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宮崎県の神社

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  • 鵜戸神社(うどじんじゃ)

    鵜戸神社(うどじんじゃ)

    鵜戸は神武天皇ご東遷の際御駐輦された所として顕彰されている。
    鵜戸神社の創建は年代が詳かでないが、古来鵜葺草葺不合尊御上陸の旧地に、社殿を建設したと伝称し、境内本殿の西側にある高さ三尺、縦横九尺五寸の小丘は、尊、御上陸の旧址と伝えられる。当社は景行天皇熊襲征伐の際、海陸安全、全戦勝祈願の為、天皇十二年十月行幸あらせらると伝えるも拠るべき史料なく、確証し得ざるを遺憾とす。古来海上鎮護の神とせられ、社伝旧記には其の鎮座地を、日州高鍋領内河口村と記している。
    昭和二十六年十一月、現在の本殿、幣殿、拝殿が再建された。

    電話番号
    (0983)22-2700
    郵便番号
    884-0004
    住所
    児湯郡高鍋町大字蚊口浦1番地1
  • 竹鳩神社(たけくじんじゃ)

    竹鳩神社(たけくじんじゃ)

    詳らかではないが現存の記録によれば、宝永年間の創立といい伝えられている。
    時に当神社は天正年間、豊後の国主、大友宗麟、日向の国に乱入、それに煽られ残されていた宝物、棟札、古文書等悉く焼失されたといい伝えられている。
    当竹鳩神社は、原常富氏の屋敷後方にお祀りされていたが、地区公民館建設に合わせ昭和四十年十月吉日遷座、昭和四十四年九月吉日社地の整備、社殿を二重屋根にした。昭和六十年十月吉日社殿を修復し、現在に至っている。
    例祭の十月二十八日は比木神社のお里廻りでもあり、当神社の敷地をお宿所に提供しているのでお祭りも二重の盛況である。

    電話番号
    (0983)23-1728
    郵便番号
    884-0006
    住所
    宮崎県児湯郡高鍋町大字上江4395-2
  • 川上神社(かわかみじんじゃ)高鍋町

    川上神社(かわかみじんじゃ)高鍋町

    寺社帳には「貞享四年(1686)九月再興寺社奉行(河野七郎兵衛)代官(内田与二郎兵衛)、安永二年(1773)九月再興茅葺の社の中に小社あり」と有る。何れにせよ当社の歴史は古く、古老の口碑に依れば、太平寺字桜谷七、九八九番地にご鎮座されていたが、川の辺の為度重なる洪水を恐れ又地区の下座にも位置するので神様の御心を恐みまつり、徳川の末期頃現在地にご遷座申し上げ地区の雄和と益々のご神徳を蒙ぶったと言う。明治四年村社に列せられた。当所には小塚が有り年毎の春秋のお祭には地主が御幣を奉納すると言われている。又本殿より東北に位置する杉の大木にはワラで造作した蛇を根本に巻きつけ蛇の頭部には魚の頭のみをお供へし龍神様を祀る特殊神事も行われている。

    電話番号
    (0983)23-1728
    郵便番号
    884-0003
    住所
    児湯郡高鍋町大字南高鍋7603番地
  • 厳島神社(いつくしまじんじゃ)高鍋町

    厳島神社(いつくしまじんじゃ)高鍋町

    当神社の創建は古く、現存の書面に依れば宝永年間(1704~1702)以前の建立といわれ、木城町比木神社と同年代の創建とされている。天正年間、豊後の国主大友宗麟日向の国に乱入の際、その戦火により所蔵の宝物、棟札、古文書、古器物、等悉く焼失したといい伝えられている。

    電話番号
    (0983)23-1728
    郵便番号
    884-0006
    住所
    児湯郡高鍋町大字上江3977番地
  • 愛宕神社(あたごじんじゃ)高鍋町上江

    愛宕神社(あたごじんじゃ)高鍋町上江

    当社の創建は不詳であるが、古老の口碑によれば、天正十五年(1587)秋月氏高鍋に封ぜられる以前より、地福寺内に鎮座していたのを、正保二年(1645)秋月種春公が、黒谷山に社殿を建立し遷座したと伝える。旧藩主秋月氏及び民衆の尊崇厚い社で、藩主より社殿の造営、神領七石五斗、祭典料米四斗並に祭器具等一切が寄進されていた。又、毎年十一月二十四日の例祭には領主の代参があった。天和三年(1683)秋月種信公により再興された。当社は、はじめ山伏により祭礼が行われていたが、延宝四年(1676)より真言宗僧侶によって祀られるようになったという。
    明治四年郷社に列格、旧暦十二月二日には高鍋町八坂神社、新富町三納代八幡神社、木城町比木神社、川南町白鬚神社、平田神社の各社と巡回方式で、県無形民俗文化財の高鍋神楽を奉納する六社連合大神事が行われる。

