宮崎県の神社
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上鹿川神社(かみししがわじんじゃ)
古来、菅原神を天満神社と尊称し産土神として祀ってきた。
明治四年十一月に下記神社を合祀し、上鹿川神社と改称し、明治五年十一月村社に列せられる。
字今村の鈴嶽大明神(祭神 伊弉諾命、伊弉冉命)
同字の今宮大明神(祭神 神日本武命)
字東野内の天満神社(祭神 菅原神)
同字の八幡神社(祭神 品陀別命)
同字の善神王社(祭神 武内宿禰)電話番号(0982)48-0721郵便番号882-0231住所延岡市北方町上鹿川申711番地1 -
猪野内神社(いのうちじんじゃ)
祭神底筒男命、中筒男命、上筒男命は住吉大明神と称し、また菅原神は天満神社と称して、共に古来より産土神として尊崇されてきた。
明治四年十一月に下記神社を合祀し、猪野内神社と改称し、明治五年十一月村社に列せられる。
字猪野津留の八幡神社(祭神 品陀別命)
字平野内の新大明神(祭神 猿田彦神)
字片平の八幡神社(祭神 品陀別命)
同字の天満神社(祭神 菅原神)
字田下の八幡神社(祭神 品陀別命)
同字の天神社(祭神 菅原神)電話番号(0982)48-0721郵便番号882-0232住所延岡市北方町下鹿川申580番地 -
椎畑神社(しいはたじんじゃ)
当社は大山祇命、天津彦火瓊々杵命、木花咲耶姫命を祭神とし、古来、上森三社大明神と尊称して、産土神と崇めてきた。
明治四年十一月、下記神社を合祀して、社号を椎畑神社と改称し、明治五年村社と定められてた。
字中原の天満神社(祭神 菅原神)
同字妙見神社(祭神 素盞男命)
同字善神王社(祭神 武内宿禰)
同字八幡神社(祭神 品陀別命)
字椎畑の八幡神社、天満神社(祭神 品陀別命、菅原神)
字扇木の金峰神社(祭神 一言主命)
字美々地の天満神社(祭神 菅原神)
同字の八幡神社(祭神 品陀別命)
字高畑の妙見神社(祭神 天御中主命)
字石橋山の嶽大明神(祭神 伊弉諾命、伊弉冉命)電話番号(0982)48-0721郵便番号882-0233住所延岡市北方町菅原未1167番地 -
蔵田神社(くらたじんじゃ)
字野原の地に菅原道真公を祀り、天満神社と尊称して、産土神と祀り仕えてきたが、明治四年十一月神社改正により、字ハイノ木の若宮大明神(祭神 伊弉諾命)、字蔵田の山神社(祭神 大山祇命)、同字の大将軍神社(祭神 大己貴命)、字恵比須の恵比須社(祭神 事代主命、天穂子命)を当社に合祀して、社号を蔵田神社と改称し、明治五年十一月には村社に列せられた。
電話番号(0982)48-0721郵便番号882-0127住所延岡市北方町蔵田辰780番地 -
藤木神社(ふじのきじんじゃ)
国常立神を祀り、古来、天神社と称してきたが、明治四年十二月、下記の神社を合祀して、明治五年十一月には村社に列せられ、社号も藤木神社と改めた。
字小中尾の天満神社(祭神 菅原道真公)
字小中尾の山神社(祭神 大山祇神)
字岩屋ヶ平、字上中尾、字大中尾の菅原神電話番号(0982)48-0721郵便番号882-0107住所延岡市北方町藤の木酉818番地 -
菅原神社(すがわらじんじゃ)
菅原神は字屋形原、および頼木にそれぞれ勧請してあったものを、明治四年十二月に合祀したもので、明治五年十一月村社に列せられ、社号も菅原神社と称した。
電話番号(0982)48-0721郵便番号882-0122住所延岡市北方町板下戌185・186番地 -
笠下神社(かさしたじんじゃ)
由緒は不詳であるが、古来、大年神社と称していたが、明治四年十一月に下記の神社を合祀して、村社に列せられ、社号を笠下神社と改称した。
字瀬口の熊野大神社(祭神 伊弉冉命、速玉男命、事解男命)
字尾窪の稲荷神社(祭神 倉稲魂命)
字尾窪の岩屋水神社
字岩土の祝神社(祭神 水波能売命)
字奥畑の天満神社(祭神 菅原道真公)電話番号(0982)48-0721郵便番号882-0106住所延岡市北方町笠下寅1089・1090番地 -
久保山神社(くぼやまじんじゃ)
勧請年月日不詳、菅原道真公を祀り、天満神社と称していたが、明治四年十二月、下記神社を合祀して、明治五年十一月村社に列せられ、社号を久保山神社と改称した。
