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宮崎県の神社

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  • 羽黒神社(はぐろじんじゃ)

    羽黒神社(はぐろじんじゃ)

    古老の伝承によると島内村上井にあった神社を、堂本井ぜき水路作りの時、正徳三年(1713)本地に移されたと伝える。明治五年八月二日に村社に列せられ、明治四十年二月二十六日無格社蛭児神社、祭神蛭子神を合祀する。

    電話番号
    (0984)37-1493
    郵便番号
    889-4152
    住所
    えびの市大字島内942・943・944番地
  • 高牟禮神社(たかむれじんじゃ)

    高牟禮神社(たかむれじんじゃ)

    『三国名勝図会』からみると、「天智天皇七年(668)大職冠鎌足公の命により真幸院に勧請し一ノ宮を飯野に二ノ宮を加久藤に三ノ宮を馬関田に崇む。馬関田三ノ宮は高牟礼六社権現(高牟礼神社)である。」とある。はじめは三之宮四社大明神といい、真幸院五社の一社で、祭神は『日向地誌』によると天津児屋根命、天照大神、斎主命、武甕槌命という。
    建武元年(1334)五月二十七日の文書によると、当社大宮司職日下部行房、職を嫡子行守に譲るの書に「たかむれの六所権現」の名がある。
    また応永五年(1398)七月当地頭沙弥玄昌(北原範兼の法号)田地寄付の文に、「寄附タレカト水田弐反、右水田者、限(二)永代(一)号(二)三ノ宮之御領(一)上ハ皆不(レ)可(レ)懸(二)公私之役(一)者也、寄進状如(レ)件」とここに三ノ宮の称を用いてある。文政八年(1825)如月十二日火災にあい、古記録等焼失、明治五年八月二日村社に列せられる。

    電話番号
    (0984)37-1493
    郵便番号
    889-4153
    住所
    えびの市大字浦1309番地
  • 幣田神社(へいだじんじゃ)

    幣田神社(へいだじんじゃ)

    古老の伝承によると霧島宮より分霊を勧請したと伝える。棟板に寬文元年(1661)二月吉日社殿再建、安永三年(1774)甲午二月に拝殿を、同四年(1775)乙未二月に宝殿を大改築する。明治五年八月二日村社に列せらる。
    境内神社
    稲荷神社 祭神 宇迦之魂神
    左門守社 祭神 豊磐間戸神
    右門守社 祭神 櫛磐間戸神

    電話番号
    (0984)37-1493
    郵便番号
    889-4154
    住所
    えびの市大字柳水流432番地
  • 菅原神社(すがわらじんじゃ)

    菅原神社(すがわらじんじゃ)

    『三国名勝図会』より摘記すると、「天満宮大聖威徳天神宮東村にあり、所(レ)祀北野宰府威徳の三天神と云。共に菅丞相相道真の霊なり。威徳は本朝神社考に日、昌泰四年(901)因(二)左僕射藤時平の讒(一)左(二)遷大宰都督(一)而薨。未(レ)死先自裁(レ)疏訴(二)天帝(一)其霊奮激為(二)威徳天神(一)也云々 祭祀毎歳十度其中十月十日を正祭とす。闔邑の総鎮守なり。昔時道正某なるもの京都より勧請せしとぞ。飯野邑の市坊道正三左衛門は其の子孫といひ、家に笈を蔵む。是を護り下れる時、神体を安んぜしものなりと、祭祀の日、今に其の笈を携へ来たりて祀事に与る。松齢公飯野城に在し時崇敬し給ひ、正祭には鏑流馬を帳行せられたり。伝云、当社火災に罹り古来の由緒記事等焼失し万治の年(1658)再興す。社司黒木主税座主威徳院。道正某の御神体を護り下る時、御供人として旧島内村の十六門の者来りて永住す。」とある。
    寬文五年(1665)五月宝殿改築。社格は往古より郷崇社と唱え旧藩時代馬関田(まんがた)郷の総鎮守であったが、旧吉田馬関田両郷合併し真幸郷となり明治五年八月二日郷社となる。昭和四十九年一月本殿は市の文化財に指定される。
    ○境内社
    若宮神社 祭神 神功皇后・応神天皇・保食神
    豊受神社 祭神 保食神
    左門守神社 祭神 豊磐間戸神
    右門守神社 祭神 櫛磐間戸神
    ○特殊神事
    七月二十五日輪くぐりしを行う夏越祭、道真公は農を勧める心があつく牛馬を愛したと言われ、このことから始まったとされる七月二十八日の牛越祭りが、境内にある豊受神社で行われる。江戸時代後期には市内はもちろん、熊本県球磨や鹿児島県菱刈地方から参拝する牛は数百頭に達し、高さ五〇センチメートル長さ四メートルの丸太ん棒を牛に飛び越えさせて、厄を祓ったといわれる。また、馬関田神楽も伝承されている。

