭典を行ってきた。明治四年十一月、字黒原の天満神社(祭神 菅原神)、字尾畑の天満神社(祭神 菅原神)、字尾平の天満神社(祭神 菅原神)、字椿原の天満神(祭神 菅原神)、字椿原の今宮八幡社(祭神 品陀和気命)を当社に合祀し、社号を入下神社と改称して、村社に列せられた。

    電話番号
    郵便番号
    889-0902
    住所
    東臼杵郡美郷町北郷区入下2215番地
  • 中山神社(なかやまじんじゃ)

    中山神社(なかやまじんじゃ)

    当社は文徳天皇の御宇、天安元年(857)門川長字分蔵野地に始めて勧請されたもので、後に第八十一代安徳天皇御宇、養和年中に神主大野丹後守藤原惟明により、同調狗山に遷座された。
     社伝の記録に「延岡藩主土持氏、其の支城たる狗山城の鬼門除けとして遷座す」と言う。
     当時、恒富村井上城主土持相模守田部栄綱は当社を尊崇し、城主の左三ツ巴ご紋付き神鏡一面を寄進して、正月七日、七月七日、十一月七日を大祭日と定めて、明治維新まで、奉仕執行されてきた。
     後花園天皇御代、康正二年七月七日大宮司小野伊勢守藤原良久はさらに狗山の社地より、現在鎮座地である宮田の移転鎮座して現在に至っている。
     当社は古来、藩主、領主、武門、武将の崇敬特に篤く、延岡藩代々の藩主は、ご神領、田畑の寄進、社殿の造営を行い、藩主自ら奉幣参拝された。
     中御門天皇の御代、享和三年(1803)十一月二十一日社頭へ藤のご紋使用御免となり、社殿改築に当りては、多大の金銀を寄進した。
     明治四年、神社合祀により、門川町中山鎮座の愛宕神社(祭偉人、大山祇命、軻遇突智命)を合祀して、創立以来中山大明神として称してきた社号を中山神社と改称し、明治五年十一月十七日には村社に列せられた。

    電話番号
    (0982)63-5754
    郵便番号
    889-0611
    住所
    東臼杵郡門川町大字門川尾末6343番地
  • 尾末神社(おすえじんじゃ)

    尾末神社(おすえじんじゃ)

    本社の祭神菅原道真公は尾末神社の主祭神であって、門川町五十鈴河の川口にある一小島に鎮座しており、同社地は古来如何なる洪水があっても、浸水することがないので、古名を生島と称していたが、其の後、次第に浮島と称するようになった。
     堀川天皇の御世に、京都の黒木主計頭藤原朝臣重義という人が尾末村に来て住み、守神である北野天満宮の分霊を勧請して、浮島天満宮と称した。
     祭神底筒男命、中筒男命、上筒男命の三柱は、もと、天満神社の境内に鎮座して、住吉大明神と称し、長治元年の勧請である。
     同祭神軻遇突智神二座は、旧小字尾末に二ヵ所鎮座して、荒神社と称していたが、何れも寬文六年(1666)の勧請である。
     祭神事代主神主神二座はもと、二ヵ所に鎮座して、蛭子神社と称し、一ヵ所は小字下納屋に鎮座していた蛭子神社で、元禄七年(1694)の勧請であり、他の一ヵ所は小字上納屋に鎮座していた蛭子神社で、享保元年(1716)の勧請であった。
     祭神、綿津見神は、もと、綿津見神社と称して、小字下納屋に鎮座していた社で、慶長三年(1598)の勧請であった。何れも、明治五年、本社に合祀し、社号を尾末神社と改称した。
     当社は旧藩時代延岡藩主有馬左衞門尉直純公の崇敬厚く、ご参拝ご詠歌の奉納等度々あり、その後内藤家領主も篤く崇敬した社であった。
    『宮崎県史蹟調査』によれば、所蔵棟札として元文四年(1739)十二月、宝暦六年(1756)十一月、享保八年(1718)十二月、文化十二年(1815)七月、他七枚を有すると記されている。

    特殊神事
    一、太鼓台神事、例大祭御神幸随行として古来太鼓台三台(人員500名)出場。
    二、茅の輪神事、大祓の行事であるが本社は古来より茅の輪神事を厳修し参拝者が多い。
    三、漁祭(定期二祭り)門川港に船長百名出席。一名恵美須さん、また海津見祭と云う。

    電話番号
    (0982)63-1747
    郵便番号
    889-0611
    住所
    東臼杵郡門川町大字門川尾末1411番イ号地
  • 庵川神社(いおりがわじんじゃ)

    庵川神社(いおりがわじんじゃ)

    後村上天皇の御宇、貞和三年(1347)十一月六日の勧請であって、古老の説として伝えるところによると、当地に旱魃と不漁が続き、村人の生活は困窮し、荒廃甚だしく、人心の不安が募ったとき、村人挙って天満宮を祈念勧請し、御神徳を拝戴した、と伝えられている社である。
    明治三年十一月八幡神社他四社を合祀して現在の名に改めた。
    昭和二十八年四月二十四日宗教法人設立登記をした。

