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宮崎県の神社

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  • 赤水神社(あかみずじんじゃ)

    赤水神社(あかみずじんじゃ)

    市の南部、西から日向灘に突出している遠見山北半島の岸にあり、日向灘を見下ろす丘上に鎮座する。
    往古より祭神菅原道真公を奉斎して、天満宮と称し、赤水の産土大神と尊崇されてきた。
    明治四年神社改正の際、大化二年(646)勧請と伝える本屋敷の恵比須神社を同年十二月二十三日に合祀して、旧来の社号天満宮を赤水神社と改称し、村社に列せられ今日に至っている。

    電話番号
    (0982)37-0041
    郵便番号
    889-0517
    住所
    延岡市赤水町530番地の2
  • 上伊福形神社(かみいがたじんじゃ)

    上伊福形神社(かみいがたじんじゃ)

    孝謙天皇の御宇、領主土持日向守の時に勧請したもので丹生大明神と称した。
     往古より、上伊福形の産土大神と崇敬し、祭祀、造営等奉仕して護持してきたもので、明治四年神社改正の際、旧藩の制度に従って翌五年三月同村字大村ノ前の日枝神社(祭神、大山祇之神)、同村字石田の蛭児神社(祭神、蛭児之神)、同村字受ノ内の八幡神社(祭神、品陀和気之神)、同村字林の天神社(祭神、菅原道真公)、同村字阿座美の鴟尾権現(祭神、惟治公霊神)、同村字白石の炎尾神社(祭神、彦火々出見神)等を合祀して、丹生大明神の社号を上伊福形神社と改称し、村社に列せられた。明治四十年二月九日神饌幣帛料供進神社に指定される。
     なお、白石炎尾神社は明治十三年十二月二十三日付にて復社の許可を得て、旧社地に復社し、無格社炎尾神社として独立したが、明治四十一年十月五日付けにて、再び合祀の許可を受け、再度本社に合祀されたものである。

    電話番号
    (0982)37-0041
    郵便番号
    889-0502
    住所
    延岡市上伊形町892番地
  • 下伊福形神社(しもいがたじんじゃ)

    下伊福形神社(しもいがたじんじゃ)

    治承三年(1179)、高倉天皇の御宇、領主土持相模守田部栄綱公の時勧請したもので、当村字無田に鎮座して、大将軍社と称していた。
    往古より、下伊福形の産土大神と尊崇して、祭祀や造営等怠ることなく仕えてきたのであるが、嘉永四年(1851)三月社殿を焼失し、安政四年(1857)九月二十八日現在の地に新築し、正遷座を行った。
    明治四年三月四柱神社と改称し、明治五年三月、同村字菖蒲田の大年神社(祭神、大年之神)、同村字小ヶ倉の日枝神社(祭神、大山祇神)、同村字無田の霧島神社(祭神、彦火火出見神)、同村字一ヶ岡の水神社(祭神、罔象女之神)等を合祀して、四柱神社の社号を下伊福形神社と改称し、村社に列せられ、明治四十年二月九日には神饌幣帛料供進指定社に定められた。
    なお一ヶ岡水神社は明治十三年十二月二十三日付にて復社の許可を得、旧社地に遷座し、無格社水神社と称して独立していたが、明治四十一年七月二十八日に再び許可を受けて、再度、本社に合祀したものである。
    昭和四十七年には、開けゆく氏子区域にあって神社も造営され、大規模住宅団地の新しい氏子と共に、新しい形態の祭りも執行されて発展していたが、昭和六十年二月二十八日子供の火遊びのため炎上、本殿、拝殿を焼失した。
    現在の社殿は昭和六十二年十一月二十三日竣工。

    電話番号
    (0982)37-0041
    郵便番号
    889-0505
    住所
    延岡市北一ヶ岡四丁目4番地129
  • 霧島神社(きりしまじんじゃ)延岡市

    霧島神社(きりしまじんじゃ)延岡市

    元霧島三所大明神と称して、古来、土々呂の産土大神と崇敬し、祭祀、造営等を氏子崇敬者が奉仕してきた。
    明治四年神社改正の際、同所城山の今宮八幡神社(祭神、品陀和気神)を明治五年三月七日に合祀し、古来の霧島三所大明神の社号を霧島神社と改称して、村社に列せられた。
    後に今宮八幡神社は明治十四年九月十九日復社の許可を得て旧地に遷座し、無格社今宮八幡神社と号して独立した処、再び明治四十一年四月十五日付にて合祀の許可を受けて、本社に合祀した。
    昭和三年十月十六日付にて神饌幣帛料供進神社に指定され、昭和四十二年には造営事業が行われ、新社殿の竣工をみて、いよいよ社頭も賑わい、祭礼行事も盛儀化している。

