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宮崎県の神社

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  • 湯之宮神社(ゆのみやじんじゃ)

    湯之宮神社(ゆのみやじんじゃ)

    旧藩時代湯之宮権現と称し、遠近より賽者多く今なお盛んである。ご祭神が天孫降臨の際ご先駆の神として功績があったことは「記紀」に明記されている通りである。のち大神は伊勢の狭長田の五十鈴川に鎮坐し、荒神を払い退け皇孫命を斎奉る。土地の人々は導の神、五穀の神と称え奉りその功を仰ぎ奉った。神社の南西に神井があり、往古は湯を湧出せりと伝えるが、現在は真清水をなり四時絶える事はない。周囲に玉垣を廻し聖蹟として保存されている。この神井は神武天皇ご東遷の際沐浴をされた湯槽の跡と称し、その側に神社を建て湯之宮権現と称したという。
    明治四年湯之宮神社と改称。現在の社殿は昭和十五年紀元二千六百年記念事業として時の宮崎県知事相川勝六氏のもとに改築されたものである。
    なお隣接地に県下第一を誇る天然記念物である座論梅があり、毎年二月中旬には座論梅梅祭りが行われる。臥竜梅といわれる種類で、高岡の月知梅と共に県内の二大名木とされている。座論梅の名前は、梅園の中に梅の幹が「へ」の字形に波打っているようすが、ちょど人が集まって立てひざをしてすわり、話し合っているようにみえるのでついたともいう。

    電話番号
    (0985)72-0105
    郵便番号
    889-1406
    住所
    児湯郡新富町大字新田18633番地-2
  • 一丁田神社(いっちょうだじんじゃ)

    一丁田神社(いっちょうだじんじゃ)

    棟札一枚があり「文化二年(1805)十一月二十五日再興願主不明」とある。
    また、昭和六十一年十一月老朽化したご社殿を、地区民の浄罪により再建した。
    ご神殿は江戸前期の建築と伝える。

    電話番号
    (0985)72-0105
    郵便番号
    889-1406
    住所
    児湯郡新富町大字新田16367番地
  • 新田神社(にゅうたじんじゃ)

    新田神社(にゅうたじんじゃ)

    新富町西部、一ッ瀬河下流左岸の新田原と呼ばれる台地麓に位置する。地内には一九八基の古墳からなる新田原古墳群があり、昭和十九年国の史跡に指定された。
    当社は旧称、正八幡宮と呼ばれ新田郷の総鎮守として崇敬された。現在も八幡様として住民に親しまれている。当社の勧請棟札社領名寄帳等は、天正五年(1577)伊東氏の都於郡城落城の際兵火に遭い、本殿、宝物などとともに焼失したと伝える。現存する棟札によれば、慶長十一年(1606)三月吉日藤原朝臣忠就公修復とあり、その創建の古きことを知ることができる、その後延享四年(1747)7月19日島津忠雅公、明和五年(1768)7月7日島津久柄公、の棟札があり、旧佐土原藩主島津氏代々厚く崇敬した神社で、神領高十石宮司屋敷一ヵ所が寄進されていた。
    維新の際石高除地となり、明治四年郷社新田神社と改称した。昭和五十三年二月には幣殿拝殿社務所の改築が行われた。
    当社の春祭りや7月27日28日の御神幸祭には、五穀豊穣、無病息災を祈願して町無形文化財の新田神楽三十三番が奉納される。

    電話番号
    (0985)72-0105
    郵便番号
    889-1406
    住所
    児湯郡新富町大字新田10006番地
  • 都農牧神社(つのまきじんじゃ)

    都農牧神社(つのまきじんじゃ)

