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宮崎県の神社

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  • 加久藤神社(かくとうじんじゃ)

    加久藤神社(かくとうじんじゃ)

    創建は『三国名勝図会』によると、天智天皇白鳳七年二月、大職冠藤原鎌足公の命により勧請し加久藤に崇めた村内の総鎮守である。往古二ノ宮現王社と奉称し、天正四年(1576)鹿児島初代藩主島津家久が加久藤城に生まれ、産土神として松齢公深く崇敬し茲眼公(家久)は二宮大明神と改め、慶長七年(1602)十二月二十一日、神領三十石を寄進、神領二十石加増された。例祭九月十日、松齢公当郷在城の時は祭日にはみずから参詣したと伝える。
    明治元年七月二日二宮神社と改称、さらに明治三年加久藤神社と改称、明治五年郷社に列格、明治十年島津家久が建立した社殿が西南の役の兵乱のため焼失、明治十四年三月、本殿造営に着手、七月二十七日ご遷座祭が執行された。昭和十年三月、熊本市藤崎八幡宮の拝殿を買受けて完成、神社の尊厳は一変し、現在に至る。
    家久が別当寺として建立した高連山福生院二之宮寺は大乗院の末寺の真言宗寺院で、本尊は十一面観音、開基は果融で神社の北にあったが、明治三年廃寺となった。御祭神は足仲彦尊ほか十一柱という記述もある。
    また当社では、七月三十一日輪くぐり神事として夏越祭を行う。

    電話番号
    (0984)33-0481
    郵便番号
    889-4221
    住所
    えびの市大字栗下943番地
  • 白鳥神社(しらとりじんじゃ)

    白鳥神社(しらとりじんじゃ)

    当社は、約1050年前に性空上人により御創建され、樹齢500年の御神木をはじめ10数本の古木がそびえ立つ。本殿の雲龍巻柱、唐獅子牡丹など彫刻が見ものである。
    白鳥山の北側山腹に鎮座し古く六所権現とも称した。社伝によると、村上天皇応和(また天暦とも言う)年間、京都の僧、性空上人日州霧島に来たり、白鳥山頂六観堂で修行していた時、老翁が現れ「我は日本武尊なり、来たりてこの山に住む事久し、汝我がために神社を設けよ」と託宣、たちまち白鳥と化して飛び去った。性空、この託宣により社を創建し、聖観音を本地とし、さらに別当満足寺を造営したという。軍神として古来より崇敬を集めていた。天正四年(1576)九月、島津義久が当社へ参詣しており、その後も島津家代々崇拝していたとみられる。天正二十年(1592)四月には、当社領三十町が諸役免除となっている。特に島津義弘は信仰厚く、慶長六年(1601)から十年にかけて新たに社殿を造営し、神領二百石を寄進している。その後、戦勝祈願の神として島津氏は、たびたび当社で祈祷を行い、勝利感謝の寄進をし篤く崇敬していた。
    明治維新後白鳥神社と改称、明治三十八年県社に列し、同四十年二月神饌幣帛料供進すべき神社に指定された。社殿の竜の彫物は江戸時代末期のもので、その他の建造物は昭和十年再建のものである。大東亜戦争前には、例祭に天鈿女命の舞である神化舞が奉納されていた。別当満足寺は白鳥山金剛乗院と号し、はじめ天台宗であったが、応永年間光尊阿闍梨が真言宗として再建した。光厳の中興後、大乗院(現鹿児島市・最大乗院)の末寺となった。『三国名勝図会』によると、往時は参詣客も多く隆盛であったが、明治三年廃寺となった。

    電話番号
    (0984)33-5311
    郵便番号
    889-4302
    住所
    えびの市大字末永1479番地
  • 八幡神社(はちまんじんじゃ)

    八幡神社(はちまんじんじゃ)

    『日向地誌』によると「村社八幡ニアリ社地二畝二十歩応神天皇ヲ祭ル例祭陰暦十一月十五日」とある。
    当社由緒については、古記録・旧記等現存せず不詳である。

    電話番号
    (0984)33-3686
    郵便番号
    889-4301
    住所
    えびの市大字原田1303番地
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