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宮崎県の神社

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  • 美年神社(みとしじんじゃ)

    美年神社(みとしじんじゃ)

    創建は第四十六代孝謙天皇の御宇ともいわれる社で、棟札に奉再興文禄三年(一五九四)甲丑十一月吉日とある。
    また、正保二年(一六四五)十一月吉日再興、
    宝文元暦(一六六一)辛丑霜月十一日再興、
    元禄二年(一六八九)己十一月吉日再興、
    寬永五戊子年(一七〇八)立替、
    享保十三年(一七二八)申十一月十八日再興、
    寛政二年(一七九一)庚戌十一月十三日再興、
    安政四年(一八五七)丁巳十一月吉日造替、
    明治七年十一月二十二日造替、
    明治三十年五月九日御造替、
    昭和二十五年四月吉日再興とある。
    また当神社は元の高鍋藩主秋月家代々の崇敬厚き社で常の参拝は勿論、例祭日等には祭典料として白米等献上し御参詣されていた。特に当神社は農業の神、福の神、厄除の守神として参詣が多い。

    電話番号
    (0983)23-1728
    郵便番号
    884-0005
    住所
    児湯郡高鍋町大字持田426番地
  • 金刀比羅神社(こんぴらじんじゃ)高鍋町上江

    金刀比羅神社(こんぴらじんじゃ)高鍋町上江

    古老の口碑によれば、近衛天皇の御宇に創建され、里人厚く尊崇する社であったが、天正年間大友宗麟乱入の際陣屋となり、棟札古器物等紛失したと伝える。当時の陣屋跡に土民相謀って飯長寺を建立し、住職を置き現在の建物を造営し、毎年四月十日、七月十日、十一月十日には盛大なる祭典を奉納した。七月十日には神社の御渡幸式があり、近郷の崇敬者多数が参拝に訪れた。明治四十三年八月稲荷神社(祭神 豊宇気比売命)菅原神社(祭神 菅原道真公)を合祀した。
    金刀比羅神社は風除の神、五穀豊穣の神として崇敬され、各地より初穂米並びに御賽銭を献る者多数参詣する。
    当社には大神事祭典として、近郷の崇敬者より大幣帛として御初穂米を奉納し、国家安泰、五穀豊穣、病気その他災祈禱、家内安全のため薪木七駄半を焚き、徹夜で三十三番の神楽が奉納されている。

    電話番号
    (0983)23-1728
    郵便番号
    884-0006
    住所
    児湯郡高鍋町大字上江1663番地ノロ
  • 舞鶴神社(まいづるじんじゃ)

    舞鶴神社(まいづるじんじゃ)

    品陀和気命、住吉三筒男神は、旧藩祖秋月春実が勅命によって藤原純友の乱を鎮めた時、八幡宮に祈って霊験があったので、天慶六年(943)筑前国夜須郡秋月村南宮岳に勧請し、秋月八幡宮と称した。天正十五年(1587)日向に移封の際、種長は高鍋城の左翼に祀った。菅原神は、天保三年(1646)二代藩主種春が秋月氏の旧領である太宰府の原廟として、高鍋城の右翼に勧請したものである。漢高祖、後漢霊帝、阿知使王は、初め筑前国秋月の白髪嶽に祀り白山権現と称していたが、日向に移封の際、八幡神社と同所に祀った。闇淤加美神、熊野三神は、八幡神社の摂社である。財部貞綱は、財部城建初の城主で、初め城内に小祠あり、享保五年(1720)種弘これを再興し、天神社と同所に祀った。
    旧藩時代には、八幡神社の社領高二十石、白山神社二十五石、熊野神社料米一斗二舛、闇淤加美神社同一斗二舛、財部神社にも同様に寄進があり、頗る崇敬の厚い社であった。
    明治四年七月廃藩に当り、高鍋の住民の総意により一社に合祀、更に秋月家歴世の神霊を合祀し、旧城名を取って舞鶴神社と称した。大正九年四月二日、秋月種樹公の霊を合祀、同十四年郷社に列格、昭和十七年十月十日県社に列格した。
    当社は旧高鍋城内二の丸にあり、神門には奉納された柿原宗敬他の額二面があるほか、長友勘右衛門水路功績記念碑、高鍋藩境界標種樹公漢詩碑、寒山捨得石像、万歳亭があり、元の秋月邸跡地には資料館があり、上段には高鍋護国神社が祀られ、四季を通して参詣者が多い。また境内東はずれには、高さ約三十五㍍根回り十三㍍樹齢約五百年の大クスがあり、「高鍋のクス」として昭和二十六年六月九日に国の天然記念物に指定された。

    電話番号
    (0983)23-1728
    郵便番号
    884-0006
    住所
    児湯郡高鍋町大字上江1345番地
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