    推古二十年(612)正月、宮中の宴で推古天皇が「馬ならば日向の駒」と詠まれたことが「日本書紀」に記されている。昔から日向の駒の名声は朝廷にも響き、日本一と称えられていたことがわかる。延喜五年(905)、醍醐天皇の勅命によって編纂された「延喜式」(927年成立)兵部省に朝廷直営の官牧(馬牧牛牧)として馬牧全国二十七ヵ所のうち、日向には野波野、堤野、都農野の三ヵ所に設置された。都農野馬牧が岩山牧の前身だと言われている。高鍋藩が岩山牧を設置したのは慶長十四年(1609)で、安政四年(1757)年廃止になるまで約二五〇年間多くの名馬を産してきたのである。岩山牧の大行事に、秋に行われた「駒追込み」があり、藩主もたびたび見物に訪れている。「本藩実録」にも岩山牧犬多二付享保十年(1725)六月十二日一社建立とある。これによると、牧場の守護神として藩主が祀ったのが都農牧神社である。
    「同十二年五月山犬ノ被害出、牧神へ初穂」の記録もある。牛馬の神、畜産の神として崇敬されてきた。岩山頂上には、享保十六年に奉納された石燈籠がある。

    電話番号
    (0983)25-0041
    郵便番号
    889-1201
    住所
    児湯郡都農町大字川北14674番地
  • 都農神社(つのじんじゃ)

    都農神社(つのじんじゃ)

    西は尾鈴山、東は日向灘に面する都農川流域宮野尾の国道十号線沿いに鎮座する。地内名貫川上流の尾鈴山中には尾鈴山瀑布郡があり、国の名勝に指定されている。
    都農神社は古来日向国一之宮と称え、ご祭神はご神徳の高い、大己貴命(またの御名大国主命)を奉斎する古社である。
    当社の縁起によれば、神武天皇が御東遷の砌宮崎の宮を御進発になり、途中此の地において、国土平安、海上平穏、武運長久をご祈念の為、御親ら鎮祭されたのを当社の創祀と伝える。
    その後歴代皇室の尊崇篤く、第五十四代仁明天皇の承和四年(837)には「都農神」として妻神、江田神、霧島岑神とともに官社に列せられ、同十年神階の宣授があり、第五十六代清和天皇の天安二年(858)神階従四位上を奉られ、第六十代醍醐天皇の御代、『延喜式』神名帳には日向国児湯郡都農神社と撰せられ、日向国式内四座の一つとして登載された日向国一之宮である。
    旧記によれば、往古は日向国第一の大社として社殿壮大、境内広濶で第三鳥居は十五~十六丁、第二鳥居は六~七丁の間に亘って建立せられた古跡が今なお認められる。天文十八年(1549)に都於郡城主伊東義祐が社殿を造営したが、天正年間大友、島津両武将の争乱に遭い、社殿は兵火を罹り、累世秘蔵の宝物、古文書等烏有に帰した。元和元年(1615)には、昔のおもかげなしという見聞者の記録がある。その後、高鍋四代藩主秋月種政が元禄五年に再興し、同十四年には知行二十石が寄進された。元文、安政年間にも改築がなされたが、社殿神域とも縮少の傾向にあったという。
    明治天皇ご践祚に際し、王政復古、百度維新に従って神祇を崇め、祭祀を重んずるの大典を挙げ給う。茲においてか当社は明治四年五月十五日県内他社に先んじて国弊社に列せられたのである。
    昭和九年神武天皇御東遷二千六百年記念式典に当たり、記念事業として奉賛会を組織し境内の拡張整備を行い、概ね現今の深厳なる御社頭の状態を仰ぐに至り、ご神威愈々赫々たるを覚ゆる次第である。

    電話番号
    (0983)25-3256
    郵便番号
    889-1201
    住所
    児湯郡都農町大字川北13294番地
  • 熊野神社(くまのじんじゃ)都農町

    熊野神社(くまのじんじゃ)都農町

    所蔵の鰐口には「豊後州井田郷田原 庄力名刃○護山安楽禅寺 常住○其昔文安元年十月十五日比立等泰 幅七寸二分 縦六寸九分 耳五分 撞座五花紋 径一寸八分」とあり、当社の創建は少なくとも文安(1444)以前と思われる。
    棟札によれば、大永六年(1526)十一月十二日をはじめ、慶長十七年・延宝六年・享保八年・宝暦四年他数回造営が繰り返されている。
    明治四年村社となる。

    電話番号
    (0983)27-5379
    郵便番号
    889-1201
    住所
    児湯郡都農町大字川北8863番地
  • 上名貫神社(かみなぬきじんじゃ)

    上名貫神社(かみなぬきじんじゃ)