    電話番号
    (0982)37-0041
    郵便番号
    889-0513
    住所
    延岡市土々呂町五丁目706番地の2
  • 春日神社(かすがじんじゃ)延岡市

    春日神社(かすがじんじゃ)延岡市

    当社の御祭神、天児屋根命、武甕槌命、斎主命(経津主命)、姫大神は、日本国の成り立ちに深く関わられ、瓊々杵尊が、日向の国高千穂久志布流峰に天下り給いし時の随身、英傑の神々であり、上古よりこの地に斎い奉りて、荒瀬宮と申し上げていました。
    今から千三百年ほど前の養老二年十一月二十五日に当国守護大神大納言惟資(これすけ)が神殿を建立し春日大明神と尊び敬って名付け、この後の領主 土持・高橋・有馬・三浦・牧野・内藤の歴代各藩主は、篤い尊崇の念を持って多くの寄進を惜しまず、領民達もこぞって参詣しました。
    廃藩後の明治四年七月、社号が「恒富神社」と改称されましたが、氏子の熱望により昭和四十三年、古来の社名「春日神社」に復元し、「春日さん」と親しまれながら現在に至っております。
    社殿の両側に天高くそびえる楠のご神木は、向かって右側のものが幹回り十メートルを超え宮崎県下七番目、左側のものが八,五メートルで十八番めの巨樹です。いずれも樹齢九百年にも及ばんとし、六十余種の樹木と共に、みごとな神奈備の杜を形成しています。

    電話番号
    (0982)32-2520
    郵便番号
    882-0836
    住所
    延岡市恒富町四丁目207番地
  • 天神社(てんじんじゃ)(小野神社)

    天神社(てんじんじゃ)(小野神社)

    勧請年月日は不詳であるが、応仁年間(1467)小野町山内家の祖先神、国常立命を勧請し、鎮祭したものであると言う。このため、今日に至るまで、毎年六月二十三日と十一月二十三日の両祭日にには、主に山内家において祭事を執り行ったと言われている。
    明治四年、当社は村社に列せられ、現在では小野町の産土神として、参拝する者が多くなっている。
    境内には遺跡が多く、大正五年故鳥居龍蔵博士が発掘したミサキ森古墳の粘土棺、製銅遺跡などとともに、県文化財指定の石造六地蔵幢で知られる。この六地蔵幢は、天神社にあったもので、弘治三年(1557)の銘があり、現在は内藤記念館に移されている。

    電話番号
    (0982)32-2520
    郵便番号
    882-0882
    住所
    延岡市小野町5917番地
  • 海童神社(わたつみじんじゃ)

    海童神社(わたつみじんじゃ)

    当社は古老の言い伝えによると、明和五年(1768)頃、城主内藤能登守藤原朝臣政陽公が綿津見神外十柱の神々をこの地に勧請され、代々引き継いで祀られてきたもので、地元長浜町の信徒者も共に崇敬し、護持してきた神社である。鎮座地である長浜は、日豊海岸国定公園に属する全長約八㎞の砂浜海岸で、日向の舞子の浜と呼ばれる白砂青松の景勝地である。このような土地に海上安全、漁業繁栄の神をお祀りし、産土神として崇敬されてきたものであろう。

    電話番号
    (0982)32-2520
    郵便番号
    882-0854
    住所
    延岡市長浜町1970番地ロ号
  • 出北神社(いできたじんじゃ)

    出北神社(いできたじんじゃ)

    勧請年月日は不詳であるが、祭神大己貴命は、古来、大将軍神社と称して、出北村開闢以来産土神として祭祀を行ってきたものと伝えられている。
    また祭神菅原道真公は天満宮と尊称して、文明年間出北村寺田家の祖先が小字井の端に勧請し崇敬した社であるが、社殿大破のため寛政十二年(1800)十月八日大将軍神社の相殿に遷座し、相共に産土神として祀り続けてきたのである。
    なお、当社は元禄十年(1697)ご神殿を再建し、その後、宝暦八年(1758)本殿を修復している。明治四年別府にあった五代権現を遷座して合祀し、社号も出北神社と改め、村社に列せられた。しかし五代権現は明治十五年復社が認められ再遷座され今日に至っている。

    電話番号
    (0982)32-2520
    郵便番号
    882-0856
    住所
    延岡市出北町三丁目131-2
  • 永池神社(ながいけじんじゃ)

    永池神社(ながいけじんじゃ)