    電話番号
    (0984)37-1199
    郵便番号
    889-4165
    住所
    えびの市大字西川北1244番地
  • 蛭児神社(ひるこじんじゃ)

    蛭児神社(ひるこじんじゃ)

    『日向地誌』によると「蛭児神社・村社本市ニアリ 社地十七歩 蛭児ヲ祭ル 例祭陰暦十一月二十八日」とある。

    電話番号
    (0984)33-2722
    郵便番号
    889-4221
    住所
    宮崎県えびの市栗下1604
  • 近戸神社(ちかどじんじゃ)

    近戸神社(ちかどじんじゃ)

    『日向地誌』によると諸県郡加久藤郷西長江浦村・近戸神社「小社なり 諏訪にあり 社地五畝 彦火瓊瓊杵命・木花開耶姫命・彦火火出見命・豊玉姫命・鸕鷀草葺不合命・玉依姫命を祭る 例祭十一月九日」とある。

    電話番号
    (0984)33-2722
    郵便番号
    889-4232
    住所
    えびの市大字西長江浦719番地
  • 熊野神社(くまのじんじゃ)えびの市

    熊野神社(くまのじんじゃ)えびの市

    『日向地誌』によると諸県郡加久藤郷小田村・熊野神社「小社なり 前松原にあり 社地四畝十五歩 伊邪那美命・速玉男命・事解男命を合祭す 例祭は十月二十日」とある。

    電話番号
    (0984)33-2722
    郵便番号
    889-4222
    住所
    えびの市大字小田679番地
  • 御年神社(みとしじんじゃ)えびの市

    御年神社(みとしじんじゃ)えびの市

    承応三甲午年に白鳥山光秀法印外二十七人にて年神を建立した。その当時、白鳥山白鳥神社別当寺満足寺の修験を修める光秀法印に度重なる稲の不作を案じた村人達が祈願を奉じ建立に至る。爾来加久藤村西郷の郷宮として鎮座し、五穀豊穣の神と崇敬され、明治六年十月十二日現社号に改称、若宮神社を合祀し、現在に至る。

    電話番号
    (0984)33-2722
    郵便番号
    889-4241
    住所
    えびの市大字西郷1217番地
  • 稲荷神社(いなりじんじゃ)えびの市

    稲荷神社(いなりじんじゃ)えびの市

    享保二年癸酉十一月十五日創建と伝え、稲荷大明神と称していた。
    『三国名勝図会』によると、享徳二年(1453)の創建とさらに古く、天正十六年(1588)深井九郎右衛門によって再興されたという。明治元年辰七月、稲荷神社と改称し現在に至る。明治五年一月、村社に列格した。

    電話番号
    (0984)33-2722
    郵便番号
    889-4231
    住所
    えびの市大字東長江浦341番地
  • 南方神社(みなみかたじんじゃ)えびの市