    電話番号
    (0983)23-1728
    郵便番号
    884-0006
    住所
    児湯郡高鍋町大字上江1405番地
  • 川田神社(かわだじんじゃ)

    川田神社(かわだじんじゃ)

    永禄五年(1562)壬戌九月七日、速秋津日古神を川田寺十二代目の住職法印大乗坊大周儀が勧請したと伝える。天正十五年九月三日秋月種長公が筑前より日向財部にお移りの際、従ってきた竹原忠佐衛門が事解男命、速玉男命、菊理姫命、所謂熊野三柱の大神を勧請奉祀し、住職山城坊大周舜をして当社に合祀した。元禄十六年癸未六月、城主秋月種政公御参詣の際、神領地高七石五斗の寄進があった。又竹原氏より勧請の因縁を以て、毎年祭典料として米一斗五升宛今も尚続て寄付あり、昭和六年己巳十一月花崗石高九尺の鳥居が般若院成就院等により寄進された。
    享保八年癸丑正月神殿渡殿拝殿等の改築がされ、また弘化二年己巳三月にも神殿及渡殿が改築された。雨乞日乞其他諸祈願の御祭典等には、上江郷庄屋が郷中より祭典料として永楽銭三文宛を取立参拝ありし等、川田大権現と称し奉り信仰厚き社である。
    特殊神事として新暦三月十五日、春奉射祭(はるむしゃさい)、十一月二十三日、秋奉射祭あり。続いて氏子によって設置された屋外の射り場で子供により奉射神事が行われ、悪魔を祓い、五穀豊穣と氏子崇敬者の幸を祈念する。そのほか十月二十八日比木神社のお里廻り(宮田神社方面への御神幸祭)には、当社の境内を提供すると共に地区の神事としても崇敬する人が今にも多い。
    川田神社の別社として、当社の後方の祠に木像が祀られ、川田神社の祭典毎にお祭りが斎行されている。

    電話番号
    (0983)23-1728
    郵便番号
    884-0006
    住所
    児湯郡高鍋町大字上江2194番地
  • 菅原神社(すがわらじんじゃ)高鍋町上江5676

    菅原神社(すがわらじんじゃ)高鍋町上江5676

    古老の口碑に依れば天正、宝永以前の古社とも言われているが天正年間大友宗麟、日向の地に乱入の時、今の木城町を中心とした近隣の地は戦場となり多くの民家神社等焼払われ、当社もその火災を受け古文書、宝物、古器物悉く焼失されたといわれている。
    老瀬地区民、木ノ瀬地区民度重ねての総会の合意により老瀬木ノ瀬の合併、同時に神社、公民館の合併の意をも持ち上がり老瀬木ノ瀬の中央部に公民館を兼ねた神社が建設され、昭和四十五年三月二十六日、老瀬5676番地鎮座菅原神社、木ノ瀬鎮座若宮神社を遷座合祀した。
    老瀬菅原神社 明治三十五年十一月二十五日再興(宮司飯田清年)
    木ノ瀬若宮神社 明治三十三年十二月一日再興、と記されている。

    電話番号
    (0983)23-1728
    郵便番号
    884-0006
    住所
    児湯郡高鍋町大字上江5676番地
  • 菅原神社(すがわらじんじゃ)高鍋町上江6765-93

    菅原神社(すがわらじんじゃ)高鍋町上江6765-93

    口伝に依れば天正年間豊後の国主大友宗麟、日向地に乱入の際数多の社、民家等を焼払った時、当神社も火災にあい宝物古器物、古文書等悉く焼失したと言われている。
    当社の歴史は古く、現在保管されている古文書中に記されている棟札に、奉再興天神宮一宇、施主市野山村中、大工金澤氏丈長、裏には大檀那種政公、宝永丙戌園霜月廿五日とある。従って宝永年以前の創立は明らかである。
    明治四十二年三月三十日、大字上江字中尾に鎮座の無格社、愛宕神社(迦具土大神)と境谷鎮座の牧神社を大字上江字市ノ山六千七百七拾七番地に鎮座の菅原神社に合祀する。
    地方庁の許可により大正三年九月十四日に前記菅原神社を松尾国蔵氏所有の山林を御奉納いただき、現在地の大字上江字市ノ山六千七百六拾番地ノ九拾三に御遷宮申し上げる。
    昭和四十五年秋大字上江新山(新山墓地の南隣)に祀られていた菅原の大神を合祀する。