字瀬越の山神社(祭神 大山祇神)
字瀬越の熊野神社(祭神 伊弉冉命、速玉男命、事解男命)
字藤野本の綿津見神社(祭神 大綿津見命)
字久保山の稲荷神社(祭神 倉稲魂命)電話番号(0982)48-0721郵便番号882-0129住所延岡市北方町北久保山子3856・3857番地 -
天満神社(てんまんじんじゃ)北方町
明治四年十二月字黒原の天満宮に合祀され、久保山神社と称していたが、地元氏子の請願により明治十三年十二月二十日復社の許可があり、明治十四年一月十日旧社地へ復社し、天満神社と改称された。
電話番号(0982)48-0721郵便番号882-0128住所延岡市北方町南久保山子4401番地 -
早日渡神社(はやひとじんじゃ)
北方町と北郷村の境界に位置する速日の峰の山麓に鎮座する。速日の峰は別名双子山ともいい、饒速日命がこの峰に天降りしたという伝承がある。
祭神饒速日命は、此の速日峯代古伊と言う所に天神として斎い奉っていたのを、応和元辛酉年(961)早日渡村に遷座した旨の書伝がある。
伊弉冉命、速玉男命、事解男命は天徳四庚申年(960)紀州熊野宮の分霊を勧請し、熊野三社大権現と尊称し、十一月十五日を祭日と定めていた。
舎人親王は大子大明神として、字打扇に祀られていた。菅原神は天満神社として、字尾廻、田久保、亀ヶ崎、城、荒平、猿渡、楠八重、猪ノ原の各所に祀り、倉稲魂命、大宮姫命、大田神は稲荷大明神として、字荒平に祀り、金山彦神は金山神社として、字猿渡に祀られてきた。これらの各社を明治四年十一月、当社に合祀して、社号も早日渡神社と改称すると共に、村社に列せられ、同四十年二月九日神饌幣帛料供進指定神社と定められた。同四十四年十二月、氏子中より石鳥居一基建立、大正二年四月二日、字仮底の村社仮底神社(祭神 伊弉諾命、伊弉冉命、金山彦命、金山姫命、大山祇命、菅原神、素盞男命)を当社に合祀し、奉斎している。
当社の境内に「止志賀美」との石の祠があるが、旧蹟地と伝えられており、明治元年、此の宮地を修復する際に祠下から神鏡が発見された。其の内に古物と覚しきものが円形三面ありて、これらの事蹟と古老の口碑とをうまく付き合わせた古歌に「カタムラノ、ハヤヒノミネニ、アマクダル、アマツカミノ、スメルコノサト」とある。
速日の峰は双子山とも言うが、その東方に布引の滝(高さ50㍍、幅9㍍、滝壺300平方㍍)があり、雨乞いに霊験ある神社として知られている。電話番号(0982)48-0721郵便番号882-0243住所延岡市北方町早日渡巳259番地 -
角田神社(つのだじんじゃ)
養老元年(717)の勧請と伝え、伊弉冉命、速玉男命、事解男命の三神を祀り、古来、熊野大神とも、滝下権現とも称していた。
明治四年九月に下記の神社を合祀し、明治五年十一月に村社に列せられ、角田神社と社号を改めた。
字角田の天満神社(祭神 菅原道真公)
字角田の稲荷神社(祭神 倉稲魂命、大田神、大宮姫神)
字芦辺の若宮八幡神社(祭神 品陀別命)
字芦辺の年神社(祭神 大年神)
字下崎の守神社(祭神 素盞男命)
曽木神社、早日渡神社と共に北方町内では最も古く日向、延岡の古文書等にも記載されており、神石は弁天を祀る石二枚陰陽重なり白蛇一条ここにすみ居り候とある。また五代福生院なる僧神殿造営の節、右の杉伐り倒し候処左洞穴より白蛇一条出僧も忽ち病気に相なり、杉のあと地に長泉院代銀杏を植え候とあり。その後瓦葺き替えの節また白蛇出岩滝より上に登るを村内の者が見つけ、これらのことがあり大般若経一部六百巻奉納と有り、虫食い等があっても恐れられ、この経文を動かさなかったという。電話番号(0982)48-0721郵便番号882-0104住所延岡市北方角田町丑144番地 -
石上神社(いしがみじんじゃ)石神神社
勧請年月日は不詳であるが天満神社と称していた。明治四年十二月下記の神社を合祀して石上神社と改称し、明治五年十一月村社に列せられた。
字大久保下の天満神社(祭神 菅原道真公)
字大久保下の山神社(祭神 大山祇命)
字石神の若宮社(祭神 大己貴命)
字石神の二股神社(祭神 大己貴命)電話番号(0982)48-0721郵便番号882-0121住所延岡市北方町板上戌782番地1