    創建年月日不詳であるが、往古より児湯郡都農町大字川北字川原田に鎮座する。天保四年癸巳(1833)十一月他一枚の棟札を有する。
    大正十一年一月六日宮崎県指令学第三三号許可により、大正十一年四月十七日現在地に移転奉斎したものである。

    電話番号
    (0983)25-5612
    郵便番号
    889-1201
    住所
    宮崎県児湯郡都農町川北424-2
  • 霧島稲荷神社(きりしまいなりじんじゃ)

    霧島稲荷神社(きりしまいなりじんじゃ)

    当社はもと松浦家代々の氏神であって、古老の伝えるところによれば、建武年中松浦右宗亮重房というもの、豊後国野津より日向国に来たり、同家の氏神として勧請したのが始まりという。棟札によれば、文明十八年(1486)十二月、承応元年(1652)十一月、正徳五年十二月、寬文六年十一月、享保五年十二月に造営再興が繰り返されている。
    明治四年村社に列格、同四十年御年神社(祭神 御年神)を合祀し更に同四十一年御年神社(祭神 倉稲魂命)を合祀して現在に至る。
    『日向地誌』によると、霧島神社、村社登り口にあり、瓊瓊杵尊、宇迦御魂尊二柱を祀るというのが当社ではないかとみられ、社名はその後変更されたものであろう。

    電話番号
    (0983)27-5379
    郵便番号
    889-1301
    住所
    児湯郡川南町大字川南4563番地3
  • 北山神社(きたやまじんじゃ)

    北山神社(きたやまじんじゃ)

    古老の伝えによると、景行天皇が九州熊襲征伐のおり、京都入瀬の北山の里人御供せし十八射の神霊を奉祀した社にして、土民の崇敬する社である。今に伝えて通山と称す。明治四年村社となる。
    氏子の熱意に依り昭和五十八年六月本殿並に拝殿の改築工事を起し、昭和五十八年十二月十八日竣工祭を斎行する。

    電話番号
    (0983)27-2388
    郵便番号
    889-1302
    住所
    児湯郡川南町大字平田5371番地
  • 鴨神社(かもじんじゃ)

    鴨神社(かもじんじゃ)

    古老の口碑によると、文治年間(1185~90)公家の臣と伝える橋本大学というものがこの地に来住し、京都加茂神社を崇敬して勧請した社といい伝える。橋本大学の塚が当神社の南一丁余の処にあり、これを祝子塚といい、現在此の地区の字名となっている。

    電話番号
    (0983)27-1764
    郵便番号
    889-1301
    住所
    児湯郡川南町大字川南14082番地
  • 甘漬神社(あまつけじんじゃ)

    甘漬神社(あまつけじんじゃ)

    神武天皇ご東遷の際、暫し甘漬の地で休まれた時、自ら大神を奉斎し群臣将兵を共に武運長久と国土の平定を祈られたのが創祀の始めである。
    ここに滞留中、臣下の高貴な方が亡くなり、その方を埋葬した古墳が神社境内の中央にある。例祭にはまず最初に古墳に御幣を奉上し、その後本社の祭典を祭典を執り行う事を古例として来た。
    棟札によれば、甘漬三所権現として、天文六年(1537)に再興されており、その後も慶長二年(1597)卯月、寬永七年(1630)十二月再興の記録がある。『県史蹟調査報告』によると歴代秋月氏の篤く崇敬した社で、慶長二年丁酉卯月には、秋月三左衛門種近により、神領七石五斗、営繕その他祭器具一切の寄進があった。その後も社参、代参等度々あり、社殿の改築修理もなされた。
    明治四年十一月村社となる。
    明治四十年七月、地内の愛宕神社(祭神 火産霊神 淤迦美神)、御年神社(祭神 大年神)、山ノ神社(祭神 大山祇命、邇々岐命、宇迦魂命)、菅原神社(祭神 菅原道真公)を合祀した。

    電話番号
    (0983)27-3244
    郵便番号
    889-1301
    住所
    児湯郡川南町大字川南11393番地
  • 龍野神社(たつのじんじゃ)

    龍野神社(たつのじんじゃ)

    古老の口碑によると、天文年間に雷避の大神として安成院法師が勧請した社といい伝える。

    電話番号
    (0983)27-1764
    郵便番号
    889-1302
    住所
    児湯郡川南町大字平田4125番地
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