    電話番号
    (0983)23-1728
    郵便番号
    884-0006
    住所
    宮崎県児湯郡高鍋町大字上江6765-93
  • 宮田神社(みやたじんじゃ)

    宮田神社(みやたじんじゃ)

    当神社の創建は古く天和年間以前の勧請と思われる。藩政時代には藩より神領等の一切を寄進賜った。時の藩主秋月種信公以来廃藩に至る迄二百年余神領七石二斗その他祭典費の一切を賜った。
    当神社は別段の格式をもち藩公の尊崇尤も厚く、例祭等の祭典には勿論、水旱、疫病等の祈願に於いては御直拝、或は代参ある等藩内の守護神としての信仰があった。
    古来より続けられている比木神社お里廻り(御神幸祭)の節は夜を徹して渡御が行われ其の盛儀を拝し近郷の氏子、崇敬者も列を並べていたが、御輿の担ぎ手や経費等の都合も重なり御輿は車を利用するので、時間は短縮化された。一泊されていた比木サンも、昭和三十五年頃から昼間の二時間ぐらいに短縮されたと古老等は寂しそうに語っている。
    宮田川の流れの変更に依り神社の立退きと共に昭和五十七年十月二十七日現在地にご遷座、今日に至っている。

    電話番号
    (0983)23-1728
    郵便番号
    884-0003
    住所
    児湯郡高鍋町大字南高鍋6780番地
  • 菅原神社(すがわらじんじゃ)高鍋町上江3766

    菅原神社(すがわらじんじゃ)高鍋町上江3766

    現存する書面に依れば宝永年間依然の勧請といわれ比木神社の大年御神幸(呼名を大年下りという)には必ず御旅所としてお立寄りの御事ありて今なお近郷よりの参拝者が多い。
    第119代、光格天皇の御代、寛政十二年三月二十五日社殿を改築。
    明治四十二年三月十八日地方庁の許可に依り無格社愛宕神社(火産霊大神)を合祀する。
    明治四年一月十五日地方庁の許可により同年四月二十五日、祝詞殿、拝殿を改築する。
    昭和三十八年十一月二十三日、本殿を改築遷座する。

    電話番号
    (0983)23-1728
    郵便番号
    884-0006
    住所
    児湯郡高鍋町大字上江3766番地
  • 熊野神社(くまのじんじゃ)高鍋町

    熊野神社(くまのじんじゃ)高鍋町

    本社は治承四年(1180)児湯郡長谷住、宇治弥平太兼通の時、長谷三所権現を移転遷宮した記録が寬文、延宝年間のものに見られる。社殿は文明より寛政八年まで二度再興し、現在までの社殿は、嘉永年間の改築にて、老朽化甚だしい為、昭和五十八年十一月氏子の総意を以て新築再興した。

    電話番号
    (0983)33-3452
    郵便番号
    884-0003
    住所
    児湯郡高鍋町大字南高鍋12026番地の1
  • 火産霊神社(ほむすびじんじゃ)

    火産霊神社(ほむすびじんじゃ)

    当社の創建は不詳であるが、寛保二年(1742)九月再興の記録があることから、それ以前と思われる。古老の口伝によれば、高鍋の町筋は度重ねての大火に煽られるので、たまりかねた町民は、祇園様と一緒に祀られていた火産霊の大神様を勧請、平穏さを取り戻したと伝える。それより後、町民等は「こうじんサン」と呼び、今日も厚く崇め奉り肩をすり並べての参拝者もなお多い。
    明治四年村社に列格、同三十七年中川助三、渡辺新六、久保田鶴次の三名心を同じくして、佐土原町愛宕神社に伝わる大鼓台を真似造り、火産霊神社の祭りに奉納した。境内神社として稲荷神社(祭神、宇迦魂命)、事代主神社(祭神、事代主命、大国主命)がある。
    高鍋町商店街の中央に鎮座する当社の夏祭りは、七月二十六、二十七日の二日間にわたり行われ、鉢巻姿の若者に担がれた大鼓台が町内を練り歩く雄壮な祭典である。

    電話番号
    (0983)35-3499
    郵便番号
    884-0001
    住所
    児湯郡高鍋町大字高鍋町608番地
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