    当社の所在地は往古永池であったところを埋め上げ、罔象女神を鎮祭し、永池権現と尊称して、恒富村字下出口門信徒者が累代崇敬してきたお社である。
    明治維新の際、恒富神社へ合祀されたが、明治十一年再復鎮座の儀を出願して、明治十三年十月六日許可を得て復社すると共に永池神社と社号を改めた。
    その復社の際、信徒者より永続基本財産として、郡村宅地並に田地を寄付されている。
    昭和二十年八月十五日大東亜戦争終結に至るまで、延岡市街も度々の空襲に遭遇したが、当社の境内地は神徳により難を逃れており、昭和五十七年には拝殿の改築をなして、現在は春秋の祭礼日等参拝者多く賑わいをみせている。

    電話番号
    (0982)32-2520
    郵便番号
    882-0843
    住所
    延岡市永池町一丁目1番地の7
  • 三須神社(みすじんじゃ)

    三須神社(みすじんじゃ)

    当社は旧称若宮八幡宮と称し、治承三年六月二十五日土持相模守栄綱の勧請と伝え、土持氏の井上城築城の際その鬼門除けに創建したといわれる。
    山林境内は東西南北に亘り、約三町四方を寄付されたもので、六月二十五日を小祭、十二月二十五日を大祭と定められ、両度の祭礼は年々欠かすことなく、また領主よりの代参も欠かすことなく行われ、神領高三石一才、神領米三十石の寄付も行われた。
    その後、慶長十九年(1614)有馬左衛門尉直純、同康純が御神殿を再建し、天和三年(1683)にも有馬周防守永純が再興し、神領五石を寄進した。
    元禄五年(1692)には三浦壱岐守明敬が神領米三石一才を寄付し、寛永八年(1631)に神殿の再興を行っている。その後牧野氏領主となり、牧野備後守貞通は先例に倣い、相次いで社殿の再建や献上米の寄進を行い、次いで明和元年(1764)には内藤能登守政陽がご神殿の修復をするなど歴代領主氏子の篤い崇敬を受けていた。
    『日向地誌』によると、誉田別命を祀っていたが、明治四年付近の大将軍社、天神社を遷座合祀して三須神社と改めた。社中に縣領主土持氏の鎧冑一領を納めるとある。

    電話番号
    (0982)32-2520
    郵便番号
    882-0881
    住所
    延岡市三須町648・649番地
  • 王代神社(おうだいじんじゃ)

    王代神社(おうだいじんじゃ)

    当社は往古より、王代権現と称えて、日吉家の祖先や別府門の人々が産土神と祀ってきた神社で、文化年間には、旧門の住人、吉岡伊之助、同孫右ヱ門、同庄七、同作次郎等が当社の保存無尽を起して、田畑を買い入れ、それを寄付した。
    明治四年十一月恒富村々社出北神社の相殿へ合祀されたが、明治十五年四月二十六日復社認可を受け、七月二十八日旧社地へ復社すると共に社号を王代神社と改称したのである。
    此の際、氏子中より、神社の永続基本財産として、田畑を奉納し、今日に至るまで、村民の厚い崇敬をあつめてきた御社である。

    電話番号
    (0982)32-2520
    郵便番号
    882-0861
    住所
    延岡市別府町4215番地
  • 粟野名神社(あわのみょうじんじゃ)

    粟野名神社(あわのみょうじんじゃ)

    弘治三年十一月に社殿を造営して、太玉命を祀ったのが創立と言われ、幣太大明神と尊称していた。
    寛永五年(1628)十一月、時の延岡城主有馬左衛門佐直純が神殿を改築しており、代々の領主代参し、崇敬篤い神社であった。天保元年(1830)には社殿を焼失したが、崇敬者の熱意により、翌天保二年(1831)には再興したのである。
    明治四年十一月神社改正により、字無鹿の大将軍神社、並びに字牧の諏訪大明神を合祀し、社号を粟野名神社と改称して、郷社に列せられた。なお、無鹿の大将軍神社、牧の諏訪大明神は明治十三年一月に旧社地へ復社した。同二十八年には大造営を行い、本殿をはじめ建造物全部改築し、同四十年二月神饌幣帛料供進指定神社となった。
    昭和十五年には境内整備を行い、境内周囲に土塁と玉垣を建設して、郷社の面目を保つことができたが、同二十年の大暴風により樹木六十一本の倒木があり、一時荒廃したが戦後、熱心なる崇敬者に労力奉仕や金銭の奉仕をいただき、屋根葺替え等の境内整備や、管理を怠ることなく今日に至っている。

    電話番号
    (0982)33-6716
    郵便番号
    882-0025
    住所
    延岡市粟野名町2184番地
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