    電話番号
    (0982)63-1747
    郵便番号
    889-0602
    住所
    東臼杵郡門川町大字庵川2565番地
  • 加草神社(かくさじんじゃ)

    加草神社(かくさじんじゃ)

    当社は別名若一王子神社、または熊野大神社と称して、加草江田の城主草野大膳弘利が勧請したと伝える。
    神領は付置されて、祭礼は賑々しく行われていたが、天正年間の九州大乱の時、草野家出火と共に縁起、系図、宝物類は悉く焼失した。
    明治三年十一月葛城神社他五社を合祀して現在の社名に改めた。
    昭和二十八年四月二十四日宗教法人設立登記をした。

    電話番号
    (0982)63-1747
    郵便番号
    889-0603
    住所
    東臼杵郡門川町大字加草2939番地
  • 川内神社(かわちじんじゃ)

    川内神社(かわちじんじゃ)

    当社の祭神伊邪那美神、事解男神、速玉男神、磐長姫神、久々能智神の五座は大永3年藤原和歌介丹直重が平家の氏神である熊野三所大権現を紀州より勧請したもので、元熊野大権現と称していたが、明治三年一村一社の令により、川内村総氏神である大将軍神社(大己貴神を祀り、寬永三年再興)、貝木滝大権現(罔象女神を祭る。雨乞いの霊験で識られ、古来近郷の遵崇厚い社である)及び十数社を合祀して、川内神社と社号を改称し、昨今は川内総氏神社となっている。

    電話番号
    (0982)63-3479
    郵便番号
    889-0604
    住所
    東臼杵郡門川町大字川内4951番地
  • 眞中神社(まなかじんじゃ)

    眞中神社(まなかじんじゃ)

    勧請年月日は不詳であるが、享保九甲辰年(1724)十月十二日には志田源兵衛が現地に建立しており、もと妙見大明神と称して、特に眼病平癒の神として、近郷地方の人々の崇敬篤く、遠近の参拝者が多い。
    古来十月申の日を祭日としており、本社の神主は神祇管領長侍従職より任命された。
    明治三年村社小松神社に合祀されていたが、村民が祭典料として田一反七畝二十八歩を寄進し、崇敬者より復社を出願したところ、明治十三年九月十三日復社して今日に至っている。

    電話番号
    (0982)63-3479
    郵便番号
    889-0604
    住所
    東臼杵郡門川町大字川内6834番地1
  • 小松神社(こまつじんじゃ)

    小松神社(こまつじんじゃ)

    永禄二年十一月七日に勧請したもので、もと若宮大明神と称していたが、明治四年、字大池中ノ内の天満神社外五社を合祀して、小松神社と社号を改め、明治五年に村社に列せられた。
    当社の東方にある村の中には、県の天然記念物に指定された門川のキンモクセイや、文永四丁卯年三月銘の板碑や巨大な五輪塔数基を有する墓地がある。

    電話番号
    (0982)63-3479
    郵便番号
    889-0604
    住所
    東臼杵郡門川町大字川内7131番地1
  • 三箇瀬神社(さんかせじんじゃ)

    三箇瀬神社(さんかせじんじゃ)

    本社は長享二年(1488)七月七日の勧請で、旧若宮大明神と称していた。明治四年、字市ノ原の若宮大明神(祭神 少彦名神他)を合祀して、三箇瀬神社と改称し、明治五年村社に列せられた。

    電話番号
    (0982)63-5754
    郵便番号
    889-0604
    住所
    東臼杵郡門川町大字川内1280番地
  • 潤島神社(うるしまじんじゃ)

    潤島神社(うるしまじんじゃ)

    康正元年(1455)の勧請と云われ、明治四年一村一社の制により、郷社門川神社へ合祀されていたが、明治十三年十二月二十五日復社の許可があり、旧社地へ復社した。しかし道路狭隘のため不便であり、管理上支障も考えられることから、崇敬者協議の上、同村小字萩の下八〇一番地の山林を選定した。
    この選定した山林は、往時社地を此処に予定したこともあり、位置が高く、参詣、管理等の便利も良いため、最適地として、明治二十六年五月一日小字萩の下へ移転認可を申請し、同年五月二十三日移転許可を得て、造営に着手し、同二十七年一月二十日社殿落成し、二月十七日本殿遷座を行い、以後広く厚い崇敬の心で護持運営し、今日に至っている。

    電話番号
    (0982)63-3479
    郵便番号
    883-0611
    住所
    東臼杵郡門川町大字門川尾末801番地ノ2
  • 八坂神社(やさかじんじゃ)門川町

    八坂神社(やさかじんじゃ)門川町

    旧祇園神社と称して、楠木をご神体として勧請したと伝えられており、宝徳元年に社殿を建立し、村中篤く崇敬してきたもので、明治四年一村一社の制により、郷社門川神社へ合祀されていたが、明治十三年十二月二十一日旧社地への復社が許可され、復社した。

    電話番号
    (0982)63-3479
    郵便番号
    889-0611
    住所
    東臼杵郡門川町大字門川尾末4965番地1
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