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宮崎県の神社

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  • 御年神社(みとしじんじゃ)川南町16983

    御年神社(みとしじんじゃ)川南町16983

    古老の口碑によると、天正年間に昭之和尚が勧請した社といい伝える。祭神は素盞鳴尊の御子の大年神の御子で、父神大年神と同じく五穀を守護される神である。奉祀神社は全国にわたり、江戸期以前から開発が進められてきた川南各地に祀られたものであろう。

    電話番号
    (0983)27-1764
    郵便番号
    889-1301
    住所
    児湯郡川南町大字川南16983番地
  • 三島神社(みしまじんじゃ)

    三島神社(みしまじんじゃ)

    古老の口碑によると、天文年間(1532~55)に創祀したと伝える。また棟札に「慶長八年癸卯(1603)十二月再興」とある。
    明治四年村社となる。
    『日向地誌』には、「寬永廿年十一月、明暦三年霜月、文政八年十一月九日、文久元年十一月七日等の棟札あり。明治四十年八月九日川南村無格社新田神社(祭神倉稲魂神、菅原道真)ヲ本社ニ合祀許可、同年九月十九日川南村無格社新田神社(祭神 倉稲魂神)、無格社貴船神社(祭神 高淤迦美神、闇淤迦美神)ヲ本社ニ合祀許可有リタリ」と記されている。

    電話番号
    (0983)27-1764
    郵便番号
    889-1301
    住所
    児湯郡川南町大字川南9041番地
  • 御年神社(みとしじんじゃ)川南町16146

    御年神社(みとしじんじゃ)川南町16146

    古老の口碑によると、永享年間(1429~41)に田部金綱が再興したと伝える。

    電話番号
    (0983)27-1764
    郵便番号
    8891301
    住所
    児湯郡川南町大字川南16146番地
  • 平田神社(へいだじんじゃ)

    平田神社(へいだじんじゃ)

    日本武尊熊襲を征討の為、西下されたとき、幣田川(現平田川)河口の伊倉浜から船で遡り、川岸にある歳の森に船を寄せられ、現社地の東南の高台の地(今も城跡の壕跡存す)に宮居を定められた。暫くこの地に留まられ、熊襲征討の後再び立ち寄られ都へ還られたという。後に人徳天皇の御宇、尊の徳を慕い宮居に向かって社を建て、尊を祭神として創祀したと伝えられている。
    以前は由緒記、古文書等があったが、天正年間大友宗麟が此の地に乱入した際、兵火に罹り焼失したという。棟札に、「奉再興平田大明神一宇、文禄三年甲午(一五四九)十一月二十五日再興」とある。足利義政公の時代、伊東氏より神領三百石を寄進された。現在でも祭田と称する地名の田地が残っている。又高鍋藩主秋月公より、神領三石、社殿の修理、其地祭器具類一切の御寄進があり、歴代秋月公の崇敬篤い社で、元文五年(1738)にも社殿が造営されたことが棟札から知られる。
    明治四年郷社に列せられ、武神、厄除けの神として厚く崇敬されている。旧暦十二月二には県無形民俗文化財高鍋神楽の奉納がある。また、平安期の作といわれる木造の女神像を有する。

    電話番号
    (0983)27-3244
    郵便番号
    889-1302
    住所
    児湯郡川南町大字平田1924番地
  • 御年神社(みとしじんじゃ)川南町15038

    御年神社(みとしじんじゃ)川南町15038

    由緒は不詳であるが、棟札によれば、霧島大権現として嘉永二年(1849)十二月再興されている。その後慶応二年(1866)十二月にも再興され、現在の社殿は昭和二十九年十二月に再興されたものである。当社には火産霊大神、稲荷大神が合祀されている。

    電話番号
    (0983)27-5112
    郵便番号
    889-1301
    住所
    児湯郡川南町大字川南15038番地
  • 阿諏訪神社(あすわじんじゃ)

    阿諏訪神社(あすわじんじゃ)

    由緒は不詳であるが、もと諏訪大明神社と称した。所蔵の棟札によれば、享保十四年(1729)九月十一日再興されている。
    また、当社には天正十九年(1592)の棟札を有する天満大自在天神が合祀されている。昭和五十五年十二月には、拝殿一棟が再興され、現在に至る。