    南方神社(みなみかたじんじゃ)えびの市

    古く諏訪大明神・飛諏訪神社とも称した。応永十年(1403)島津義弘の創建と伝える。義弘が加久藤城にあった時に伊東氏領小林の大川原にある諏訪神社の神体の鎌が飛んできて当地の木の枝に掛かったのを見て、伊東氏を平定したあかつきには社殿を創建して崇祀することを誓った。その後まもなく伊東氏を平定したため、神領三反を寄進し、社殿を造営したと伝える。
    明治元年正月諏訪神社と改称、同年六月に南方神社と改め、現在に至る。八月二十八日(現在は八月第四日曜備)お諏訪どんの祭には、市文化財指定のウバッチョ踊(大太鼓踊)が奉納され、一方青年男女の踊りも幾組か奉納される。

    ※参道の階段及び石垣一式 平成21年8月奉納

    電話番号
    (0984)33-2722
    郵便番号
    889-4232
    住所
    えびの市大字西長江浦700番地
  • 厳島神社(いつくしまじんじゃ)

    厳島神社(いつくしまじんじゃ)

    古くは弁財天と称し、その由緒については次のような伝説がある。
    往古性空上人がこの地に来てある家に立ち寄り水を乞うた。その家の老婦は遠くから水を汲んできて上人に捧げた。老婦が水汲みに行って来る間に夕立があって、庭に干しておいた物が濡れてしまった。老婦は水が近くに無いのを嘆いた。上人は憐れんで「この地に水を得させよう」といい、楊枝を加持して地に挿入した。するとその時から清水が湧き出て涸れることがない。その楊枝から芽が伸び葉が出て大きな柳の木となった。人々はこれを根無し柳といい、その水を出水川と呼びその地を出水門と名付けた。この出水川一水の力で田穀の熟すること幾千石かわからない。水源の川中に一岩州があり、州上に弁財天祠が建ててある。神体は木像である。ここには竹橋を架けて往来を通じている。元禄六年(1693)の梁文があり、文中に出水川の由来緒及び弁財天祠の開基は性空上人であること等を記してある。(『日向の伝説』)
    明治元年七月現在の社名に改め今日に至っている。

    電話番号
    (0984)33-2722
    郵便番号
    889-4232
    住所
    えびの市大字西長江浦393番地
  • 加久藤城竈門神社(かくとうじょうかまどじんじゃ)

    加久藤城竈門神社(かくとうじょうかまどじんじゃ)

    加久藤城跡の頂にあり『三国神社伝記』によれば、島津忠平公が在城の折、城内守護のため元亀三年(1572)勧請と伝える。天正三年(1575)十一月八日、家久公誕生のときに植えた杉は天保年間大風で倒れたが、その後植継がれ、誕生杉として今に残っている。旧称三社大明神として、妙見大菩薩、水天、荒神を奉祀していた。『日向地誌』によると、祭神は武主比命、奥津日子、奥津日姫を合祭すとあり、通常寵神とされている。奥津彦、姫命のほか斎火武主比命を祀ったものであろう。
    明治元年七月三社神社と改称、さらに同三年六月竈門神社と改称し、同五年一月村社に列せられる。
    ○史跡 加久藤城(昭和四十九年一月二十四日 市指定)
    島津忠平公(義弘)は、永禄七年(1564)五月加世田より北原氏の属城であった久藤城を修補して、加久藤城として、現在地に移った。時に三十才であった。同年十一月十七日、城主北原兼親が伊集院に、移封されると同時に飯野城に移った。加久藤城には五男一女をもつ広瀬夫人を置き、老臣川上三河守忠智をして、ここに守らしめた。加久藤城は元亀三年(1572)五月四日木崎合戦において、伊東勢攻撃の主目標となったが伊東勢は攻略に失敗し、木崎原に退き大合戦となり、壊滅的敗戦を喫した。

    電話番号
    (0984)33-0481
    郵便番号
    889-4222
    住所
    えびの市大字小田1100番地
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