    電話番号
    (0983)27-5112
    郵便番号
    889-1301
    住所
    児湯郡川南町大字川南14791番地のイ号
  • 菅原神社(すがわらじんじゃ)川南町

    菅原神社(すがわらじんじゃ)川南町

    当社の創始は、数百年を遡るといわれるが、一時期、社殿が著しく荒廃していたことがあり、そのため縁起書など散逸し、詳細は不詳。天保六年(1835)四月、天満大自在天神を再興、また弘化三年(1846)にも再興されている。江戸期には此処に寺子屋を設置して、学問の神様として崇め祀られてきたと伝えられる。
    寺子屋を受け継いだのであろうか「高鍋藩文武職制調」によると、明治二年川南村ではここ小池一ヵ所だけに郷学があり、同四年小池小学校が設立され、当社境内に校舎が建設され同六年に公立小学校と称した。
    明治四年、村社に列格されたが、当時は天神山として巨木が繁り、周囲には競馬場、的場などがあり、大社の境内にふさわしい神域だったと古老はいい伝えている。明治三十二年四月社殿が新築され、昭和六年には、河野外吉ほか二人が丸形神鏡を奉納、戦後は五十七年十一月、拝殿、幣殿を新築した。

    電話番号
    (0983)27-5112
    郵便番号
    889-1301
    住所
    児湯郡川南町大字川南15607番地
  • 熊野神社(くまのじんじゃ)川南町

    熊野神社(くまのじんじゃ)川南町

    大正二年五月二十六日、菅原神社(祭神 菅原道真公)、山の神社(祭神 大山祇命)を合祀している。所蔵の棟札によれば、山神大明神社として文久二年(1862)二月、明治二十五年二月に再興されている。これは合祀社である山の神社のことであろう。その後大正四年熊野神社として再興、昭和八年鳥居一宇、同三十四年拝殿一棟が再興されている。

    電話番号
    (0983)27-5112
    郵便番号
    889-1301
    住所
    児湯郡川南町大字川南387番地
  • 春日神社(かすがじんじゃ)川南町

    春日神社(かすがじんじゃ)川南町

    嘉永二年(1849)己酉三月再興の棟札があることから、それ以前の創建と思われる。ご祭神である建御加豆智命は、伊弉冉尊の死後伊弉諾尊の剣についた血から生まれた神で、国譲りの立役者として有名な神であり、武運長久、心願成就、交通安全他多彩なご利益があることから、広く崇敬されている。また、天之児屋根命は、国土安泰産業繁栄の神として崇敬されている。
    昭和二十一年七月に再建され、現在に至っている。

    電話番号
    (0983)27-5112
    郵便番号
    889-1301
    住所
    児湯郡川南町大字川南27101-1
  • 川南神社(かわみなみじんじゃ)

    川南神社(かわみなみじんじゃ)

    当社の創祀は不詳であるが、所蔵の棟札によれば、天安二年(858)二月奉再興広庭鳥居一宇とあることから、それ以前の創建と思われる。明治四十年十二月、地方庁の許可を得て、川南村沓袋の御年神社を合祀し、日少宮神社と称していたが、同四十一年川南神社と改称し現在に至る。

    電話番号
    (0983)27-5379
    郵便番号
    889-1301
    住所
    児湯郡川南町大字川南5278番地
  • 山神社(やまじんじゃ)川南町

    山神社(やまじんじゃ)川南町

    由緒不詳、字込の口に鎮座し、彦火邇々杵命、大山祇命、御年神を祀る。
    明治四年社格無格社山神社となる。同四十一年四月早鳥神社祭神菅原道真公を合祀した。

    電話番号
    (0983)27-5379
    郵便番号
    889-1301
    住所
    児湯郡川南町大字川南6077番地
  • 市那波神社(いちなわじんじゃ)

    市那波神社(いちなわじんじゃ)

    当社の創立は不詳であるが、古老の伝えるところによれば、明応年間(1492~1501)飫肥よりこの地に遷座した社で、伊東公歴代崇敬の神社であったと伝える。棟札によれば、明応五年十一月十二日、天明六年閏十月二十三日、承徳年間、天保十三年十一月十二日再興の記録がある。明治四年村社に列格される。『日向地誌』によると「村社、市納にあり市納神社」と書かれており、その後神社の表記が変わったものとみられる。

    電話番号
    (0983)27-5379
    郵便番号
    889-1301
    住所
    児湯郡川南町大字川南3788番地
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